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遙か彼方までの夕暮れ

03.音の無い夜、月の啼く声


蹲り、泣き続けるライドウを腕に抱いて、鳴海が声を掛ける。
「ライドウ、そんなに自分を責めるなよ。ゴウトはもう帰らないんだ。……還って、こないんだよ」
「止めて、ください……嫌だ、聞きたくない……っ……そんな……こと……言わない……で……っ」
両耳を塞ぎ、いやいやと首を振るライドウに、鳴海の表情が曇る。

耳を塞いで声を聞かず、目を閉じて何も見ようとせず。
殻に閉じ篭り、全てを拒絶して現実を受け入れないライドウ。

こんなの、ライドウじゃない。
徐々に、鳴海の身裡に苛立ちが募ってくる。
ライドウはゴウトばかりの跡形を想い続け、泣き暮れて、殻に閉じ篭り、そこから動こうとも出ようともしない。まるでこのまま、ゴウトの想いの型代だけを抱いて消えるように。

――どうして俺を見てくれないんだ、ライドウ? 何で……俺に縋ってくれないのさ。
俺は此処に居るのに。こんなにも近くに居るのに。
強い想いは愛しい分だけ悲しみに変わり、それは徐々に強い怒りに成り果てる。
「……ねえ、ライドウ……。」
鳴海が目を細めて、気配を変えた。
そして、静かな声で語りかける。
「そんなに少しずつ泣いてても、埒が明かないだろ? もういっそ、思い切り泣いちゃえよ。」
「なるみ……どの?」
鳴海の言葉に不吉なものを感じたのか、不安げな顔をしてライドウが彼を仰ぎ見る。
見つめ返す黒瞳が、頼りなく揺れていた。怯えているのだ。
鳴海の表情に、更に暗い影が差す。

こんなにも脆いライドウは……見ていられない。
ライドウの頬に優しく手を掛けて、鳴海がもう一度言い放った。

「泣けよ、ライドウ。泣きたいんだろう? ……思いっきり泣かせてやるよ、俺が。」
「っ……?!」
その声音に不気味なものを覚え、ライドウが鳴海の腕の中から逃れようと身を捻じる。
けれど、腕力の無いライドウが力で敵うわけが無い。
逆に強く抱きすくめられて、更に怯えるライドウの耳元で、鳴海が静かに囁きかける。

「ほら……泣かせてあげる。だから、存分に泣きなさいな、ライドウちゃん――……。」
声だけが何処までも優しい響きを帯びて、脆くなった幼子に手を掛ける。


◇  ◇  ◇


「ん……――う、っ……く……は、ぁ――」
人の手が、太股の裏を撫で上げる。
生暖かい舌が、胸元を舐め上げる。
それらが与えるものは、快感。
けれど、それ以上に強い不快感と嫌悪に襲われて、増すのは得体の知れない震え。
ただ身を強張らせて、それから逃れようとする――が。

「ダメだよ、ライドウ。」
腰を捉まれ、引き寄せられる。
「――逃がさない。」
顎を掴み上げられ、口付けられる。そのまま深く侵入してくる舌の感触に、背筋が凍りつく。
「んっ、うっ……ふ、ぁ――……っ!」
人の侵食が与える感情は、どれも不快で不快で堪らない。
けれど、それに抗う力が足りなくて為すがまま。
皮を剥がれた獣のように、不恰好に脱がされた服が、足や腕に絡みついて動けない。
両手は青い飾り紐で戒められ、それ以上の抵抗を封じられていた。
その格好の情けなさと、触れられることに対する生理的嫌悪に、涙が零れていく。
もう傍に、ゴウトは居ない。
それでも無意識に助けを乞い、願う。

「ゴウト……ゴウト、ゴウ……ト――……!」
「ライドウ……もう、いい加減にしろ。」
鳴海が辛そうに眉根を寄せながら、ライドウの首筋に舌を這わせる。
ライドウが、その感触に眼を大きく見開いて仰け反った。
「っ……い、や……だ――鳴海……ど、の……――っ!」
ライドウがぼろぼろと涙を流して鳴海の体を押し退けようと強く身じろぐが、やはりどうにもならない。
距離は変わらず、そのまま。
鎖骨に触れていた指先が、徐々に下に下りていく。
胸元、脇腹、そして――……。

「ひっ……――!」
寛げられていたズボンの前から侵入してきた手が、ライドウ自身を撫で上げた。
背筋に戦慄が走り、ライドウが泣きながら震えて、乞う。
「や、やめ……やめて、ください……触……ら、ない……で……っ」
腕を拘束された状態で出来ることといえば、もう、乞うことしかない。

けれどその小さな抵抗も、懇願も、無慈悲に飲み込まれる。
重ねられた、鳴海の唇に。
「んんっ、ん――……ん――っっ!」
舌の絡みに合わせるように、鳴海の手が動く。
輪郭をなぞり、緩く握った手のひらが上下に動き始めると、ライドウの身体が大きく弓なりに反った。
その反動で唇が離れ――ライドウの声が、上がる。

「っ……ぃ、やだぁ――――……っっ!」
人としての悲鳴が、上がる。
それはまさしく悲鳴。拒絶の、声。
鳴海は、自分の胸の何処かが、きしり、と軋むのを聞いた気がして、一瞬動きを止めた。
……でも、けれど。

