TOPMENU

遙か彼方までの夕暮れ

02.黒き宵の帳は檻の中へ


いつ部屋に帰ってきたのだろう。
気づいたら、鳴海探偵社の自分の部屋に居た。
窓の外を見れば、黄昏はすっかり夕闇に暮れて消えている。いや、それ以前に今は一体何日なのだろう。

暮れる、黄昏。
ああそうだ、夕食の支度をしないと。
そう思考の何処かで考えるのに、何もする気が起こらない。
身体も心も、冷たく凍りついたまま――動けない。

両膝を抱え、身を丸くして床の上に座り込んでいる。
帝都の危機を食い止めたというのに、全く嬉しくない。いいや、一体何を喜べというのか。
喜ぶべきことなど、何も無いというのに。
デビルサマナーらしくない考えだが、……もう、それすらもどうでもいい。
咎めてくれるゴウトは、いないのだから。

あれから、三日。
ライドウは――七綺は、全く動けずにいた。


◇  ◇  ◇


「ライドウ? ……入っても、いいか?」
そのまま今日も一日が終ろうとする夕方、少し過ぎ。躊躇いがちに、戸を叩く音がした。
「……どうぞ、……鳴海殿。」
鳴海の声を遠くで聞きながら、ライドウは立ち上がりもせずに言葉だけを返した。
戸が開き、鳴海が部屋に入ってきた。そして、床に座り込んでいるライドウの顔を見て、眉根を寄せる。

酷く憔悴し、生気が剥離した顔をしているライドウ。
唯でさえ細身なのに、更に細く見える黒い服を着ているから、その弱さは映えて見える。
幽鬼と見間違うほど、輪郭が無くなっている。今のライドウは、例えるなら仄かな光。――その光すら、あるかどうか分からないものだが。
戸惑いながらも、鳴海が声をかける。
「……大丈夫かい?」
「……はい……申し訳、ありません……食事の、支度を……しなければ、いけないというのに……。」
人の気配のしない声音に、鳴海が痛んだ顔をする。
それでも何とか笑みを浮かべ、ライドウに近づき、傍らに膝を付いて話しかける。
「いいよ、勝手に食べてるから。色々あって、疲れてるんだろう? いいから……今は少し休んでいなよ、ライドウちゃん。それとさ、……そろそろ、何か食べないと。」
「……。いえ、私は……何も、要りません……。」
「……。それじゃ駄目だろ、ライドウ? もう少しで全てが解決するんだ。頑張らないと、さ。」

「無理です、鳴海殿……。」
「何……?」
「……私には……もう、無理です。」
「ライドウ……。そんなこと、言うなよ」
「いいえ、無理なのです鳴海殿。私にはもう、無理です。以降、葛葉一最低なものであると刻まれるでしょうが……もう、動けないのです……無理なのです……。」
「無理とか言うなよ。そんな簡単に諦めるな、ライドウらしくない。まだ、終ってなんかないだろ?」
だが、鳴海の言葉にライドウが眉を寄せて首を振った。
「もう……決まっております。決まったのです。あの日、あの時、あの夕暮れの瞬間に、全てが。――俺の、全てが。」
「あの日……夕暮れって……。――衛星タイイツ、の? どうしてだ? ライドウは、衛星を破壊出来たじゃないか。帝都を救ったじゃないか!」
「……衛星など、どうでも良いのです。」
「ライドウ……ちゃん?」
「あれが落ちようがどうなろうが……そんなことはどうでもいいのです、鳴海殿。」
「どうでも――って……ライドウ。お前さん、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「重々、承知しております。――ああ、そうだ。いっそ、……落ちてしまえば、良かったのです。」

「――ライドウ!」
ライドウのあまりの物言いに、鳴海が眉を顰めて大きな声で咎める。
しかし、それに煽られたかのように、顔を上げたライドウが感情を爆発させて叫んだ。

「ゴウトを見殺しにしたんです、私は! 仲魔と共に、あの狭い中に押し込めて。命一つ救えず捨て置いたものが、帝都を救うことなど出来る筈が無いでしょう!」
「ライドウ、それは違うだろ! 見殺しにしたんじゃないだろ!? ゴウトは自分から進んで……!」
「違うことなどない、事実です! 事実なんだ! 事実だからこそ、ゴウトが居ない! 側に居ない! もう居ない! 殺したんです、俺が――……俺が、ゴウトを殺したんです!」

七綺、七綺、と。
真名で呼び、付き添う猫の姿は、黄昏の空に消えた。

誰も知らない。
ゴウトが、星になったことなど。
その役目も、何も。
何も残らないのだ。
残らなかった、何もかも。

「……っ! 何で、どうして! 何故ゴウトが、ゴウトだけが……!」
気づけば、無様に号泣していた。
ぼろぼろと涙を流し、見っともなく感情を剥きだしにして。
それを受け止めてくれた存在は――ゴウトは、いない。
頭を抱え、首を振り、身体を丸めてライドウが泣く。
いいや、それは既にライドウでは無いのだろう。
ライドウの形を、保っていない。

帝都を護る為の葛葉ライドウでは――ない。
今、鳴海の目の前に居るのは、置き去りにされた子供。
半狂乱になりながら、黒猫の名前を呼んで、縋ろうとして――けれど、縋れずに。

悲しみに暮れて哭く、コドモ。

「……ライドウちゃん。」
鳴海が悲痛な声を出して、ライドウを抱き寄せる。
震える身体を抱きながら、鳴海が辛そうに顔を顰めた。
いつの日か、取り繕った感情ではなく、本性が出てくれることを望んだことがあった。
しかし……――これは、違う。
こんな結果で望みが叶うのは……悲しすぎて、喜べない。
ライドウの肩を抱いて、鳴海が話しかける。
「殺した、なんて言うなよ。そんな言い方、するんじゃない。……ゴウトが聞いたら怒るぞ。」
「怒られても、いい……です。」
顔を両手で覆いながら、ライドウが呟く。
「怒ってくれてもいい……だって、夢にすら――見ないのですから……っ」

あれから、三日。
ゴウトが夢に出てこない。

逢いたいのに。
声が聞きたいのに。
真名で、呼んで。
叱って。
慰めて。

「ゴウト……ゴウ――っ……う、……っなん、で……」
一人にされるのは、まだ早い。まだ弱い。まだ情けない。まだ、無様で……。
――立てないんだ、ゴウト。
だから、手を貸して。