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猫と書生と所長さんの一日

01.宵杯に酔う


――夜。
鳴海が月を眺めながら酒を呑んでいると、こつこつと戸を叩く音がした。
「ライドウちゃん?」
姿を見ずとも正体が分かるのは、優秀なデビルサマナーだけが持つ独特の気配のせい。
否、彼だから特別なのかもしれない。あれは、普通の人ではない。

――あの葛葉ライドウだけが、特別なせい。
戸が控えめに開き、姿を見せたのは予想通りの人。
「まだ起きていらっしゃるのですか。いえ、特に用事があってのことではないのですが、気配が少し気になりまして窺いに来た次第です。邪魔を致しまして、申し訳ありません。」
礼儀正しい言の葉は、夜でも変わらず。
頭を下げて謝罪の言葉を口にするライドウに、鳴海が肩を竦めて言い返す。
「いいよ、そんなに恐縮しなくても。」
室内だというのに、帽子を被ったままのライドウ。
身に付けているものが寝間着としている着物なので、妙にアンバランスに見える。
「らーいどーちゃん。その格好で、帽子は無いでしょ。取ろうよ。」
言いながら鳴海が苦笑して手招くも、ライドウは一先ず側に来たがそれ以上は近づこうとせず、一定の距離を置いたところで立ち止まった。

「あれ、何? もしかして、警戒してる?」
空けられた、少々不自然な距離を見ながら問えば、ライドウが帽子の庇を引き下げて言う。
「……いいえ、そういうわけでは。ただ、鳴海殿の飲酒の邪魔にならないようにしたまでです。」
「ふー……ん。じゃあ、その距離の意味は何かな?」
「別に、意味などありません。」
「そう――……ま、いいや。折角来たんだから、飲むのに付き合ってよ、ライドウ。丁度、誰かと一緒に呑みたかったんだ。」
気まずくなりかけた空気を払うように、鳴海が急に話題を変えた。
陽気な笑みを浮かべながら、手にしていたグラスに酒を注ぎ入れる。
それをライドウに差し出して、言う。
「はい。これがライドウの分ね。」
どうぞ、と言うように目の前に突き出されるグラスに、ライドウが困ったように眉を寄せて、躊躇いの表情を見せた。
「……申し訳ありませんが、私は酒類が口に出来ませんので、鳴海殿の御要望には応えられません。」
そう言ってグラスに手を出さないライドウに、鳴海が片眉を上げて目を細めた。
僅かに背もたれていた上体を起こし、下から睨み上げるようにしながら、口を開く。

「……なあ、ライドウ? 礼儀が正しいのは良いが、あんまり過ぎると不快だぞ?」
表情に笑みこそ浮かんだままだが、その声は怒気を孕んでいる。
酒のせいか、非常に強い不快感を露にした鳴海の声音を受けて、ライドウが庇に手を掛け、静かに息を吐いた。呆れたのか、観念したのか。一つ瞬きをして、口を開く。
「……。過ぎた物言いを致しました。……では、鳴海殿のご意思に従いまして――……。」
力なくグラスを受け取るライドウに、鳴海が微笑を戻して満足そうに頷いた。
「そうそう、素直が一番だよライドウちゃん。」


◇  ◇  ◇


申し訳程度に軽く口を付けただけで、ライドウはグラスを側の机上に置いた。
そして鳴海から離れるように、窓際に寄りかかり、両腕を組んで外へ視線を投げている。
鳴海はといえば、ゆっくりとグラスを呷っては、一人嬉しそうに笑っている。
それも、どうしてかライドウの方を向いて。

ライドウはその視線に居心地が悪くなるのを感じながら、表情には出さず、じっと耐えていた。
部屋に帰る希望を述べれば、鳴海はきっとまた機嫌が悪くなり、低い声で凄んでくるのだろう。
そうなれば、面倒で。
それと、自身の身に危険が起きそうで。
仕方なく沈黙したまま、外に視線ごと意識を投げることにした。
どうにかして、部屋を出る方法はないだろうか。
どんな口実があるだろう。
自室を出る前に、ゴウトに引き止められたのを思い出す。

「どうせ鳴海が何かしているんだろう。構うことは無い。行っても面倒ごとになるだけだぞ。」
ああ、ゴウトが正しかった。自分の真面目さが、少しばかり嫌になる。
人が苦手なくせに、どうしてここに来たのだろうか。気配を窺うだけでよかったのに。
月を仰ぎながら、ライドウは心中で溜め息を吐いた。


◇  ◇  ◇


白い喉を仰け反らせるようにして月を眺めているライドウを、眺める鳴海。
細められた目、長い睫、白い肌が月光を受けて、より一層際立つのを見て、ぞくりとする。
先程から沈黙したままなのは、恐らく、望まぬ酒宴に付き合わされて嫌気を感じているからだろう。

