逆月に酔うもの
02.錯想
「ライドウちゃんってさ、何処まで経験済み?」
「……。」
寝台の上に押し倒したライドウの両腕を片手で頭上に縫い止めながら、鳴海が耳元でそっと囁く。
「ねぇ、教えてよ。ちょっとは何かあるんだろ?」
「……鳴海殿、戯れは……お止め、下さい……。」
耳元に掛かる吐息を嫌ったライドウが僅かに眉を寄せ、身を捻じって逃れようとするが、力では全く敵わないことを思い知らされただけ。
そんな中で、ライドウは徐々に追い詰められていく感覚に焦りを感じていた。
掴まれた両腕が、間近に触れる相手の吐息が……――正面からの視線が、辛い。
思考の輪郭が、ずれ始める。
子供が独り、檻籠の中で謡う。
夜明けの来ない朝を待って、謡う。
あの子供は誰だった?
あの檻籠は?
あの歌は?
ああ、あれは昔の邂逅。
閉じ込めるのも、閉じ込められるのも自分。
籠目の隙間から覗き見える世界しか、知らなかった自分。
管の中に閉じ込められた悪魔も、こんな思いを抱くのだろうか。
こんな、相手の意に副わぬ事を自分もしているのだろうか。
遮るものを奪われて、体の自由を奪われて。
ならば、自分がしていることは――……。
「……あ……。」
「……ライドウ?」
微動だにしなかったライドウが不意に小さな声を上げたのを見て、鳴海が僅かに身体を離して彼を見遣った。
ライドウは喘ぐようにして唇を震わせ、その視線の焦点は何処にも合わされていなかった。
「ライドウ? おい、ライドウ!?」
「……う……と……。」
「ライ……ドウ?」
鳴海が拘束を解き、ライドウの上体を起こす。
けれど、ライドウの視線は虚ろなまま。
ライドウは自分の両肩を抱くなり、膝を立ててそのまま小さく身体を丸めて震えだした。
まるで、何かから身を護るように。
「ライドウ? ライドウ、どうした?」
「ゴウ、ト……」
「――何?」
「ゴウト、ゴウトは……ゴウト、ゴウト……っ……」
矢継ぎ早に、ライドウが猫の名を口にする。
鳴海の存在に意識すら向けず、猫の名前だけを何度も何度も繰り返す。
「ゴウト、……何処に……ゴウト、ゴウト――……!!」
ゴウトの声が、聞きたい。
ゴウトに、逢いたい。
ゴウトの側に、居たい。
――ゴウトは、何処……?
弾かれる様に顔を上げ、縋るような視線を辺りに向けるも、その姿は無くて。
「……ゴウト……何処……」
途方に暮れたような声を出せば、鳴海が眉を顰めてライドウの両肩を掴んだ。
「っ……ライ、ドウ――!」
「ゴ、……んんっ――……!」
こんな時にまで黒猫の名前に縋るライドウに、鳴海が噛み付くような口付けを仕掛けた。
どうしてこんな時まで、どうして何処までも。
視ているのは目の前の自分ではなく、見えない黒猫なのか――!
「ん、……っふ……あ、ゴ、ウ……」
「いつまで猫に縋る気だ、お前さんは!」
それ以上ライドウに言葉を紡がせない為に、鳴海は口腔に舌を侵入させ強引に絡める。
「鳴、ん、っ……や、め……――……!」
目の端に涙を浮かべながら、ライドウが声にならない悲鳴を上げた。
「七綺、喚べ!」
「ゴ、ぅ……――っ!」
猫の声に、ライドウが――七綺がハッと我に返る。
すぐに言われた事を理解し、絡みつく口付けの合間を縫って呟くそれは、悪魔召喚の言の葉。
淡い緑閃が、室内に走る。
◇ ◇ ◇
数分後の寝台の上。
そこには、静かな眠りに落ちてぐったりとした鳴海と、半ば乱れた服装の七綺、そして。
その傍らには召喚した仲魔と、名を叫んだ声の主――ゴウトが、居た。
「全く。気を抜くな、と言っただろうに。」
寝台の上に飛び乗りながら咎める言葉を吐くゴウトに、七綺が目を伏せた。
「……すまない。」
「ライ様、大丈夫でありんすか?」
仲魔の技芸属リャナンシーが心配げに声をかけるのを聞き、七綺は苦笑を浮かべて頷く。
「貴女も、ありがとう。」
「いいえ、ライ様の御役に立てたのならばそれで充分でありんす……では、わっちはコレで。――また呼んでくださいまし。」
リャナンシーが微笑みながら、管の中へ戻った。
「……仲魔からも心配されてるようでは、サマナーとしては、ちと不甲斐ないぞ七綺。」
そう言ってゴウトが横を見遣ると、七綺は乱れた服装を整えながら、強制的な眠りの中にある鳴海を見ながら二の腕を擦っていた。
嫌悪――いや、怖気か? まあ無理も無いだろう。そうしてゴウトが七綺の膝の上に乗り、彼の手元を見ながら声を掛ける。
「まだ少し震えが見えるな……。大丈夫か?」
気遣わしげに問い掛けるゴウトに、七綺が弱い微笑を作って小さく頷いた。
「ああ……。だい……じょうぶ……。」
そして両腕を擦りながら、弱く呟く。
「……ヒトに、こういう風に触れられるのは、久しぶり……だったから……慣れ、なくて……多分、直に……治まる。」
何とか微笑を作って話してはいるが、その顔は蒼白で、頼りなくて。
