メサイアの詩
│01│ Golden Mead
――それは救いの無い運命であり、自らが選択した未来である。
金色の王の膝の上に、半ば強引に寝かされて。
見上げる空はドコまでも赤く、妙な周期で渦巻いている大気を見つめていると、引き摺りこまれるような錯覚がする。
音の無い世界。静かな箱庭。
他には何の気配も無いその場において現存しているのは、非凡たる少年と金色の王の二つきり。
――ふ、と不意に視界が暗くなった。
彼の方の手で目元を覆われたのだと気づいたが、抵抗どころか動くのが面倒くさかったので、敢えて放置してみることにする。
大きな変化のない世界では、思考も動作も緩慢になりがちだ。特に、この存在との逢瀬の時間においては。
なので、強制的に譲られている彼の方の膝枕をそのままに、胸の上で両手を重ねた姿勢で、ゆるりと訪れた微睡みを愉しむことにする。目元を覆う手によって生まれた闇に従い、うとうとしていた時だった。
「――っ。」
彼の微酔は、痛みによって止められる。目元に触れていた手は今や鋼鉄に似た枷と化して、がつりとコチラの側頭部を掴んでいた。どうも反応がないことに怒りを覚えたらしい。
少年――アスラは、心中で思い切り呆れた嘆息を吐く。
やれやれ。この神たる御方は、どうにも短気なところがおありになる。
断ち切った運命の糸。その代わりに、己の世界との繋がりも断たれてしまったが混沌王となりしこの身はもはや自由であり、彼の神の駒でも玩具でもないのだから従う道理はないというのに。
それなのにこの御方は、自らの戯れごとに付き合わせてくる。
神の寵愛など、コチラは全くに望んでいないというのに。……望み、願う時期はもう過ぎた、過ぎ去ってしまったのだ。
ああ、けれど今は言葉にはすまい。
この思考を語り明かしても、理解されることはないのだから。
しかしながら、このまま彼の君を放置して爪の一つでも立てられたら敵わない――死にはしないが、無駄な痛覚はご免被りたい――ので、側頭部を掴んでいる手に触れると口を開いた。
「……痛いんですけど、閣下。」
抗議を投げれば、掴んでいた手の力が幾分か和らいだ。……代わりに、周囲の温度が下がったようだが。
「何です。反応を返したでしょう。無視をしてはいないのですから、この手を離してくださいませんか。」
慇懃かつ無礼に語るアスラは、視界を遮られている為に相手の顔が見えない。だが、口元に嘲弄すれすれの微笑を浮かべているところを見る限りでは現状においての不安や恐怖を抱いていないことが分かる。
遮られた視界、闇の中より聞こえるは昏い声。
「近頃……狐以外にも、新しい玩具を見つけたらしいな。」
おや、耳が早い。いや、この場合は“目敏い”というのか。まあ、知られても困るような情報ではないけれど。
アスラは瞼の裏の闇を見つめて、頷く。
「ええ。情報源は何かは聞きませんが、まあまあ楽しく遊んでますよ。」
話題の出所を追及しない代わりに、コチラも馬鹿正直には明かさない。しかし、その物分かりの良さは再び彼の神のご不興を買ったようだった。
「うわ――っ……?」
突如、酷く強い力で引き寄せられた。その衝撃に流石のアスラも身を硬くしたが、腰に巻きついた腕と背に当たる体温とに、自分は抱き締められたのだということを理解する。
上体を引きずり起こされ、片手で視界を塞がれたままのこれを、果たして”抱擁”と呼んでいいものかは知れないが。
そうして向かい合って抱擁している格好になっている己の状態にウンザリしつつ、アスラは会話を再開させる。
「今度は何です、子供の真似でもしてみた――……っ」
尚も不遜な態度で応じようとしたアスラの言葉が、ふつりと途切れる。
首筋に冷ややかな、それでいて微かな痛みを混じらせた口付けがあった。
その奇妙な痛みには、覚えがあった。――忘れるわけが無い。不死に近いこの体、毒ですら最早脅威にはならないこの身に傷を付けることの出来るあの不可思議な代物が使用された時の、あの感覚だ。
マズイ、とそこで嘲弄を引いたアスラの耳元で、暗い声が哂う。
「ほう。やはり覚えていたか。」
「……っ、離せ、ルイ。」
遅まきながら腕を持ち上げ、相手の体を突き放そうとするも、既にソレの効果は現れていた。
思考がぼんやりし、四肢から力が抜けていく。
せめて毒を中和しようと集中するも、掻き集めた魔力はこちらの抵抗力の低下もあって、対面の存在がいとも容易く散らせてくる。
低く暗い嘲弄が、耳朶を打つ。但し、その蔑笑は自らのものでなく。
絡みつく悪意。金色の寵愛が眩しい。
こんなモノは要らない。
緩く首を振り、は、と苦しげな息を吐いたところで、後頭部を掴まれた箇所を支点に、後ろへ大きく仰け反らされた。
「ぐ、っ……、ル、イ――…っ!」
いい加減にしろ、と何とも無防備に口を開ければ、強引に唇が奪われるのも必然のことだった。
「ん、ぐっ……ふっ…んんっ……!」
どろりとしたものが真っ直ぐに喉を通り、胃の腑へと落ち込んでいく。
滴り落ちるソレは蜜。濃密な甘さに比例して深い毒を持つ金色たる酒の味が、口内ばかりでなく体中に染み込んでいく。
毒の相殺、敵わず。浸されて。
ああ落ちていく。その手の平に。
堕とされて納まる。その手の中に。
そうして身裡より緩やかに、確実に侵食されて――少年王は、くたりと神の腕の中。
すっかり大人しくなったアスラの視界がようやく晴れた頃、先ず見えたのが狂気の色を混ぜた微笑を浮かべる神の姿だったものだから、早々に目を閉じたくなった。
いっそ意識も閉じることが出来たら、どんなに良かったことだろう。
けれども、墜ちたる神の“慈愛”は無慈悲にも注がれるのだ。こちらの気持ちなどお構いなしに、実に甘やかに――加減なく、残酷に。
祈りの言葉は届かない。
まさに今、その対象はココにいるのだから。