まあ、それでも別に構わない。

ライドウが小さく息を吐く度に開かれる、赤い唇の動き。
瞳を瞬かせる毎に揺らめく、睫。

それらだけでも、充分に愉しめるから。

くつくつと笑いながら酒を呑み進めていると、此方の笑いが気になったのか、ライドウが視線だけを向けて眉を顰めた。
「……如何……致しましたか……?」
僅かな嫌悪と懐疑を、その双眸に滲ませて。

鳴海はそんなライドウを見て、笑う。
ここに来た当初に比べて、隋分と人間らしくなったものだ――と感心する。
最初の頃は、まるで人形じゃないのかというような表情の硬さでいたのに。

「いや、少しね……。ライドウちゃんも可愛くなったなぁ、と思ってさ。」
そんなことを言ってやれば、相手が嫌そうに身動ぎして。
「……。……そのような戯れごとを仰るのは、お止め下さい……。」
そしてまた、視線は窓の外に。気恥ずかしさを逸らす為のような行為。

それがまるで、生娘が見せる初心な反応に見えて――。
「……っくっくっくっ……はは、あははははははははは!」
堪らず哄笑すれば、ライドウがぎょっとなって振り向いた。
「な、鳴海殿……?」
「はは、あはははは。……あっはっはっはっは!!」
鳴海が高らかに笑うのに比例して、ライドウが益々怪訝そうに眉根を寄せながら、窓辺に凭れかかる。

諦観に似た態度になったライドウに、鳴海が咳き込みながら話しかけた。
「あー、ほらほら、そーんなに拗ねなさんなって。」
「別に、拗ねてなどおりません。」
「あっははは、かーあいい。――っと……。」
グラスを呷りかけた鳴海が、空になっている中身に気づいた。
ライドウの方にグラスを掲げて、言う。

「ライドーちゃん、おかわり。」
「……もうその辺りでお止めになったほうが、宜しいと思われます。」
「ライドウの分まで呑んでるんだから、良いじゃないか。
それとも――ライドウが残り、呑んでくれるの?」
にやりと口端を上げて見上げれば、ライドウが僅かに身を引いて、たじろいだ。
「……いえ、私は……」
「”酒類は口に出来ないので、鳴海殿の御要望には応えられません”……だろ? もう聞いたよ、それは。」
「は――……い。そう、でした……。」
先程出た言葉を、一字一句違わずに返すと、ライドウが目を伏せて唇を噛んだ。

分かっているなら、何故聞いた?――そんな不満が、表情に滲み出ていた。

ああ、可哀想だな……と思う反面、そんな表情を見せる姿が可愛いなと思う。
余計に、虐めてみたくなる。
赤い唇を噛み締めて俯く姿に、鳴海の心の奥で何かがもたげて舌を出す。

「――ライドウちゃん、もしかして、誘ってる?」
なんて莫迦なことを言ってみれば、相手が顔を上げ、目を丸くして。
「誘う……? 何を仰っているのか良く分かりま――」
「分かってるくせに。……嘘吐きだね。」
相手の言葉を途中で遮って、鳴海が勢い良く立ち上がると、それを見たライドウが不穏な空気を感じたのだろう、身構えて後ろに下がった。警戒する、猫のように。
――その背後は、壁と窓だけだというのに。
退路を絶たれていることに気づいたライドウが、しまった、というように眉根を寄せた。
その隙を突いて押し迫り、かたり、と窓枠に手をつけて、挟み込むように腕の中に閉じ込める。

「……捕まえた。」
くすくす笑って耳元で囁けば、ライドウが大きく顔を背けて。
「……酔っていらっしゃるのですね。もう本当に、この辺で御休みになられたほう……が……。」
そこでライドウの言葉が止まる。
庇の下の視線が捕らえたものは、太股に割り入って来た鳴海の足。
裾から中を覗かせるように、わざと足に絡められる。
布の下から露になった白い足。その爪先が、何かか逃げるように、きゅっと縮められる。
「……鳴、海殿……。」
上を見ないライドウに、鳴海の声がかかる。
「お酒、まだ結構余ってるんだよね。ライドウは、早く戻って眠りたいんだろう?」
「戻りたいということに否定は致しません、が……しかし、一体何を」
くくく、とライドウの頭上で低い哂い声がした。
背筋を走る冷たい気配にぞくりとして、ライドウが思わず顔を上げれば、笑んだ鳴海と視線がぶつかる。

その微笑が、狂気で満ち満ちているような感じがするのは気のせいなのだろうか。
からり、とグラスが乾いた音を立てるのを聞いた。