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其は雨音を識るもの

04.謎は雨に流れ、水溜りの中へ



雨の音が、やけに大きく聞こえる。
ライドウの腕を掴んで引き止めたはいいものの次に掛ける言葉が出てこないでいる鳴海は、彫像のように固まっていた。
会話も無く交差する視線が、じとりとした気まずさを増幅させる。
此方を真っ直ぐに見つめ返すライドウは無表情を保ったまま何も言おうとしないので、受ける緊張感は殊更高い。
夜の中でも煌く漆黒の黒瞳が、鳴海の意識を掴む。
それに焦燥を煽られるのか、ますます落ち着かなくなってきた。

「あー、……あのさ、ライドウ。」
ようやく言葉が出たのはいいものの、後に続く台詞はやはり見つからない。
雨の音を聞きながら、鳴海は懸命に言葉を探す。一時の逃避。だが何の役にも立ちはしない。
この雨の滴りが、地面に落ちる音が、何かしらの会話を生んでくれればいいのに、と思う。
いっそライドウの代わりに話し相手になってくれ、という、最早願いなのだか何だか分からない考えまで浮かんだところで鳴海は現実に返ってきた。

(なあーに考えてんだ、俺は。第一、願いなんて簡単には叶わないもんなんだよなぁ。)
実際に、今日は何度もこうした身勝手な願いを抱いたのだが、空振りだったのだ。
既に体験済みの鳴海は心中で諦観した呟きを吐いて、言葉を探す。
ライドウから言葉が返ってきたのは、そんな時だった。

「先刻から、お前は似た言葉ばかり、吐く。」
それと同時に、白い手が鳴海に向かって差し伸べられた。
仄かな蝋燭の灯のような白さの手が、鳴海の視線を一段と強く引いて――捕らわれる。


◇  ◇  ◇


「……その手は何かな、書生くん?」
二の腕を掴むライドウの手を意識しながら訊ねてみれば、相手は鳴海の裾をクイと引いて。
「闇夜が……怖ろしいのだろう。」
「へ? な、何だそりゃあ!?」
「違うのか。言の葉を失い……佇立している様は、そういうものだと思ったが。」
「怖いも何も……か、仮にそうだとして、この手は一体なんだい?」
「怯え子、を。」
「ん?」
「……童子を先導するには、こうするのだと……そう、教わった。」
「成程。」
細かい意味までは分からないが、大よそのことは理解出来た。
「で――俺が、その童子で……お前さんが、先導者?」
こくりと頷くライドウ。
鳴海は呆気にとられ、溜め息を吐く。
つまりライドウは、道に迷って泣く子供の手を引く親のような真似事をしているのだ。
そういえば――初めてライドウと出逢った時も、確かこんな会話をしたような気がする。
帰り道。夜ではなかったが、今のように暗い状況は同じ。
あの時も、ライドウは鳴海を子供のようにあしらった。
暗い道が怖いのか、と訊いて、そうして手に持っていた行灯を差し向けてきたっけ。

いやいや、待て待て。
子供はどっちだ!

鳴海は、ふーっと溜め息を吐くと頭を振った。ライドウのおかしな発言により、幸か不幸か平常心を取り戻せたのだ。腕を掴んだライドウを見遣り、落ち着いた鳴海が言い返す。

「あのねえ、ライドウ。俺は子供じゃないし、それにお前さんより一回りは年上なんだぞ?」
「畏怖の感情に、年齢は関係ない。」
「年長者は敬いなさいっての。」
「恐れは境界無く、誰もに生じるものだ。……違うか。」
「誰もに? ふぅん。じゃあさ……ライドウも怯えたりするんだよな? 」
「それは……。」
ライドウの言葉が止まる。

