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たゆらしらべ

01.夜籠めの中で


訪れるであろう変わらぬ夜が、今日もやってくる。
気掛かりな夜が、また今夜も。

「あーあ。夜が来ちゃったなー……って。当たり前だけど。」
煙草の煙でも吐き出すように、ふうっと息を吐きながら鳴海は憂鬱そうに呟いた。
そして悩み事でも抱えているかのような溜め息を吐くと、ガラス越しに窓の外を見る。
傾いていく太陽。山吹の色味が僅かに強いその光は美しく、何とはなしに眺めていると少しだけ影が晴れた気がした。
「今日も……なのかねぇ?」
脳裏に浮かんだ、とある人影に思いを馳せながら鳴海は夜を待つ。
焦がれるように、焦れるように。
一日の始まりと終わりを繋ぐ為に来る夜は、夕焼けに導かれてやって来る。

鳴海の為に、では無いが……とにかく何もしなくても、日は暮れていくものなのだ。


◇  ◇  ◇


そうこうしているうちに、外はあっという間に日が暮れ、夜へ。
鳴海は珈琲を飲みながら、最近になって出来たある一つの”問題”について考えていた。

気になる問題ごと、それは――ライドウの、夜半外出。
召喚師としての習性なのか、それとも単に眠れないのか。
彼は――ライドウは、遅い時間まで起きていることが多かった。
時間を持て余しているのか、夜は大抵何処かに出掛けており自室には居ないことが多い。
現に本日も、今しがた部屋の前を通りかかってみれば戸が僅かに開いており、部屋の電気は消えていた。
暗い室内。それでもライドウが居ないせいか、いつもより明るく見える。
中をそろりと窺えば案の定、人の気配は感じられず、人影も見受けられなかった。
寝台には、ゴウトだけ。
側にライドウの姿は無い。――何処にも。
鳴海は不満げに独り言を呟き、溜め息を吐いた。

「また居ない、か。やれやれ、今日は何処に居るんだか」
沈黙が満たす室内では、囁き程度の声も大きく聞こえるもの。
それが眠りを妨げたのだろう、寝台の上で影が身動いだ。かと思えば気配が蠢き、ゴウトが面倒臭そうに顔を上げて唸るような声で吐き捨てるた。
「……あいつなら、表だ。」
「表って、外? 真夜中だよ? 寒いのに、何でまた……」
「――知るか。煩い。寝ているものを起こすな。」
言うなり、ぼふっと寝台に沈み込み、ゴウトは完全に沈黙した。
どうやら、これ以上の情報は引き出せないようだ。むしろ、下手をすると機嫌を損ねてしまう。
鳴海は肩を竦めると、
「悪かった。おやすみ。」
と言って静かに戸を閉めると、その部屋を後にした。

薄暗い廊下を歩きながら、ゴウトの言葉を手掛かりに考える。
また今日も書生は夜半に外出した。
無断なのは、この際、目を瞑ろう。
ただ、珍しくゴウトも連れずに一人で外出するという、その行動の一点が気になっていた。
最初はゴウトに気を遣っているのかとも思ったのだが、どうやらライドウは”一人きり”であることを好んで外へ出て行くらしい。夜の中を、一人で。

――独りきりを、好んで……?

「遠いところへ行ってないといいけどなぁ……。」
そんな事を呟きながら、鳴海は上着を羽織る。
孤独を楽しんでいるかもしれないライドウの邪魔をするのは悪いとは思うが、そろそろ注意をした方がいいな、と思った。
「まあ……あんまり保護者気取りするのもマズイんだろうけど――でも」
ほっとけないよな。
鳴海は溜め息を一つ吐くと、ライドウを探しに外へ出掛ける事にした。


◇  ◇  ◇


深夜の空気は冷たく、深い青が満たす夜は透き通って見えた。
きいん、と耳鳴りがするほどに静かな町並み。文化が発展してきているとはいえ、街灯はまだまだ少ないので通りは暗く、鬱蒼としている。
風情があるといえば、ある。
けれども風が冷たいせいか、どちらかというと景観に対する表現よりも今は未だ物騒だと感じる方が強い。

