業に徒なす咎猫は
◆01◆ その軽視は罪深き
葛葉が里の広間で見覚えの在る黒猫との再会を果たした時、ライドウは込み上げる嬉しさを抑え切れなかった。
懐かしい気配。懐かしい声。
黒猫は静かな足取りで近づいて来ると、マグネタイトを更に磨きこんだような美しい緑瞳で十四代目を見上げて笑いかけた。
「久し振りだな――十四代目、葛葉ライドウ。」
そこで堅苦しい口調を切ると、黒猫は――業斗童子は、にんまりと微笑んで。
「随分と無沙汰をしていたが……俺のことを覚えているよな、七綺?」
僅かに砕けた口調。
広間には、黒猫の他に人影は無い。だが、姿見えずとも威厳の在る気配によって、彼らは二人きりでは無いのだと解っていた。
その気配の手前もあり、ライドウとしても真名の姿で応じるわけにもいかず、”ライドウ”で以ってしてゴウトとの会話に応じる。
「はい、ゴウト。貴方のことは、勿論覚えております。」
少しばかり堅苦しい口調のライドウは、昔の姿を見ているようで懐かしい。
しかも、ゴウトのみに見えた表情――猫で在るが故の下からの目線で、書生の帽子の下、庇の影より覗き見えたライドウの微笑に、彼の真の本心が知れたので気にはならない。
礼儀に準じた書生を前に、黒猫も己の役目柄、重々しく頷き返して会話を繋ぐ。
「うむ、そうか。覚えていてくれたか。流石だな、ライドウ。」
その上ゴウトもゴウトで、ライドウとの再会が嬉しかったらしい。
懐かしむように緑色の瞳を細めると、思い出の一端を語り始めた。
「そう言えば……時にライドウよ。お前は俺の活躍を覚えているか?」
過去を語り出したゴウトとしては、それは唯の想い出の一つに過ぎなかった。
「……活躍?」
ライドウが首を傾げる。ゴウトは、ウンウンと頷いて答えてやる。
「そうだ。前の任務に於いて、我らは衛星タイイツを撃破しただろう?」
「……っ。」
瞬間、ライドウの表情が強張り歪んだのだが、けれどゴウトは気づかないまま、得意げな顔で話を続ける。
「あれは、俺の捨て身の手柄があったからこその偉業だ。ふふ……なあ七綺? お前も、覚えているだ――……!?」
そうしてライドウを見上げようとしたゴウトだったが、そこで言葉が止まった。
◇ ◇ ◇
ライドウからの不意打ちめいた抱擁は、ゴウトを酷く驚かせた。禁じた行動では無いが、今この場には、葛葉のお偉方が居るのだ。その最中であるというのに、何という――……!
「な、七綺!? 何だ、おい!?」
「……。」
動揺のあまり、つい真名でライドウに呼びかけるも、当の書生は何も答えず、抱き締める力を強くしただけ。ぎゅうと締め付けられる感覚に堪らずゴウトは遂に声を荒げ、叱責を飛ばした。
「こら七綺――……この莫迦者がっ! 苦しいだろう! 離さんか――……っ!」
しかし、その怒りも途中で遮られることになる。
ぽたり、と。
何かが、ゴウトの耳に当たった。
濡れた感触。
ぽたり。
もう、一滴。
雫が、今度は顔に。
これは……涙?
「七綺? おい、泣いているのか?」
顔を上げようにも、抱き締められている為に叶わず。
それでも何とか視線だけを向けてみれば、ライドウの頬を伝い落ちる涙が見えて、ぎくりとする。
「七、」
「……などと、言わないでくれ。」
「……何?」
ゴウトが怪訝そうに眉を顰めれば、掠れた声でライドウが――七綺が、言う。
「命を捨てたことを、手柄、などと……言わないで、欲しい。」
「す、捨てたわけでは……あの時は他に方法が」
「確かに、時間があれば、別の方法が、あったかも、しれない……けれど、あの時は時間が、なく、て――でも、何もゴウトが……」
「お、俺はだな、七綺……ただ、お前の緊張を解いてやろうと――」
「――あの時、俺はただ見ていることしか出来なかった。」
ライドウの目の裏に、脳裏に焼き付いたあの光景は、時を経ても赤いままだ。後に、魂魄となったゴウトがその存在の無事を知らせてくれたが、それでもあの瞬間に感じた絶望をライドウは忘れない。
「ゴウトが散った空を見ながら、俺は何も出来なかったんだ。俺はそれが、今でも……悔しい。」
「……。」
抱き締める腕に、僅かながら震えが見て取れた。
ゴウトは目を閉じ、自身の発言が迂闊であったことを知る。
「ゴウト、業斗童子……どうか、あの時のことを誉れごとのように語るのは、止めてくれ。」
「し、しかしだな……ほら、タイイツの落下を防いだことは、帝都を守護するものとしては誉れであることだと――」
「……頼む、ゴウト。……後生、だから。」
「……。す、済まなかった。失言が、過ぎた。」
どう言い訳してみても、この涙からは逃げられぬだろう。観念したゴウトが謝罪を口にしたところで、大広間の何処かから声が降ってきた。
「はっはっは。誠、此度のライドウ十四代目とお目付は、仲が良いこと。」
重みのある声は楽しそうで、傍観者さながらのからかいが混じっていた。それを聞いたゴウトはムッとし、誰の姿も無い天井を睨みつけて唸る。
「ええい全く癪な……! おい七綺、そろそろ”ライドウ”に還り戻れ。今だ儀式の途中だぞ。」
そう声を掛ければ、ようやく七綺が立ち直り、ゴウトを抱擁から解放した。
「……済まない、ゴウト。いや……業斗、童子――」
まだ赤さの引かぬであろう涙で濡れた目を帽子の庇を押し下げて表情ごと隠した上で、ライドウが静かに謝った。
控え目に目元に手を当てて涙を拭うその姿を見上げながら、ゴウトは片膝付いた彼の側に近寄り、首を振る。
「あ、いや……俺も悪かった。全くに気の利かぬ発言だった。すまんな、七綺。」
「……ん。悪いのは俺のほうだ。未熟にも感情を制御しきれず、このような場で……。」
言ってライドウは立ち上がると、正面を向いて口を開いた。
「葛葉の皆様の前で無様な様をお見せしました事、誠に申し訳ありませんでした!」
真名を告げた時と同じような大声で以って広間いっぱいに謝罪の言の葉を投げると、ライドウは大きく頭を下げた。
何と言う立ち直りの早さか。
ゴウトがその謝罪に目を丸くしていると、また何処からか声が降る。
「十四代目、見事な謝罪受けたり。――さて。これよりは葛葉修験の儀の続きを行いたいと思うが、其の返事や如何に?」
すればライドウは顔を上げ、はっきりとした声で。
「御受けいたします。」
「ならば拍手を打ち鳴らし、この儀を締めることでお開きと願いたい。では、皆様お手を拝借。」
声のままに、ライドウが胸の前で両手を構える。
足元ではゴウトが、合わせる様に項垂れて。
厳粛な声が、拍手を促す言の葉を紡いだ。
それと同時にライドウがパン、と一つ手を叩き、ゴウトはライドウの脚に尻尾をパシンと打ち付けて、今回の修験の場は幕を下ろした。
其れより先に、まだ最後の儀、武闘演舞があったのだが――ライドウの腕が衰えている訳も無く、むしろゴウトとの再会によって煌めきすら増した技によって、無事合格へと至ったのだった。
そして彼らは再び帝都へ。
零れた涙に、少しだけの痛みを抱いて。