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猫と書生と所長さんの一日

01.葛葉、帝都に立つ



風が吹く。
そこに立つ人影の羽織る長い外套の裾が、それを受けて静かに揺れた。
黒い外套、黒い帽子のその姿は、ここでは書生と呼ばれるそれのもの。書生姿の青年が、帽子の庇を僅かに持ち上げて呟くように言った。
「ここが――帝都。」
「そうだ七綺。ここが、お前の護るべき地だ。」
青年の呟きに、足元にいる黒猫の声が重なる。
けれどその声は、普通の人間の耳には聞こえないものだった。現に、街を歩いている人々の様子に大きな変化はない。誰も態度を変えることなく、青年と黒猫の横を通り過ぎていく。
大きな通りに立ち、往来を行き交う人々の姿を目に留めながら少し周りを見回したところで、青年の口から自然と溜め息が漏れた。

「人が……多い。」
あまり感情の篭っていない青年の台詞に、黒猫が彼を見上げて目を細めた。
「そりゃあ、お前の居た場所よりは多いだろうさ。ここは帝都だ。様々な人間が居てもおかしくはあるまい。」
そこで黒猫は一旦言葉を切るが、不意に何かに気づいたように喉の奥で笑うと、街並に目を向けて言葉を訂正する。
「ああ、人だけではなく悪魔も……だな。俺の言ってる事が解るか、七綺? いや……。」
猫が笑みを深くして青年を見上げ、言葉を繋ぐ。

「”十四代目デビルサマナー、葛葉ライドウ”?」
その言葉を受けて、青年が黒猫を一瞥した。だが彼は笑みを返すことなく、帽子の庇を下げて目を閉じ、ひっそりと答える。
「……解っている。」
その短い返答と素っ気無い態度に、黒猫が口端を上げる。その顔に浮かぶのは、人じみた苦笑。
「やれやれ。お前程に反応の薄い奴は初めてだよ。ふふっ。歴代に残るかも知れんな、その無愛想さは。」
「……。」
青年は黒猫の笑いを沈黙で受け止め、目を開けるとそのまま黙って歩き始めた。
「あ、オイ、こらっ……待て待て、七綺! 俺を置いていくな!」
その後を、黒猫が慌てた様子で着いていく。

彼の本名、真の名である「七綺」と呼ぶのは今は唯一人――いや、一匹と言えばいいか。
彼の傍らに居る黒猫のみが、その名で彼――ライドウを、そう呼ぶ。
猫の名は、ゴウト。正しくは業斗童子。
素性は知れないが、それは彼とて同じこと。
だから、互いにそれ以上は聞かない。
暗黙のきまりごと。出会って間も無い関係だが、気づけば小さな絆が出来ていた。
ライドウはそのようにして、普通の人間には聞こえぬ人語を使う黒猫ゴウトと共に、帝都へと降り立った。
第十四代目、葛葉ライドウ。
それが、彼の継ぎし名前。この名を持って、今日からここで生きていく。デビルサマナーとして、帝都を護る為に。

とりあえず、第一の目的は――ある探偵事務所に行くことだったか。
これから自分の身を置く場所になるところ。そこを行動の拠点にし、帝都に蔓延る”何か”と対峙していくのが彼の役目だった。
さて、これからの彼の先に、どんな道があるというのか。

「……。」
七綺が庇の下で僅かに笑むのを、ゴウトは驚いたような目で見た。
彼が笑みを浮かべるのを見るのは、初めてではない。……が、その笑みは何かを愉しむ子供のように無邪気なものでいて。
そこに居るのは、ライドウではなく、七綺、という人間だという思いに捕らわれる。
七綺の歩く速度は次第に速くなり、気づけば駆け出していた。
それはまるで、浮かれる子供そのもの。

(――もしかしたら。)
この”葛葉ライドウ”は、帝都に蔓延る”何か”よりも危険なものなのかも知れない。

(……まあ、俺の気のせいだろう。)
ゴウトは自らの頭に浮かんだ考えを苦笑で打ち払うと、七綺の後を追う。それから彼の隣に並び、横顔をそっと窺い見てみたのだが、そこには笑みどころか、もう何の表情も浮かんではいなかった。
七綺は、またいつもの”無愛想なライドウ”に戻っていた。

黒い影が、一陣の風を纏って駆けていく。
十四代目デビルサマナー、葛葉ライドウとして。
帝都を護る一振りの刀となって――子供のように駆けるのは、一人の書生。