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書生の御守猫 omamori

01.まどろみ


日々精進を重ね、逞しくなっていく十四代目。
帝都の災厄を払う度に、強くなっていく書生。
一人前になるのも間近だな、と黒猫が微かな痛みを覚え始めたそんな折――当の書生が倒れてしまった。雨の日でも風の日でも生真面目に踏査をしていたものだから、過労で倒れるのではないか、と。
そう心配し、休暇を薦めようとした矢先の出来事だった。

「そら見たことか。」
溜息を吐くは、彼の書生の目付役兼相棒たる黒猫。
踏査で一日を潰した時などに、温かい風呂に入って着替えて早く休めと進言してやったにも関わらず、やれ夕餉の支度がとか、やれ報告書がまだだからなどと抵抗したから――真面目すぎるのも問題だ――ああ、だからそのせいでこうなったのだ。
流石に気掛かりになり、一度、本気で叱ったほうが良いなと効果のありそうな説教をあれこれと考えていたというのに。
「無駄になったじゃないか、七綺。」
この空いた手間をなんとする、とゴウトはむくれた声を出したが、当然ながら本気ではないし本心でもない。
手帳の一頁に連ねた説教案を一息に破りとると、それを横へプッと吐き捨てた。
この案、彼の書生の役に立たねば最早紙屑でしかない。
我が役目、指南すべきは”十四代目”――だがこの心、見守りたいのは”七綺”その人だ。

「さて……と。どうしたものかな。」
長々と書いた説教案――すっかり屑と化したソレを、何の躊躇いもなく塵箱へ捨てたゴウトは、再び思考に意識を寄せる。
とにもかくにも、人の手を借りずには居られぬこの状態。しかし、幸か不幸かその”人の手”の主は、生憎と別件以来で昨日から出掛けてしまっており、助力を仰ぐことは出来なくなっていた。
その男の出掛け先が、例えば花街などであれば、それこそ韋駄天の如く駆けつけて噛み付いて連れ戻してやるのだが――今回は本当に”真っ当”な捜査依頼の為、どうしようもない。
帰ってくるのは明日か明後日辺りだと言っていた。
上手く事態が収束に向かえば、と仮定した上でのことだが、今はあの男の能力に賭けてみようと思う。
日頃の自堕落な姿は仮初なのだ、という己の想像は、はてさて正解か否か。
「そういえば休業札は掛けていると言っていたな。ふむ。来客の心配は無いだろうが……」
ゴウトは、呟き、ぐるりと室内を見回した。
片付いた事務所内。鳴海が不在なのもあって煙草の灰や匂いを気にしなくて済むのは大変にありがたいが、その一歩でこうも人手が無い状況なのもまた困るものだと気付かされる。

「ここは、ヨシツネでも喚び出すべきか? いや……駄目だな。」
一計を思い浮かべるも、直ぐに却下する羽目になった。
この業なる身。ぎりぎり召喚管を使うことは出来る(勿論、ライドウには秘密だ)が、しかしながら現在の契約者はライドウなので、マグネタイトの負担は彼に掛かってしまう。それは病人に対し、宜しくない。
――いいや、七綺にそんな負担を強いてなるものか。
「と、なると……頼りになるのは、つまるところ己か。」
ゴウトは視線を落とし、じっと己の手――ならぬ、前足を見た。
紛うことなき獣の手足。高い所から落ちても平気だし、音を立てずに歩くことも出来るが、しかし人の動作となると途端に何の役にも立ちはしない。

ここは誰かに頼るべきだ。この獣の身ではどうしようもない。
――そうした自覚があるのに、しかしゴウトは誰かに頼ることを由と思わなかった。

「あれは己の雛だ。」
羽が生え揃った今も、人馴れしない猫が見せる僅かな不器用さが健在な麗しき書生。
デビルサマナーとしてすっかり逞しくなれど、見違えるほどに鮮麗な帝都の刀となれど、自分には――この業斗童子にとっては、今も未だ雛鳥のままだ。
成長を認めていないわけではない。
だが――。
「自己管理を怠ったんだから、未熟者だ。」
己が心身すら満足に管理できぬとは、何たる事。
ああ、まだまだ見習いだ。
ああ、だから。
だからこそ、まだ。

