万里の陽光、千尋の月闇
01.出逢い交差、道の重なり
往来を行き交う人の目が、一人の書生に集中する。
向けられる視線は畏怖の混じった憧憬。書生から放たれる気配の冷たさに身震いするのだが、何故か見ずにおれない引力に引かれ、人々はただ呆然と黒い外套に身を包んだその書生を陶然と見つめ続ける。
その書生は目深に学帽を被っており、表情を窺うことは出来ない。
だから、どんな顔をしているのか分からない……筈なのに、それでも自然と衆目を引くのだ。
強く、深く――惹きつける。
最初は黙々と道を歩いていた書生だが、不意に庇に手を掛けると視線を地に落として呟いた。
「……あれらは、何を見ている。」
書生の言葉を受け、傍らに付き添うようにしていた足元の黒猫が、ヒゲを揺らして笑った。
「ああ、あれか。あれはな――」
他者には聞こえぬ言の葉で、猫が言う。
皆、お前に惹かれているんだよ。お前のその隠しても滲み出る深い美貌に、捕まったのだ。
――だが、猫はその心中とは裏腹に別の言葉を口にする。
「――ま、猫を連れた書生が珍しいんだろうさ。気にするな。」
「……別に、気にはならない。唯……」
「ただ……何だ?」
そこで書生が立ち止まったので、猫も歩みを止めて彼を仰いだ。
視線を腰元の刀へ流し、書生が言う。
「貴方に、無遠慮な視線を向けているのが……問題だ。」
そう言って、かきりと刀の鍔を鳴らせる書生に、ぎょっとした猫が外套の裾を噛み引き止める。
「こ、こら! 往来で刀を抜くんじゃない。珍しいものがあれば、見る。人というのはそういうものなんだ。俺は気にしていないし、気分を害してもいない。だからそれを仕舞え、七綺!」
猫の言葉に、書生は尋ねるように首を少し傾げたが、やがて小さく頷くと。
「……貴方が、良いと……そう、言うなら。」
かきり。
そう言って刀を鞘へ収め、何事も無かったかのようにまた往来を歩き出す。
猫は、やれやれと首を振ると溜め息めいた息を吐き、書生の後を追いながら一人ごちた。
「はぁ……あの性格は、そう簡単に変わらんものだな。」
人々の雑踏でざわめく中、そんなことを小さく呟いてみせれば、少し前を歩いていた書生が振り返り、猫を見て尋ねる
「ゴウト殿。……俺が、何か。」
「……地獄耳か、お前は。何でもない、戯言だ。ほら――いいから、目的地へ行くぞ。」
「――ああ。」
そうして一人と一匹、共に並んで街を行く。
向かう先は、この帝都でしばらく行動する際に身を預かってもらう場所。
「しかし……まさかとは思うが、本当にあいつが居るんじゃないだろうな。」
と、猫が――ゴウトが呟けば。
「それが、貴方の煩いになっているのか。……ならば、俺が排除するが。」
それを聞いた書生が――ライドウが、そう言ってかきりと刀を押し上げたものだから、ゴウトは急いで首を振って言い繋ぐ。
「ま、待て七綺! 仮初の住居を提供してくれる相手に、それはマズイ!」
「……だが、貴方が憂いているように……見える故。」
「気のせいだ、気のせい! とりあえず、何があっても刀は抜くなよ! いいな!?」
「――……御意。」
そう言って颯爽と足音無く歩く書生の名は、葛葉ライドウ。
側に従者の如き付き添う黒猫の名は、業斗童子。
意識惑わす艶麗の影を引き連れ、ゴウトは向かう。
――鳴海探偵事務社という名の、建物へ。
◇ ◇ ◇
その頃、鳴海は運悪く仕事に追われていた。
別に怠けていたわけではないのだが、気が付けば机上に書類の束が積み重なっているという有様。
まあ、少し前に山奥で隠居めいた生活をする羽目に陥っていたのだから仕方ない――。
「ちょっと夜遊びが過ぎたかなー……あっは……。……はぁ。」
……仕方ない、というよりも、もうこれは自業自得なのかもしれない。
だが流石に部屋に篭りきる羽目になってから一週間ともなると、気分が滅入ってくる。
鳴海は気分直しをしようと考えたのか、煙草を咥えるとライターを取り出し火をつけた。
