真名の行き先
02.真名の逆刃
初めて葛葉ライドウを見たとき、「これはまた無愛想な人形が来たもんだ。」と思った。
言葉を掛けても、返ってくるのは端的な返答。
生真面目以上にカタブツで、礼儀正しく、静寂と言えるほどに寡黙で。
こちらが何か仕掛けても素っ気無く、また、表情も無反応と言って良いほど乏しく。
……正直言って、つまらなかった。
けれど、その冷たいまでに整った――否、整いすぎた美貌を無視することは出来ず、叶わず。
結果、気づけば視線で追い、意識で追い……その内どんどん深くまでのめり込んでいくようになってしまっていた。
◇ ◇ ◇
感情も表情も無い人形だと思っていたライドウに、色彩が着き始めたのは何時の頃だったろう?
あまりヒトのまえに現れることは無いが、それでも。
時折現れる、”ライドウ”という仮初の名を持った青年が見せる表情は、鮮麗だった。
笑い、悲しみ、憂える姿は、物陰からしか窺えなかったが、けれど。
その物陰越しからでも充分、惹き付けられた。
黒猫を相手に話すライドウは、何時までも見ていて飽きないほど、よく表情を変えた。
日頃の反応が乏しいだけ、それは殊更余計に、目に、心に焼きつく。
穏やかな目をして微笑する顔は、胸の柔らかいところを掴み上げ。
哀切を帯びた目をして悲しむ姿は、意識の奥を占領し。
時々、柳眉を顰めて見せる怒りの気配は、身体をぞくりと震わせて。
止めに、甘く溜め息を吐いて佇む光景に――魂が、引っ掻かれた。
もっと、間近で見たい。見せて欲しい。……側に来て、見せて。
「ねぇ、ライドウ。もう少し、こっちにおいでよ――?」
そう言っても、空けられる僅かな距離。
それは、拒絶?
それとも、嫌悪?
空けられた空間の意味を問うても、曖昧に誤魔化されて、明かされないまま。
「ライドウ、俺が嫌い?」
思い切って訊いてみるも、語尾を濁らせ、視線を外されて答えは霧の中。
全く、この得体の知れないデビルサマナーは、何処まで此方を煙に巻いてくれるのだろう。
悔しいから、逆に嫌がらせの意味を込めて囁く。
「ライドウ、好きだよ。」
この言の葉は随分と効果があるらしく、ライドウの表情が帽子の庇の陰で、静かに変わる。
そうして、からかいながら、会話の合間に質問を一つ。
「ねえ、ライドウ――真名を、教えてよ?」
どうしても、これだけは答えが欲しい。
でも、これまた返事は、一つ。
ライドウが庇を引き下げて、俯きながら答える。
「……申し訳ありませんが、それには御答え出来ません。」
いつもと同じ、返事。最初から同じ、言葉。
いつまでもどこもまでも素っ気無い、答え。
「それはまだ、お前にとって俺が、信頼に足りない人物だからか?」
未だに、俺の前で笑ってくれないのも、泣いてみせないのも。
それらが、原因か?
俺との距離を空けるのも、目を合わせようとしないのも、みんな――。
けれど、声を荒げてみせても、余計に距離が空いてしまうだろうことを恐れて。
痛みを隠しつつ笑いながら言い返せば、ライドウが鳴海の声音に混じった僅かな感情に気づいたのか、顔を上げた。
目を伏せ、庇を少し下げて、ライドウが言う。
「……。それは、鳴海殿も同じでしょう。」
「……え?」
言われた意味が分からず目を丸くした鳴海に、ライドウが続けて静かに言い繋ぐ。
「鳴海殿も、本当のご自身ではないでしょう? ……隠せるものを隠して、そうして振舞っていらっしゃるのではないのですか。」
「ラ、イ……」
「そこには、私に対する信頼が在ってみせるのでしょうか。――在ってみせて、今の鳴海殿なのですか?」
ライドウの言葉が、鳴海に絡み付いて動きを止める。
「それとも――その姿が、貴方の正体だと仰いますか。」
ライドウの言葉を、否定したい。
それは違うぞ、と言い返してやりたい。
――だが……言い返せない。
何故なら、此方もライドウに素性をすっかり話しているわけじゃないのだから。
勿論、ライドウが何処まで知っているのかは分からない。もしかしたら、全て知っているかもしれない。
知っているからこそ、こんな物言いをしてくるのだろうか。
人のことが言えるのか?