「お前は俺が見ていてやらんとな。……そうだろう? 七綺。」
そう呟く黒猫の顔は叱咤からも非難からも程遠く、ただただ甘い声でいた。


◇ ◇ ◇


ドアを開けるのは存外簡単だな、と思った。きい、と開いたドアを見上げながら、ゴウトは己の成功ににんまりと笑う。
それは、高さと位置を確認して取っ手に飛び着くだけの行動で済んだ。――獲物を狩るときの感覚を思い出せば良い。後はそこに、少しの野生と人の知性とを混ぜれば完璧だ。
力加減を見極めた知性の成果は、それ程大きな音を立てなかったドアに現れている。
やはり俺は並みの猫とは違うのだ、と少し誇しげな顔をした黒猫のその側に、書生がいたならば、きっと膝から崩れ落ちていただろう。

「七綺は、まだ眠っているのか。」
室内に入ったゴウトは、寝台の上に横たわるライドウの姿を確認すると、足音に気遣いながら近づいた。そして、その枕元に目障りにならぬ程度の足音で飛び乗ると、声量を幾分落として話しかける第一声は――。
「この、莫迦者め。」
見舞いではなく、叱責だった。頬を伝う汗に目を留め、それを爪隠した前足でチョイチョイと拭ってやりながら黒猫は続ける。
「適度に休息は摂るようにと、あれほど強く言っておいただろうが。」
咎めつつも、額に乗せられた手拭の温度を確かめ、温くなっているのを見て取るなり器用にそれを口に咥えて取り替えようとする辺りが実に彼らしい。
「ん……」
取り替えた手拭の清涼さに、まどろみの内にあった書生が目を開けた。
「……? な、に……?」
「俺だよ、七綺。」
おぼろげな覚醒のせいか、ライドウは側にある気配に一瞬ぎくりとしたようだが、ゴウトが話しかけたことによって、すぐさまその警戒を解いた。
ぼんやりした表情でゴウトを見上げ、ああ、と口を開く。
「……来て、くれた……のか。」
「当たり前だ。お前を独りにしておけるわけないだろう。」
何を莫迦なことを、とでも言うような口調で、スッとライドウの頬に擦り寄った。感触で理解させようとしたのか、それとも”分からせて”やりたかったのか。
「具合はどうだ? まあ、その有様では好調では無いんだろうが。」
「ん……うん……。」
いつも日当たりの良い場所で眠っているせいか、黒猫からは太陽の匂いがした。
ライドウは気分が良くなったような感覚を受け、僅かに微笑みながら告げる。
「体調、は……快方に、向かっている……、と思う。……だから――」
「ああ、ああ、喋るな。もう良い七綺。報告はそこまでだ。」
相手の言葉を途中で止めたのは、ライドウの声が妙に掠れていたからだ。喉を痛めさせて、更に不良を加えるのは良くない。
「お前の具合は大体分かった。だいぶ熱にやられているようだな。」
「ん……そう、だな……。」
「薬は飲んだか?」
「ああ。……いや、まだ……食事を、摂っていない、から……」
「食後服用のやつか? ……どれ。」
喋りながら、ゴウトは枕元の小机にある包みに目を向けた。
顔を近づけて中を覗けば、粉薬だろうか、薬方に包まれた小さな塊が幾つかあるのが目に付く。スン、と鼻を鳴らせば、薬独特の妙な芳香が鼻を突いた。
「良薬らしい香りだな。――七綺。起きられるか?」
「……。」
包みを破らぬよう外へ出してから、彼の書生に質問を投げる。だが、相手は目を閉じたまま言葉無く、力無く、首を横に振った。先程懸念した通り、声を出すのも辛い状態らしい。
「ふむ。その様だと、食事は軽食だな。白粥……いや、重湯のほうが楽か?」
猫らしからぬテキパキとした思考で、ゴウトはあれやこれやと脳裏に食事を並べ立てる。