震える声を抑制しようとしているのか、時々、唇を噛みながら話す姿に、胸が痛んだ。
ゴウトが尻尾を七綺の腕に、そっと巻きつかせる。慰めるように。
それに触れながら、七綺がぽつりと呟いた。
「仲魔も……こんな感じなのか?」
「……うん?」
「こうして拘束され、何かを強いられる。サマナーは……俺は、同じことをしているのだろう?」
「――違う。七綺、それは違うぞ。同じではない。間違えるな。」
「でも、ゴウト……」
「いいか、鳴海がお前に仕掛けた行為と、お前が仲魔に対してしているものは、全く違う。仲魔はお前を慕っている。お前を認めているからこそ、力を貸しているのだ。……それは、確かな事実。一緒ではない。違うのだ。同じにするなよ、七綺。」
七綺の言葉を遮り、その顔を真っ直ぐ見つめながら強い口調で断言するゴウトに、七綺の表情が緩んだ。
「……ああ。――やはり、ゴウトに訊いて良かった。」
そこでようやく七綺が普通に笑うのを見て、ゴウトもニィ、と深く笑む。
「迷うな、七綺。迷ったら、俺に聞け――直ぐに、その迷いを断ち切ってやるから。」
「ありがとう――……ゴウト。」
七綺が手を伸ばし、ゴウトに縋りつくように、その身を抱きしめた。
僅かに伝わる七綺の震えには気づかぬ振りをして、ゴウトが笑う。
「どうした? 今日は、やけに甘えるな?」
「……。……駄目、だろうか……?」
「――いや、駄目なことは無いが……程々にな。」
「……ん。」
黒猫の艶やかな毛並みにふわりと顔を埋めながら、七綺は言う。
「ゴウトが居なくなったら、俺はきっと駄目になるんだろうな――」
「莫迦を言うな。そんなことは、俺が許さない。」
「……ははっ。……護り役殿は、手厳しい……。」
「七綺、別れは誰にでも訪れるものだ。人だけではなく、何もかもに。
それは近い未来か、遠い明日か――お前とて、その例外ではない。覚悟はしておくんだな。」
「……。」
「七綺?」
「……だ……。」
「――なに、」
ゴウトが顔を上げようとした瞬間、七綺が抱擁を強くしてそれを制し、少しばかり大きい声で返した。
「――嫌だ。」
「おい、お前ももう子供じゃないんだ。嫌だ、じゃ無いだろう。」
「……嫌だ、……嫌だ、嫌だ……ゴウト……っ」
否定の言葉を吐きながら、書生は頭を振って黒猫に縋る。
まるで聞き分けの無い子供のような仕草に、ゴウトは目を丸くしながら、けれどそれを大人しく受け入れて沈黙した。
全く、この十四代目は強いところがあると思えば、時折酷く脆い箇所を覗かせる。
大人と子供の境界線に在り、まるで薄氷の上に立っているような不安定さで。
接していて危うく、けれど放っては於けず――深みに嵌まるほど、愛しくなる。
「未熟者め、葛葉ライドウともあろう者が、そんな薄弱でどうする。……お前には未だ、俺が就いていてやらんといかんようだな。」
ゴウトが苦笑しながらそう言って、七綺の首筋に顔を摺り寄せた。
それからふと、傍らの、葛葉ライドウに暴挙を働いた男――鳴海を一瞥し、心中で呟く。
(しかし、子供に無体を働くこの大人はどうにかならんものか――……。)
ゴウトは、はぁ、と溜め息を吐いて、それから落ち着きを取り戻した七綺に、忠告を一つ。
「これから、部屋の施錠は怠るな。あと、夜は何があっても鳴海を中へ迎え入れるなよ。絶対にな。」
そう言って部屋を出て行こうとしたゴウトだったが、不意に向き直ると、鳴海の上に飛び乗った。
「……この莫迦な大人にも忠告するのを、忘れていた――」
鳴海を睥睨しながら、そう呟くなり爪を出して。
――シャッ、と。
細く鋭い音と共に、鳴海の頬に三連の三日月がついた。
「ゴ、ゴウト……!」
微かな血の匂いを感じ、七綺が狼狽するが、ゴウトは荒く鼻息を一つして、言い返す。
「案ずるな、深くはしていない。それよりも、コイツが目を覚ます前に、とっとと外へ投げておけ。……じゃあな。」
足音立てずに部屋を出て行くゴウトの後姿と、鳴海の頬の赤い三日月の痕を交互に見ながら、辛うじて難を逃れたサマナーが一人、月を仰いで大きな溜め息を吐く。
不意に、倒れ臥している鳴海を見て口を開く。
「ゴウトが居なくなったら、俺は――どうなるんだろう……。」
止めるものが、護るものが居なくなれば、俺は鳴海殿に――……。
鳴海の手が触れた感触、重なった唇の柔らかさを思い出し、背筋がぞくりとした。
透けかけた未来に、きゅうっと唇を噛み、僅かに身を震わせる。
「嫌だ……嫌だ、ゴウト――」
未だ、人には慣れないこの身。
どうか、まだ、独りにしないで。
はぁ、と大きな溜め息を零し、首を振る。
「大丈夫、まだ側に居てくれると約してくれた……。」
そう自分に言い聞かせて、無理矢理に笑みを浮かべると、少し元気が出た。
「あ……そうだ。鳴海殿――!」
七綺はそれからようやく、ゴウトに言われたことを思い出し、急いで鳴海を部屋の外に追い出そうと立ち上がるのだった。