白猫ジェラシイ
01.白亜の到来
刻は夕暮れ。
十四代目は未だ帰還せず。
今日は、それぞれに用事があった。ライドウはいつもどおり探偵見習いとしての踏査だが、ゴウトは目付役として、ちょっとした報告があったのだ。
だから本日は、お互いに別行動をしよう、と。
……そう言ったのに、彼の書生は――ライドウは黒猫の後をついて来た。
だから振り向いて、「どうした?」と問えば、相手は感情の無い黒瞳でゴウトを見つめ、一言。
「……貴方の用事を、優先する。」
「俺に付き合うと言うのか? だが七綺、下手をすればお前の踏査が出来なくなるぞ。」
「――構わない。」
ああ、いつもこうだ。
この書生は、己の用事よりもゴウトを優先しようとする。
……いつもそうだ。
何と素晴らしい忠誠心――とは思うも、誉めるわけにはいかない。
葛葉ライドウを継いだ者としては、これでは駄目なのだ。
ゴウトは少しばかり心を鬼にし、葛葉の目付役としてライドウを叱る方法をとる。
「七綺。お前の継ぎし名が護るものは、何だ? 俺では無いだろう?」
「だが――」
「葛葉ライドウ、帝都の護り刀よ。お前は己の役目を果たせ。良いな?」
「……、……解した。」
深々と頭を下げる、ライドウ。素直に頷いてくれたが、帽子の庇の下で伏せられた目を見て察するに、完全に納得はしてないらしい。
やれやれ、困った雛鳥だ。
ゴウトは苦笑しつつも、とりあえず今日はそういうことだから別行動だ、と言って、鳴海事務社のビルヂング前にて、それぞれ左右に別れた。
――以上が、午前の出来事である。
そして今はもう黄昏が終わる時刻。もうそろそろ帰って来ても良い頃合だ。
一人だから踏査に時間が掛かっているのだろうか? 彼の書生は未だ対話の技巧が拙いから、少々心配になってきた。
どれ、姿を探してみようかと。
ゴウトが窓辺に近づきかけた時、ドアが開いて影が姿を現した。
それは正にいま待ちかね、探そうとしていたものだった。
◇ ◇ ◇
足音無く帰ってきた書生に、今更驚くゴウトではない。しかしゴウトは猫特有の丸い目をより大きく見開き、驚きの表情でライドウを見つめていた。
室内に入ってきたライドウが顔を上げ、そこで互いの視線が合う。
ゴウトはライドウを少しばかり呆然と見つめた後、呟くような声音で言った。
「……七綺。」
「ああ……ゴウト殿。先に、戻られていたか。」
ライドウは抑揚無い声で言葉を紡ぎながら、ゴウトの居る方へと歩いてきた。
近づいてくる書生の足音はやはり見事に聞こえず、ゴウトは感嘆する。――が、今はそれどころではない。
ゴウトは僅かに正気に返ると、頷き、ライドウに応じる。
「今回の捜査報告は簡単だったんでな。……それよりも――七綺?」
「何か。……ああ、帰宅の挨拶、だったな。……ただ、いま。」
「お帰り――じゃなくてだな。」
ひくひくとヒゲを揺らめかせつつ、ゴウトは無表情なライドウの外套にぶら下がっているものに目を留めて、言った。
「……その子猫はどうした。」
言われて、ライドウはゴウトの視線が注がれている箇所に目を向けた。
そこには成程、黒い外套に映える真っ白な塊が、ひしとしがみ付いてある。
ライドウは一つ頷き、答えた。
「落とした金丹を、拾うより早くにこのものに食べられてしまった。……其の行動は無断であったので、咎めた、のだが――……殺生も、宜しくないと……思った。」
「……そうだな。」
さらりと怖ろしいことを言い放ったライドウに、ゴウトは一瞬ぞっとしたが、実行に移していないようでとりあえず安堵した。
頼むから、そのまま殺生だけはせんでくれよ……と杞憂を抱くゴウトの心中など知らずに、ライドウは淡々と説明を続ける。
「横領に対する罪は無効にし、その場より立ち去ろうとしたのだが……――何故か、このように着いてきた。」
「ふむ……。」
そこで唸り、ゴウトは沈黙した。まさか、この無表情な書生に擦り寄るものが居るとは。
そのまま白猫を見つめ、考える。
小さな猫。
幼すぎるが故に、ライドウの無機質さが伝わらないのだろうか。
それに、金丹は甘い。もしかするとこの子猫は、ライドウがそれを与えてくれたものだと、考えたのかも知れない。
だとすると、子猫がこうしてしがみ付いて来たのは――……。
「お前、懐かれたんじゃないのか?」
「……九十九の類には、見えないが。」
「その”憑く”じゃない。……というか、七綺。お前もしや、その猫をぶら下げたまま街中を歩いて帰ってきたのではあるまいな?」
猫が未だにぶら下がったままなので訊ねてみれば、彼の書生は無表情に首を僅かに傾げた後で――こくりと、頷いて。
「ああ。貴方の言の葉のとおりだ。……何か、問題だったか。」
「……いや……お前が気にならんになら、別にいいんだが。」
感情を帯びない漆黒の瞳にジッと見つめ返され、ゴウトは思わず目を逸らした。
この無頓着さでは、帰宅の道中にてさぞかし多くの衆目を集めたことだろう。
帽子を被って美貌を押し隠しているとはいえ、この書生は惹き付ける。
視線を、意識を。
己が何もせずとも、強く引き付け……魅了するのだ。
何事も起きずに済んではいるが、しかし――黒い色彩の中での真白な子猫は、さぞかし目立ったことだろう。
……はあ。
ゴウトは溜め息を吐くと、白い子猫に目を向けた。
小さな塊は、ライドウが何処までも無関心なせいもあって、外套にしがみ付いたまま衝立に掛けられて鳴いている。
自力では降りられないらしく、先程から「助けてくれ」と言わんばかりにライドウを見つめてミャアミャア鳴いているのだが、当の書生はゴウト以外には素っ気無い。
だから、今もあのままで。
「……七綺。その猫は、どうするんだ?」
気になったので聞いてみれば、ライドウは猫ではなく外套に目を止め、静かに言う。
「……貴方に煩いを掛けるようならば、置いてくる――」
言いながら外套に爪を立てて必死に鳴いていた子猫を無造作に掴んだので、ゴウトはぎょっとして叫んだ。
「待て待て! 相手は子どもだ。いま少し、面倒を見ようではないか。」
「……。貴方が、そう言うなら。」
子猫を掴んだライドウは振り返ると、ゴウトと手の中の子猫を交互に見遣った後で、一つ、こくりと頷いた。
こうして、彼の子猫はやって来た。
冷えた氷に怯むことも無く、無防備に。