「……七綺。一応訊くが、何か食べたいものはあるか?」
あまり会話をさせたくは無いが、希望があるならば叶えてやりたかった。
もしかしたら、意外に食欲があるのかもしれない、と考えたのだ。
つん、と鼻先で彼の頬を突付いて訊ねれば、相手が――七綺が、ゆっくりと目を開けた。
熱のせいか潤みを帯びた黒瞳が、ゴウトをひたと捉える。
七綺は少しの間黙っていたが、やがて、ぽつり、と言葉を吐いた。
「……ト。」
「ん、何だ?」
「ゴウ、ト……が」
「……七綺?」
呼びかけではない言葉に、黒猫は怪訝そうに顔を顰める。すれば視界の端、気怠げに伸ばされた手が見え、しなやかな指先がコチラの顔に触れるのをゴウトは見た。
「どうした、七――」
戸惑い大きくなる中、書生が途切れがちに言葉を繋ぐ。

「ゴウ……ト、が……――食べたい」
「――なっ!?」
動揺した声を上げるゴウト。いいや、これで驚かないものが居ないわけが無い。
硬直したゴウトに、七綺はゆったりとした笑みを見せ――。

――ことり。
触れていた手が落ちる音と共に、そのまま眠りに落ちてしまった。
後に残されたのは、動揺を与えられた黒猫。

「な、な、な」
バクバクと大きな音を立てている己の心臓の鼓動を感じながら、ゴウトは七綺から距離をとるように、ふらり、とよろめいた。
「――何だったんだ今のは。」
愕然とした声で呟き、ふつりと糸の切れた人形が如くことりと眠りに戻った書生をまじまじと眺める。
『ゴウトが食べたい』と――そう、七綺は言った。そう聞いた。聞き間違えではなく、確かに。
それは猫の肉を、という意味か?
それとも業斗童子の何かを、という意味か?
いいや、後者であるわけが無い。ライドウは――七綺は、そういう人間でない。
むしろこの場合、食べたいと言うべき側なのは彼ではなくこの自分ではないのか――。

「――いやいやいやいや! 違う違う違う!」
ゴウトは、その劣情――いやこれは最早邪念といってもいい――を跳ね除けるように、首を大きく左右に振った。
今、自分は何を考えた!?
病人相手になんということを! 鳴海ではあるまいし! 

「違う、そうじゃない。そうじゃないんだ……が――」
ゴウトは考える。
先程の言葉の意味を。
「……七綺。」
「ん……。」
息苦しいのか、僅かに開かれた唇に視線が引き寄せられる。
紅でも引けばさぞ艶やかであろう、柔らかそうなその肉。奥に覗く舌などを見ていると、絡めてやりたい、いいや人が身であったならばそれこそ遠慮無く唇を重ねて貪って――……。

「――俺は莫迦か!」
止まらぬ己の何とも淫らな妄想に、ぎりぎりのところで我に返ったゴウトは低く呻くなり、バッと相手から離れた。とん、と軽い音を立てて飛び降りた床の上で、はあと溜息を吐く。
全身の毛が逆立っているのがわかる。
ああ見っとも無い。
ああ情けない。
しかしながら、「猫で良かった」などとは思うまい。
猫であるが故に、まともな看病が出来ないのだから。

「はぁ……重湯なら俺でもどうにか出来るかもしれんな。」
作ってくるか、と他に人が応じるわけもない空間で呟くと、ゴウトは食べるものを調達する為に、ひとり水場へ向かった。
よたり、よたりと。
まるで酩酊者のように。
ふらり、ふらりと。
微熱に浮かされた幻覚者のように。
廊下に揺れる、黒い影。

ああ。
風邪は移ると言うが、しかしこれは――。

「何よりも酷い”病”だな、全く。」
これ以上その病状が進み、盲目にならぬことを今はただ切に祈った。