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其は雨音を識るもの

03.道の途中で、立ち止まる



「ライドウ……何で、ここが……。」
闇から溶け出てきた書生を前に、まず鳴海が口にしたのはそんな問い掛け。
こんな人気の無い廃屋に居ることが、どうして分かったのか。
こんな雨の中で、どうやって見つけることが出来たのか。
鳴海の中で、様々な質問が交錯する。

何故ここに来た?
どうして……迎えに来てくれた?

「もしかして――心配して、来てくれた……とか?」
それは質問と言うより希望。
黒猫以外に関心を持たない書生が、傘を持ってわざわざ迎えに来てくれたのだ。
少しは自分に興味を持ってくれたのだろうか?――と、一握の期待を抱いてしまう。
だが現実は、当然ながら鳴海の思惑通りになどいかず、そして……少しも甘くは無いわけで。


◇  ◇  ◇


傘を差しているライドウは、何処となくぎこちなく見えた。
不自然と言うほどではないのだが、何となく、しっくりこない、という感じがするのだ。彼は辺ぴな場所に住んでいたようだから、もしかしたら傘を使うのは初めてのことなのかもしれない。
そんなライドウが差しているのは、いま流行りの洋傘ではなく和傘である。
鳴海の分であるらしい方は、洋傘だった。
和傘は黒い布であつらえているせいもあってか、夜の闇と判別がつきにくい色をしている。
このような傘を、鳴海は事務社で見かけたことは無い。

あれは、ライドウ自身の持ち物だろうか?
それとも、デビルサマナーの支給品か?
――と、傘のことばかりに思考が傾いていたものだから、ライドウがすぐ目の前まで来ていたことに、鳴海は気づかなかった。

「鳴海。」
「え? ――あいたっ……!」
低い声で名を呼ばれて我に返った早々、ぐいと無造作に傘を突きつけられた。
骨組みの部分が当たって僅かに痛みを感じたが、向けられたのが傘の先端ではなく、辛うじて持ち手だったことは、せめてものありがたさ。……とはいえ、痛いものは何をどうしてもやっぱり痛い。
けれどもこの書生には、そこまで気遣う心は無く。
ぐ、と鳴海に傘を押し付けた状態で、淡々と言葉を繋ぐ。
「入用になると……そう、言っただろう。」
「あ……うん。そうだけど、でもさライ――」
「早く、受け取れ。」
「あたた、痛いって、ちょ、ちょっと!」
ライドウは更に強く、ぐいと傘を胸に突きつけてくる。仲魔にするような力加減でいるのか。
(冗談じゃない! こちとら普通の人間だっての……!)
胸元を手で覆いながら、鳴海が言い返すのは感謝ではなく抗議。
「ま、待てよライドウ! お前さん、ずぶ濡れの人間を前にして、何の慰めもしないわけ!?」
「結果を招いたのは、お前自身だ。……俺の知るところでは、ない。」
雨よりも冷たい声による、一刀両断。
ライドウの言うことはもっともなのだが、鳴海は膨れ面をして口を尖らせた。

「冷たいやつめ。これがゴウトだったら、そんな態度はしないくせに。」
「驕るな。……彼の方とお前は、同等では無い。」
何の感情も宿っていない瞳で鳴海を見据えながら、ライドウが息を吐いて言う。
「……傘は、不要か。それならば俺は、帰還する。」
なかなか傘を受け取ろうとしない鳴海を見て、傘を引っ込めようとした。途端に鳴海は慌てふためき、首を大きく横に振って叫んだ。
「待った! 要るよ! 要りますってば!」
「……ならば、急く、受け取れ。」
そこでようやく傘が譲渡された。
ライドウは自分の傘を持ち直すと、静かに背を向けて一言。

「用は済んだ。……俺は、帰る。」
「えぇっ!? ちょ、ちょっと! 待てよ、置いていくな!」
素っ気無く言い捨てて鳴海を置き去りにする書生に、鳴海はいつもの現実を思い知らされる。


