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刹那の宵、瞬きの暁

01.始原の庵



そこは何処かの、広く薄暗い大広間だった。
中央には外套に身を包んだ人影と、小さな黒猫の影がそれぞれ一つずつあり、互いに向き合っている。
張り詰めた気配の漂うその中で、しかし黒猫は一介にした様子も無く、大仰とも呼べる仕草で天を仰いで欠伸をすると、後ろ足でかりかりと耳の後ろを掻いた。

懐かしい空気、久方ぶりの現世を眼にして、黒猫がまず抱いた感情は帰還による喜び。
太陽はこんなにも眩しかったのか、風はこんなにも涼やかなものであったのかと。
今の状態ならば、そんな些細なことにすら感動してしまう。それ程に気分が高揚していた。
年のせいか?――と、そんな思考が過ぎったが、それには知らぬ振りをした。
冗談じゃない。
そんなもうろくをするには、まだ早い。
幾星霜の年月を経てきた存在とはいえど、気持ちはまだまだ若い者には……いや、これ以上は空しくなるから止めておこう。

だが、そうして世に戻れた喜びを味わっていられたのも束の間。
身体をほぐすために大きく伸びをしているところで、ヤタガラスの使いに話しかけられた。
此方の予定も気分も聞かずに話し始めた限りでは、どうやら今回も自分自身の自由は無いらしい。
まあ、自由が無いのは”当たり前”のことなのだが、それでも少しは気遣ってくれでも良いだろうに、と心中で呟きながら黒猫は相手の話に耳を傾ける。

使者が語る内容を端的に言うと、今回も前回と同様のものだということだった。
……いや、前回も何も、これは常に変わらない”役目”なのだから今も前もないのだろうが。
ともかくそれは、いつもと同じ有様。
「新たに葛葉ライドウを襲名した、一人の青年の面倒を見ろ」と云う内容だった。
ああ、本当にこれだけは何時まで経っても変わらないな、と黒猫は思う。
考えようによっては、子供の御守でも任せられている気がしないでもないこの任務。

「子供の御守」――当の新米が聞いたなら、眉を顰めて気を悪くするかも知れないだろう。
が、此方から見れば新米は新米。雛は雛。何をどうしても容易く、可愛いものでしかない。
いつの葛葉も、そうだった。
いつもいつも、そうだった。
脳裏を過ぎった懐かしき回想に黒猫は目を細め、唸る。

初代より数えて十四代目。
新しい継承者が漸く決まったか。
久方ぶりの葛葉。
ああ、本当に懐かしい。
それにしても、最強のデビルサマナーである此度の葛葉一族の名を漸くに継いだのは、一体どんな人間なのだろう。
どのような性格で、どのような面差しでいるのだろう。
新米の葛葉を想像する黒猫の口端が、く、と持ち上がる。

「……これはこれで、愉しみが出来て良いな。」
黒猫は人の言葉を模り、まるで人間のようにニヤリと笑った。
自由が制限されていても、この愉しみがあるだけ、まだいい。
そうして話をすっかり聞き終えた黒猫が、気を持ち直して出掛けようとした、その間際。
今まで黙していた使者が、黒猫を呼び止めた。
立ち止まり、首だけを捻じって視線を返せば、相手は静かな声でこう言った。


「――此度の葛葉ライドウには、気をつける様に。」
「気をつける?」
――何を?
難解ではないが疑問を抱くには充分な言葉を受け、黒猫は怪訝そうに眉を寄せて訊き返す。
「それはどういう意味だ。」
「……あれは全てを飲み込む虚無。せいぜい呑まれぬよう、意思を保っておきなさい。」
使者の言葉はやはり全く意味が分からず、黒猫はただ呆れたような眼差しを向ける。
「俺を何だと思っている? 成りは黒猫の形を模してはいるが……解って言ってるのか?」
見くびるなよ、とでもいう風に鼻を一つ鳴らして、黒猫は言葉を言い繋げる。
「しかし、まあ、その不可解な進言は一応、有りがたく受け取っておこう。……じゃあな。」
自信ありげに笑った黒猫が、そう言って踵を返し、立ち去るのを見送りながら。
使者は音の無い溜め息をそっと吐いて、静かに呟いた。

「あの存在を言葉で明確に表現するのは不可能、か。ならば……自身の目で確認するがいいでしょう、業斗童子。」
そして姿を消し、後にはがらんとした気配が漂うのみ。


◇  ◇  ◇


「退屈な人間でなければ良いがな。」
そんな一人言――いや、人ではないが――を呟いて、黒猫は雛鳥が待っているという場所へと目を向けた。
視線の先には、ひっそりとした庵が一つ。
木々に囲まれた、というよりは、外界から隠されたといった感が否めない処だった。
太陽はまだ高いところにあるというのに、何故か庵の周囲だけが蒼く、ひどく昏い。
まるで、隠者の檻のような小屋だ……と感じるくらいの雰囲気が漂っている。
隠された世界、閉ざされた箱庭。

「……変わった処に居るのだな。」
こんなにも殺風景で、こんなにも粗末この上ない場所に住んでいるとは。
このような状況下に置かれたデビルサマナーは、初めてだった。
しかし、今回の葛葉がどういった場所に居るのであれ、それは関係のないこと。
必要なのは、その中身なのだ。

つまらない存在ならば、依頼を請け負うことなく引き返してやろう。
そんな意地の悪い考えを頭に浮かべながら、黒猫はゆっくりと庵の方へと歩きだした。
果たして、待ち受けているものは吉か凶か。
葛葉の名を継いだ以上は、禍つものではないと――、……そう思うのだが。