「しっかし……こんな夜更けにライドウちゃんてば何処へ?」
迷子の迷子の書生くん。
貴方の行方は何処ですか。
改変した童謡を口ずさみながら、鳴海はブラブラと歩く。
ライドウのことがまだ良く分からないから、行動の見当が全く付かないのだ。
予想すらも、まるで思い浮かばず。

「あの子、打ち解けてくれる気配が無いからなぁ。」
初対面時の印象が最悪だったのもあって、相手の敷居はまだまだ高い。
ライドウが来てから幾らかの日にちが経ったが、距離はあの庵で会った時から変わってない。
なかなか近づけない距離。一向に変化の無い関係。
此方はライドウに興味があるのに、向こうは特に興味が無いのだろう。いつまで経っても、相手にされない……――相手に、してくれない。
それでも……それでも尚、諦めきれないのは。

あの時、あの瞬間に、”あれ”を見てしまったせいだ。
それは無表情の人形が見せた、一瞬の微笑。
刹那でありながらも咲いた花は、絢爛絶佳。
衝撃の笑み。その時ばかりは妙に人らしく見えて、そのまま一気に引き込まれた。
こちらの魂を掴み、砕き――心ごと攫うような微笑。
あれは至上最強の反則だった。

側に居たくない。
いや、側に居たい。
近づきたい。
もっと。

あの微笑など見なければよかったと、酷く後悔した。
けれど、またもう一度見たいと思ってしまったのも事実。
自身は無感情なくせに、此方の感情を乱し混乱させてくる。
何て不可思議な存在。

「……ははっ。」
自然と笑みが零れると同時に、手が震えるのを鳴海は感じた。
恐怖と、快感。二律相反の気持ちが入り混じり、動悸が早くなる。

尤も……それは、相手の罠なのかも知れない。
そうやって静かに此方を魅了し、束縛し。
遂には、絶対の僕として取り込むつもりなのかも。

「……怖い子だよ、お前さんは。」
寒気を覚えたかのように身を一つ震わせ、夜空に向かって眉根を顰める。
勿論、その考えは考えすぎだろうが……けれど。
完全に否定できないのは、ライドウの正体があまりにも謎めいているせいだろう。

「ん……――あれ? もうこんなところに来ちゃったか。」
考えに集中して歩き続けていたせいか、気づけば大通りへと辿り着いていた。
大きな十字路。普段は人気のある場所だが、今は夜のせいで恐ろしく静まり返っている。
さて、どちらへ行こうか……と。
鳴海が考え、そこで立ち止まった時だった。

「……この夜、深き中――お前は、何処へ行く。」


◇  ◇  ◇


寒気よりも凍てついた声が、空気を裂いて鳴海の耳へと響いた。
静かな声なのに、一閃する冷たさは夜とて相変わらず。ぎくりとした鳴海が周囲を見回せば、ある一角に蹲っている黒い影の存在に気づかされた。
「ラ、ライドウ……か?」
目を細めて闇の中を凝視してみれば、多聞天の神社、奥の石段にライドウが居た。
宵闇に溶け込むようにして座り込んだ寡黙な黒猫は、夜気よりも冷たい眼差しで鳴海を見つめている。
何も言い返そうとせず、じっとしたまま。

「ライドウ……だよな? ……あー驚いた。何してんのさ、こんなところで。」
鳴海が恐る恐る近づいて話しかければ、その接近を待っていたかのようにライドウが口を開く。
「……月光浴、を。」
「――ん?」
げっこうよく?
激昂欲……何か違うな。
返された単語の変換がうまくいかず、鳴海の思考が疑問のまま停止する。
ライドウは、鳴海に考える時間でも与えるように、ゆっくりとした動作で夜空を仰ぐと月に視線を移して沈黙した。だが鳴海は思考の迷路から抜け出せずに応答が出来ず、そこで会話が途切れてしまった。
無の幕間。
やがてライドウは鳴海を無表情に一瞥すると、自分から後の言葉を繋いだ。