◇  ◇  ◇


傘を開くのに手間取るのが、焦れったい。こうしている間にも、影は遠慮なくどんどん遠ざかっていく。焦燥感を煽られながら傘を開くのに悪戦苦闘しつつ、鳴海はライドウを引き止めるべく声を投げた。
「待てってばライドウ! お前さんは俺を迎えに来たんじゃないのか!?」
鳴海が叫ぶと、黒い影は立ち止まった。だが相手は背中を向けたままで、肩越しから視線だけを投げて、答える。
「傘が、有る。」
「……え?」
「傘が有るのだから……俺は在らずともいいだろう。」
「そういうことじゃなくて……あ、コラ! ライドウ、待てってば!」
不可解な台詞。
鳴海がその謎を解く間もなく、ライドウはとっとと先に行ってしまう。
謎解きは叶わぬまま、鳴海は一先ず傘を開くと、跳ねる水飛沫に構わず後を追った。

雨音と足音、どちらが強いだろう。
いつしか雨は小降りになっていたのだが、今の鳴海は最早ライドウのほうに意識が惹かれていて、それには気が付かないでいる。

「はぁ、はぁ……あはは……歩くの、早いんだなライ、ドー、は……ハァ、……はは。」
どうにか追いついた――追いつけた鳴海は、肩で息をしながら話しかけた。
ぜいぜいと息の荒い状態から話すその様は、一見すると見事な変質者である。
だが、この氷の君はそんなことなど気にしない。
否、気にも留めない。
ただ真っ直ぐに正面を見たまま、言葉を返すだけ。
「お前は、道を知っているだろう。それなのに、俺の後をなぞる。……何故だ。」
「はぁ、あのねぇ……折角なんだから、一緒に、帰るん……だよ。」
「意味が、解せない。」
「だ、ろうね……はぁ。その辺については、俺も期待してないよ……。」
鳴海はどうにか呼吸を整えると、傘を傾けて空を見た。
そうすれば、何時の間にか小降りになっているのに気づく。
「あ、雨。マシになったなぁ……この分だと、今夜中には止みそうだね。」
そんな事を呟くと、隣のライドウが緩やかに首を振った。
「否。……雨が去るのは、もう少し後、だ。」
「去るって……止む、の間違いだろ。ああ、そういや……足音がどうとか言ってたっけ。」
鳴海は、ライドウをちらと見た。そこでふと何かを思い出したのか、思い出し笑いに似た微笑を浮かべながら言った。

「ねえ。雨の足音は、まだ聞こえているのかい? 書生くん。」
「……。そのようなことを聞いて、どうする。」
ライドウの冷たい瞳が鳴海を映す。
氷の君の怜悧な一閃。
信じなかったくせに、と咎められている気がして、鳴海は一瞬怯んだ。
ライドウは相変わらずの無表情さで以って、ただ静かな声で言葉を繋ぐ。

「俺の答えなど、お前にとっては塵芥なのだろう。現に、傘を持たずに出た。」
「あ、あれは仕方ないだろ!? だって、めちゃくちゃ晴れてんのに、ライドウってば傘を持っていけ! なんて言うから。」
ひたすらに早口で、鳴海は言い訳を口にする。役に立たない言い訳だと、自覚しながらも。
「それに、あんな見事に晴れてたんだ。雨が降るから信用しろ、っていうのが無理なんだよ。――そうじゃ、ないか?」
「……信用を課したわけでは、ない。お前のことなど、心にかけてはいない。」
心にかけない――つまりは、「どうでもいい」。
連鎖した言葉を受けて、鳴海は少々むっとする。

「じゃあ、何で俺を迎えに来たのさ。心配だったからだろ?」
「……否。」
「嘘つけ。無関心だったら、こんな夜中に、しかも雨だってのに、わざわざ迎えに来るもんか。
認めちゃえよ、ライドウ。鳴海さんが心配でした――って。」
「お前が濡れて帰ると、室内が汚れる。病に掛かると、費用がかさむ。故に手間を省いた。――それが、理由だ。」
「掃除……。手間……、」
ぐっと唸る鳴海。
ライドウの性格を考えると、それは全くに正論だった。
おかしな言い訳には聞こえないし、言葉の端から端まで、特に不自然さは見られない。
黒猫至上主義。
それが、十四代目葛葉ライドウ。

けれど――本当に?
本当に、それだけ?

いつもならば、ここで諦めることが多いライドウとの会話。
だが、今回の鳴海は引き下がろうとしなかった。
それはもしかしたら、まだ少し酒が残っていたせいなのかもしれない。

「――ライドウ!」
何かに背を押されるように、ライドウの腕を捕らえて引き止めた。
振り向いた漆黒の瞳が、鳴海を真正面から捕まえる。

雨が強くなる中、そうして二人きり。