――そんな、もの問いたげな色を宿したライドウの瞳を前に、息を飲む。
舌が痺れたようになり、声帯が引き攣る。
そうだ。今こうしてライドウに接している俺は、本当の自分じゃない。
だから動けず、……何も言い返せない。
そんな自分自身が歯痒くて、ぎゅっと両の拳を握り締めた。
すると、ライドウが鳴海の様子に気づいたようで、はっとなって口元に手を当てた。
それから急に押し黙ると、萎れた草花のように力なく頭を垂れて、弱く溜め息を吐く。
「……申し訳ありません。過ぎた物言いを……いえ、……、……鳴海殿を貶めるような愚考を語ってしまいました。誠に、申し訳ありません。」
鳴海が視線を上げれば、庇の隙間からライドウの表情が覗く。
どうやら自分の発言に深く戸惑っているらしく、眉根を寄せて唇を噛んでいた。
それを目にした瞬間、硬化していた鳴海の時間が解けた。
「ライドウ……。」
前に、つんのめりそうになりながら、ライドウとの距離を詰めて話しかける。
「いや、良いんだ。いいから……頭を上げなよ、ライドウちゃん。お前さんの嫌がるようなことを言った俺が悪いんだからな。……すまん。気を悪くしたんだろう?」
「……。いいえ、鳴海殿。違うのです……。」
ライドウが小さく首を振って、言う。
「鳴海殿に、咎は御座いません。……今のは、私が悪いのです。……本当に、失礼致しました。」
そう言って、深々と頭を下げるライドウに、今度は鳴海が当惑する。
冷たい突き放し方をしたと思えば、直ぐに異常なほどの謝意を見せて後悔している。
ライドウは、態度の急変が激しい。
”ライドウ”と、”真名の青年”の表裏の差が窺えるような感覚を覚えるほど。
どうやら、真名の彼は難しい性格をしているようだ。
ああ、だからこそ知りたいのだ。
この青年の、真名を。
その名が示す、姿を。
「――。」
と、ここまで考えて、鳴海は息を吐いた。
もう、この話は止めにしよう。
今はまだ足りないのだ。
ライドウの信頼が。
ライドウの心が。
「ね、ライドウ。もう、ほんと、いいからさ。頭を上げてよ。俺の方が辛くなっちゃうだろ。」
「……は。――失礼致しました。」
そこでようやく、ライドウが姿勢を元に戻した。
規律正しい、姿勢。
ライドウらしいライドウに戻ったか。
苦笑する鳴海。
肩をひっそり竦め、ライドウに言う。
「珈琲淹れて、ライドウ。」
「畏まりました、鳴海殿。」
ライドウが頷くなり、身を翻して部屋を出て行った。
まるで何事もなかったかのような立ち振る舞いに、鳴海が髪を掻き揚げて、窓の外を見た。
「これは何とも気難しいねぇ――……。」
まるで、猫のような。
いつまで経っても人馴れしない、猫。
寂しがり屋の癖に、線を引いて接触を嫌う。
「いつかでいいから、懐いてほしいんだけどなぁ。」
柔らかな微笑を正面から見られる日は、果たしてやってくるのかどうか。
「お待たせ致しました。」
そうして、渦中の猫が芳しい匂いを運んでやって来る。
「ありがと、ライドウちゃん。」
今はまだ、笑顔が見れない。見せてくれない。
ならばせめて、微笑を見る代わりにこちらが微笑みを返していよう。