不意の沈黙。
雨の音がやけに耳につく中で聞こえたのは、闇を延ばした虚無の息。

「それは――赦されていない。今も、そして……これからも。」


◇  ◇  ◇


ライドウの声を響かせるように、雨が一時止んだ。
白い手が、離れていく。
ライドウは急に背を向けると、前方の闇を見つめて何事かを呟いた。
「……――これは……逆徒の……値に……」
吐息掠れた声の呟きは、だが急に降り出した雨に掻き消されてしまい、断片しか聞き取れなかった。
(ぎゃく……?)
雨の音とライドウの態度に惑いながらも、鳴海はライドウに向かって話しかける。
「何だって? 悪い、よく聞こえなかった。」
「いや……お前がその場へ留まることを望むなら、俺はもう邪魔をしない。」
「へ? ま、待てよライドウ、今の意味は――?」
「……彼の方が、待っている。……俺は、帰る。」
「ねえ、ちょっと……ええい、クソッ!」
急に話を断ち切ったかと思えば、ライドウは何事かを呟き立ち去ろうとする。
鳴海はそんなライドウの反応に目を丸くしたが、とにかく引き止めるべく叫んだ。

「ライドウ、待てってば――なあ、手は!?」
咄嗟に浮かんだ言葉は、ライドウと同じよく意味をなさないもの。
だがそれは功を奏したのか、ライドウの足が止まった。――立ち止まって、くれた?
振り返り、首を傾げ、自分の手と鳴海とを交互に見遣り、また首を傾げてライドウは言う。
「お前は、ネンチョウシャ、なのだろう。……故に、先程のはもう不要ではないのか。」
「必要ないとか言ってないだろ。それに、先に手を掴んだのはお前さんだ、ライドウ。
自分が仕掛けたことは、最後までやり通せよ。それが筋ってもんだ。」
「……最後まで、というのは。」
「手。――繋いでくれるんだろ?」
鳴海の傘の先から、雨の雫が落ちた。

ぽたり。
ライドウは瞬きし、まだ首を傾げて鳴海が差し出した手をじっと見ている。

「あー焦れったいね君は。ほら、手。よし、じゃあ帰ろう。」
鳴海は強引にライドウの手をとると、そのまま主導権を握るかのように歩き出した。
僅かによろめいただけのライドウが、手を引かれながら話しかける。
「離せ……傘が……。」
「俺が差してやってるから良いじゃない。」
「二人在って、傘を一つしか使用しないのは解せない。」
「相合傘っていうんだよ、こういうのは。知らないの?」
ライドウのことは未だ以ってして、分からないことが多すぎる。
けれど今は。

帰ろう、と言ってくれた。
手を繋ごうと、してくれた。

人形めいた子供が見せたそれらの行動に、いちいち疑問を返してどうする。
何も言わずに受け入れるのが、大人としての心意気ってものだろう?

鳴海は一人ごちると、足音無くついてくる書生をちらりと一瞥した。ライドウは繋がれた手元に目を留めながら、まだ首を傾げている。
(考え事をしてる割には、足取りはしっかりしてるんだよなぁ、この子は。)
静かながらも流麗な足取りに感嘆しつつ、鳴海は言う。
「転ばないように気をつけなよライドウー……なあんて。ははっ、心配することじゃないか。」
「既に雨に濡れている。……これ以上に、何を気に掛ければいいのだ。」
「……それって暗に、俺との相合傘を皮肉ってみせてる? ……ま、いいや。ねぐらに戻るまで、そのまま考え込んでいなさいな。」
鳴海は傘を持ち直すと、雛鳥を連れた鳥のような隊列で夜道を歩いていく。
雨は結局降り続いているが、一人きりで濡れて帰る訳ではないので、もう愚痴ることはしなかった。
――と、ここまではそれなりに普通だったのだが。

しかし、その帰宅後。
鳴海が傘を自分の方へと優先した為に濡れてしまったライドウを、玄関先で迎えたゴウトに見つかってしまい、ひと悶着――どころかちょっとした惨事が起こったのだが、ライドウがそれを日誌に書き留めることをしなかったので、詳細は残念ながら不明である。

ただ、手を繋いで帰った事実だけが残った。