「ライドウ――……」
その顎を掴んで、強引に口を塞ぐ。
「っ――ん、んん、……んっ……!」
乱暴に舌で抉じ開け、口内を蹂躙する。
角度を変えて何度も唇を重ねる度に、その間から飲み込みきれない唾液が溢れてライドウの頬を伝い落ちていく。涙と、共に。

「泣くほど俺が嫌いか、ライドウ……?」
唇を離し、手の動きを止めた鳴海が問う。
ライドウが半分自失した眼で鳴海を見て、一つ、瞬きをした。
それから直ぐに言葉の意味を解したのか、眉根を寄せ、子供のように、こくこくと頷いて言い返す。
「……ぃ、……や、です……もう、これ以上……私に、触れて、こないで、……ください……」
哀願はもう、拒絶に変わり果てていた。
ぎゅっと目を閉じたライドウが、声高く叫ぶ。

「触らないで、下さいわ、私、に……っ……俺に、……っ、触れて、こないで――……っ……!」
後は嗚咽で掠れて言葉になりきれず、喘いだような吐息が上がった。
「や、……だ。嫌、だ……ゴウト……ゴウト、ゴウ……助け、……っ、ウト……」
瀕死の獣のような不規則な呼吸をし、がたがたと身を丸めて怯えて震えるその姿に、あの毅然としたデビルサマナーの面影は、ない。

そこに居るのは、ライドウでは無く。
ただ一人の、子供。
名前の知らない子供が、鳴海の下で怯えて泣いている。
何度も何度も猫の名を口にして、来ない助けを呼んでいる。
ゴウトはもう、居ないのに。
情けないくらいに弱く、見っとも無く……けれど、慟哭に近い声で泣いている姿は、切なくて。

これは、誰だ?
この子供は、……誰だ?

「……葛葉、……ライドウ……?」
鳴海が戸惑いながら名前を呼んで、その怯えた頬に手をかけた。
だがライドウは目を閉じたままで、身を強張らせるだけで答えを返さない。
それを見ながら、鳴海は沈痛な面持ちで、ゆっくりと言葉を投げかける。
「……なぁ、ライドウ?」
「……っ……」
声音を落としてみても、やはりライドウは応えない。
が、それでも鳴海は話しかける。
「ライドウ、目を開けて。……なあ、ライドウ。俺を、見て。」
辛抱強く静かに話しかけると、ライドウが恐る恐る目を開け、そして定まらない視線を鳴海に向けた。
揺れるライドウの黒瞳を見つめながら、鳴海が告げる。

「ライドウ、俺はゴウトの代わりにはなれないし、代わりになろうとは思わない。」
ライドウ以上に悲しみの色を目に宿して、鳴海が言う。
「……俺は、お前が好きだよ。好きなんだ、お前が。いつかゴウトの位置に立てたら、と思ってた。ずっと、いつも。」
猫の側でなら警戒もせず、柔らかに笑う素直なライドウに、触れたかった。
「なのに、お前は俺に心を開いてくれないから、俺はゴウトの役にすらなれなくて。
挙句の果てに、願いとは反対の結果を招いてしまって、嫌いだと言われてる。
……ほんと、莫迦な大人だよ俺は。」
手を差し伸べても見てはもらえず、一人で過ごしたこの三日間は、堪らなく寂しかった。
「泣かせたいわけじゃ、ないんだ。……泣かせるつもりじゃ、なかった。立ち直って欲しかったんだ。」
弱々しい笑みを浮かべ、ライドウに顔を寄せて、鳴海が呻くように言う。
「少しでもいいから、支えになりたかった。……少し、ほんの少しだけでも良いから、寄りかかって欲しかったよ。……でも、この三日間――その願いは、叶わなかった。
そして、お前さんは自分で立ち上がることもしないで、全てから逃げようとしてる。」

逃げることだけは、許せない。それだけは、絶対に。

そこでガラリと声の調子を変えた鳴海に、ライドウの目にまた怯えが走る。
「な、鳴海……殿……ですが、お、俺はもう――……」
「俺はゴウトじゃないから……ライドウの望む慰め方が何なのか、解らない。
だから――……これ以上、優しくは出来ない。」

ごめんな、莫迦な大人で。

そう呟いて、鳴海がライドウの目尻の涙を舌で舐め取った。
その一瞬の優しさに、ライドウが目を丸くして鳴海を見る。不安と怯えの混ざった色は、そのままで。
「……鳴……海――」
「ごめんな、ライドウ。」
ライドウが何か言い掛けるのを、強引に口付けで塞いで。

――鳴海は、行為を再開した。

他に誰も居ない、暗い室内に。
篭った悲鳴が、鳴る。

「ライドウ、ゴウトはもう何処にも居ないんだ。お前は何処にも、逃げられない。」
「っ……! や、め……あっ! あ、うぁっ――……!」
悲鳴の合間に、無慈悲な声を重ねて。
鳴海が、その身体を強引に貫いた。

きしりと音を立てて軋んだのは、何だったのだろう。

戒められた手首?
ライドウの心?

それとも鳴海自身の心が受ける、痛み?

大人は子供の声を聞かず、望みを知らず。
子供は大人の痛みを知らず、心を見ない。