「……別の名で、言い換えよう……月見、だ。」
「ああ、成程。」
月見――月光浴、か。
そこでようやく言葉の変換が正確に出来たらしく、鳴海が軽く手を打ち鳴らして笑う。
「あはは、そっか! あ……でもさ。何でわざわざ、こんな屋外で? しかも、こんなに人気の無い場所で。事務社の一室……ライドウの部屋からでも、月はよく見えるだろ?」
「――。」
だがライドウは、鳴海の問い掛けを受けても、視線を月に合わせたまま言葉を返さなかった。
何か気に障ったことでも言ってしまったのだろうか。
「……ライドウ?」
鳴海が再度名を呼んでみると、相手目を閉じ、囁くような声で呟いた。
「……室内からの、月は……――遠い。」
「……うん?」
答えが返ってきたのは良いが、理解の出来ない言葉で紡がれていた。
鳴海は困惑した顔でライドウを見返し、頭を掻きながら言い返す。
「えーっと――ごめん。出来れば、もう少し解るように話してくんないかな。」
するとライドウが目を開け、流れるような視線を鳴海に寄越した。
この夜の闇の中でも煌くような見事な黒瞳を瞬かせて、口を開く。

「俺の言の葉は、言の葉として……成して、いないか。」
「あ、いや……」
冷たい黒瞳が揺らめき、鳴海を緩やかに捕らえて離さない。闇よりも強い輝きと濡れた深い闇を持つ瞳は、相変わらず恐ろしく美しい。
それに心を捕らわれ、鳴海はつい首を横に振って否定しようとした。
だが、それではまるで従属だ。
肯定しか言わない隷属。
――冗談じゃない。
鳴海は頭を振り、肯定の言葉を口にする。
「――うん。お前さんの言葉は、少し解りにくいところがあるな。」
相手をまともに見ながら言うのは気が引けたので、少し視線を逸らした上で言った。
けれどライドウはそれに対して気分を害した様子はない――と言うか、そもそもが無表情な上に無感動でいるものだから、どう感じているのか分からない。それが余計に不安だった。
不意に、夜の空気が揺らめいた。
ライドウは鳴海に視線を戻すと、首を傾げて言い返す。
「……ゴウト殿からの、教授を受けているのだが……まだ、拙劣であるか。」
そして相手を真っ直ぐに見つめた状態から、ライドウが後の言葉を静かに継ぐ。

「……すまない。」
紡がれたのは謝罪の言の葉。
けれど夜の寒気にも劣らぬ冷たい声音で放たれたせいか、それは謝っているようには聞こえない。
けれども、それを受けて感じるのは恐怖などではなかった。
そう、恐れではなく、もっと別の何か。
けれど――それは何だろう。
その感情の名は、何と?

「……。」
意識を逸らしていた鳴海がライドウを見返せば、相手は無言で此方を見つめたままでいる。
全ての闇を吸い込んだような漆黒の瞳は、月明かりの煌きを鳴海へと移すように捕まえてくるようで、視線が外せない。
月明かり、薄闇の下。
飲み込まれるような黒瞳は、美しく。

……こくり、と。

鳴海が息を飲みながら、後ろへ身を引いた。
それは無意識に出た行動だったが、もしかしたら、そこから先に踏み込まれることを意識が恐れたのかもしれなかった。
心に侵食されることを、恐れて。
その鳴海の行為を、ライドウはどう思ったのだろう。
空けられた距離に目を留め、僅かに首を傾げた。そして考え込むような仕草で鳴海を見つめていたが、やがて地面へと目を落とし、沈黙する。
不意に解かれる、闇の拘束。
だが再び訪れた静寂が苦しい。
「あ……あの、ライドウ――」
鳴海が足を踏み出してライドウに近づき直しても、相手は目を伏せたまま動かなかった。
冷えた石段に座り込みながら、地面に落ちた自分の影を見つめている。
「なあ、ライ――」
「――俺、は。」
鳴海が何か言い掛けるより早くにライドウが口を開き、その先の言葉を攫った。

「俺は不快か、鳴海。」
冷えた夜気が漂う宵の中。
疑問の音を含まない声が紡いだ質問の矢は不可解で、そして何よりも冷たいものだった。