遙か彼方までの夕暮れ
06.全てを包み込む人、その腕の中で
そこで、眼が覚めた。
「ライドウ……大丈夫かい?」
温かい声が、冷えた心に降りかかる。
「……ぁ、……あ……?」
傍らに視線を向ければ、心配そうな顔で此方を見ている鳴海が居た。
「な、る……、……なるみ、どの……。」
呆然とした表情で鳴海を見、それから自分の両手の平へとライドウが視線を落とす。
今のは夢?
いいや、夢だとしてもあれは現実。全くの想いの具現化。
「……ゴウ……ト――……」
震える手を見るも、感触だけが辛うじて残っているだけで、そこに形は無い。
猫の残像は、もう何処にも無い。声も、気配も。
ああ、本当にゴウトは消えてしまった。
本当に、居なくなってしまったのだ。
温かな夢の終わりと、冷えた現実の始まりを。
そこでようやく……認識する。
◇ ◇ ◇
「っ……ふ、……っく、……あ、ああ……あぁ――……っ」
悲しさに、ライドウが嗚咽する。
「ゴウト……ゴウト、ゴウト……っ……ゴウ、ト――……」
両手で顔を覆い、ライドウが再び泣く。
優しい猫は、これですっかり居なくなってしまった。
「……ライドウ。」
そんなライドウを、鳴海は少しの間、困ったように見ていたが、やがて掬い上げるように抱き起こすと、背を撫でながら話しかけた。
「……辛い夢を見ていたんだね。でも……お帰り、ライドウ。」
「……な、なる、……鳴海、どのっ……」
「もう丸一日も眠り込んでいたんだぞ、お前さんは。俺は、このまま眼を覚まさないんじゃないかって思って……。でも良かった、還ってきてくれて。ずっと待ってたんだよ。」
「ずっと、……俺、を……?」
待っていた? 待っていて、くれた……?
……どうして?
俺はこんなにも無価値に成り下がってしまったというのに。
もう鳴海殿の見てきた、デビルサマナーではないというのに。
「……――っ……離して、下さい……っ」
尚も抱きすくめようとする鳴海を、ライドウが強い力で突き放した。
「ライドウ……」
鳴海が一瞬、呆気に取られた顔をする。
けれど直ぐに体勢を立て直し、それから悲しそうに微笑して言った。
「あは――……そう、だよね。俺のした行為は最低だから……ライドウが嫌がるのも、無理ないよね。」
目を伏せつつも、鳴海が何とか笑みを絶やさないでいるところに、ライドウがぽつりと言い返す。
「そう、じゃ……ない――」
「……ライドウ?」
その言葉に、鳴海が目線を上げた。
見れば、ライドウはぎゅうと両肩を抱きこんで、辛そうに表情を歪めている。
「違う、違う……。違うんだ、嫌いだから、とか……そんな簡単な感情じゃない……っ」
「な――……に?」
「何で、どうして……どうして――っ……どうして、貴方は……っ!」
「俺が、……何だい、ライドウ?」
鳴海が問い返せば、ライドウの狂乱めいた問い掛けが続く。
「どうして、……どうして鳴海殿は居るんです? 何で俺なんかの側に居るんですか……!?」
「どうして? ……それは、もう解っているんだろう?」
ライドウが拒絶しているのは別のことだというのに気づき、鳴海が柔らかく苦笑する。
「……なんで――……だって、俺は……俺は!」
「ライドウは、帰ってきたじゃない。夢から現実に、ちゃんと。まだ、完全に膝を付いたわけじゃない。……今からでも、遅くないよ。」
「でも、俺は……っ……お、俺は……随分と多くの愚考を口に、して……。」
帝都など、人など、どうでもいいと。
何もかも、滅んで壊れて無くなってしまえ……と。
そんなことすら――思って、しまった。
浅ましく愚かな願いを、醜悪な考えを、抱いてしまった。
そんな俺に、これ以上デビルサマナーとして生きていくことは許されない。
「……無理、です……鳴海殿――……。」
「駄目だよ、ライドウちゃん。また殻に篭っちゃ、駄目だ。」
項垂れて顔を覆うライドウを、鳴海が手を伸ばして引き寄せた。
「無理じゃない。道理のないことなんて無いだろう、ライドウ。そんな言葉で逃げるな。……言っただろう? 逃げることは、許さないって――。」
「っ……」
鳴海の台詞に、ライドウがびくりと身体を強張らせた。
『そんなことは、俺が許さない。』
「ぁ、あああ」
それは、いつかの夜の会話に似た台詞。
ゴウトと交わした言の葉の羅列が、蘇る。
『ゴウトが居なくなったら、俺はきっと駄目になるんだろうな――』
『莫迦を言うな。そんなことは、俺が許さない。』
「っく……あ、――」
浮かび上がる過去の会話に合わせるように、ライドウの目から、ぼろぼろと涙が溢れて流れ出す。
「っ……あぁあ……っあ――……!」
頭を抱えるライドウを、更に包み込むように抱いて鳴海が話しかける。
「好きだ、ライドウ……愛してる。だから、どうか逃げるな。人の思いから……全てから。」
「でも……! ……でも、俺はもう……っ」
立てないから。動けないから。
「俺の手を掴んで、立て。それでも無理なら、抱き上げて動かしてやる。」
出来ないんじゃない。しようとしないんだろう?
だったら、俺が貸してやる。
力も心も何もかも。
「無理、です……もう、無理だ――……」
だって、一人だから。ゴウトが居ないから、何も出来ない。
「無理じゃない。お前さんは一人じゃないだろう?」
独りになんか、させないさ。俺が側に居るから。
お前が嫌がっても、ずっと側に。
飽きることなく、終わりまで。
鳴海の優しい言葉が、ライドウに重なって落ちてくる。
逃げても逃げても、追いかけて。
そうして、捉えてくる心を。
捕まえる、想いを
身体ごと全て、優しく抱き締める。
「……っ! 俺はもう、最低なんだ! 帝都のことなど、どうでも良くて、何もしたくなくて! そんな、最低の葛葉で、だから……もう、……っ」
「帝都が何だ。葛葉が、どうだっていうんだ。お前さんが動くのは、人の想い、人の願いの為だろう?」
「人、など……他人など、どうなっても……!」
「そんな訳無い。そんなこと、思っちゃいないだろ? お前さんは人が好きなんだよ、ライドウ。
これまでにも、人を救って来たじゃないか。人の知らぬところで、大勢を。」
鳴海がライドウの頭を撫でて、言う。
「ライドウ、お前はそう脆くは無い筈だ。ゴウトが認めた継承者だろう?」
「……っ……あ、あぁあ」
こんなに突き放しても尚もまだ、優しく温かい。
この人は……この、人は……。
「こんな俺でも、……良いの、ですか。こんなにも、無価値な……俺でも……?」
「ライドウ、価値の有無なんか関係ないよ。俺は、お前が好きだ。それだけじゃ、駄目かい?」
「……っ!」
ライドウが唇を噛み、そのまま鳴海の首筋にしがみ付いた。
「鳴海殿……っ、鳴海殿、鳴海殿……っ!」
外は墨を溶かし流したような、宵闇の夜。
そこに浮かぶ三日月に、ゴウトの爪跡の残像を重ねてライドウが泣く。
人に……鳴海に、縋って。
黒猫は、もう居ない。
声が、聞こえない。
姿も、見えない。
けれど。
今は側に、鳴海が居る。
聞こえるのは、鳴海の声。
見えるのは、鳴海の姿。
温かい、人の心。
暖かい、人の想い。
ライドウの夜が、ようやく暁を迎える。