――かきり。
「そういや、あの森の庵であった子……今頃どうしてるんだろうなぁ。」
かきっ、と意味も無くライターの火打ち部分を鳴らし、鳴海は天井を仰ぐ。
「なーんか、あの子に会ってから日常が退屈なんだよねー……。」
退屈げな声を上げ、欠伸を一つ。そして、また書類の山の片付けに取り掛かろうと机に目を戻した時だった。
ふ、と……一枚の封書に、目が留まった。
何の変哲もない封書。いつからあったのか、妙に何かが気になった。手に取り、しげしげと眺める。
そして表に記された文面を見て、鳴海は笑った。
「あー……そういや、下宿人がどうとかっていうのを引き受けたんだっけ。」
面倒臭いな、と思った。けれど断れなかった。
断ることを許さない圧力のようなものを感じたからだ。
「こういう商売柄が、こういうのを引き寄せるのかねぇ?」
鳴海は溜め息を吐きつつ、中身に目を通すため封書の口に手を掛けた。
「確かここにペーパーナイフが――……って無いや。ま、いいか。このまま破こう。」
言うなり、びりびりと破る。
どうせ大事なのは中身だ。外側は別に手荒に扱っても良いだろう。
「えーと、何々……あ、今日来るんだ!? やっば、掃除とかしてない……けど、いいか。」
文章が少々堅苦しいので、目が疲れる。
「それで……ああ、来る子は書生なんだ――」
そこで、あの美貌の人形が鳴海の脳裏を過ぎった。
「はは……まさか……。」
空笑いを浮かべながら文面を読み進めていくうちに、書生の名前が明らかとなる。
「えーと。名前は……かつら……ぎ……じゃ、ないな。ああ、これはくずのはか。ええ、と……くずのは、らい――」
名を紡いだのを合図にしたかのように、がちゃり、と戸の開く音がした。
◇ ◇ ◇
ノックどころか入室の際の挨拶も何も無かった戸の開閉に、鳴海は険しい顔付きになった。
大抵、無作法ものというのは依頼主や来訪人などではなく、真っ当じゃない人間だったりするからだ。それも、普通じゃなかったり堅気で無かったり――最悪、人ですらなかったり。
そっと懐の拳銃に手を伸ばし、相手の正体を確かめようと鳴海は顔を上げる。
その次の瞬間、彼は口を大きく開けて絶叫した。
「葛葉……ライドウ!?」
「……――。」
鳴海のひどく驚いた大声に、相手はただ僅かに顔を上げ、無言のままに鳴海を見つめ返したのみ。
代わりに言葉を返したのは、足元に居た黒い猫。
「……嫌な予感がしてたんだ。ああ、やっぱりこうきたか。はぁ……。」
ゴウトが何かを諦観したような吐息を吐き、うんざりした顔で言い繋ぐ。
「やはり鳴海とはお前か。お前だったのか。」
「ゴウトまで居るのか……。何だ、じゃあお前さんたちが葛葉御一行様かい。」
「軽口は健在のようだな、鳴海。」
「あっは、まあね。――ま、立ち話もなんだから、そこへ座りなよ二人とも。俺が特別に珈琲を入れてあげるから。」
「いやに気が利くな? ……ともかく好意に甘えさせてもらうとするか。七綺、座ろう。」
「……分かった。」
ゴウトがライドウと共にソファに腰掛けるのを横目で見ながら、鳴海は笑う。
綺麗な人形が手に入った、と思った。
漆黒の髪、白亜の肌、何処までも整った美貌の人形。
性別が男だというのが、本当に残念なくらい綺麗な青年。
だが、それはもう気にはならない。見事な美貌は、難癖をつける隙を与えないから。
あの黒水晶の瞳は、何を映しているのだろう。
あの美しい人形は、何を思っているのだろう。
何を見て、何を考え、何を感じているのだろう。
心を持たない冷たい人形。
その人形が今、傍らに居る。
ここに、間近に。
――俺のいる世界、帝都を護りに。
色褪せた日常に、色が付く。
「ゴウトは牛乳とかの方がいいよな? ――はい、お待ちどうさま。」
俺のこれからの日々は、どうやら退屈ではなくなりそうだ。
鳴海の口元に、不敵な笑みが一つ浮かんで消えた。