遙か彼方までの夕暮れ
07.灯火に触れて、告げる暁
今も尚、小さく震えているライドウの肩を抱きながら、鳴海は何も言わずに側に居た。
ライドウから何か言い出すまでは、何も聞かないし、何言も口にしない。
ライドウがもう少し、落ち着くまで、何も。そのまま身体を寄せて傍らに居る。
一個の塊のように、寄り添う影。
窓の外を見れば、空がようやく白み始めてきていたところだった。
もう直ぐ、夜が明けるのだろう。
そして、此方の夜――ライドウの夜も……ようやく、明ける。
◇ ◇ ◇
やがて、ライドウの震えが静まった。落ち着いたのか、呼吸も安定してきた。
はぁ、と溜め息のような吐息が聞こえ、鳴海が視線を腕の中に戻せば、項垂れたままのライドウが、ようやく口を開いた。
「あ、の……。……あの、この度は、その……誠に申し訳、ありません……でした……。」
我に返ったのだろう、口調までもが元に戻りかけている。
別に話し方は、あのままでも良かったのだけれど。
そんなことを思いつつも口には出さず、鳴海は笑って言い返す。
「あは、何で謝るの? 謝るところじゃないだろ。むしろ、こういう時は御礼が聞きたいね。」
「……え?」
顔を上げるライドウに、鳴海は意味深な視線だけを向け、答えを促す。
側に居てくれて、ありがとう――ってさ。
そうすれば、意図を悟ったライドウが顔を朱に染めて眼を伏せた。
逡巡しているのだろうか、妙に落ち着きがない。
そのまま少し沈黙するも、やっと心を決めたのか、弱い声で、そっと呟くように言い返す。
「あ……、……あり、がとう……ござい、……ます……。その、側に……あの……。」
「あはは、いいよ。無理しなくてさ。――どう致しまして。」
くすりと笑って、鳴海がライドウを抱き締めなおす。今度は、正面から。
「あ、な、……なるみ、殿っ……」
包み込まれるような感覚を受け、ライドウが狼狽した声を上げた。
でもそれはもう、嫌悪の類のものではない。
けれど鳴海は、敢えて訊ねる。
「嫌かい、ライドウ?」
答えは分っているけれど、まだ少し自信が無い。
この答えであっているのかどうか、不安なのだ。
ねぇ、ライドウ。
俺が嫌い?
縋るように抱き締めれば、腕の中でライドウが息を呑んだ気配がした。
怯えている……?
一瞬、ぎくりとする。
でも。
「い、嫌では……ありません。……あ、あの……出来れば……もう、少し、この……ままで。」
言い終わる頃には、相手は耳まですっかり真っ赤に染まっていた。
胸を鷲掴みにされたような酩酊感に、鳴海が眼を瞠る。
ライドウから望まれるのは初めてのことだから、非常に嬉しい。
けれど――その前に随分と酷いことをしているから、胸が痛くて……少しばかり、苦しい。
「――ライドウ……。」
ごめん、ごめんなライドウ。
あんなに酷いことをして、ごめん。
「……ライドウ……――……。」
でも、ありがとう、ライドウ。
還ってきてくれて。
こんな俺を望んでくれて、ありがとう。
ライドウの首筋に顔を埋めながら、鳴海が眉根を寄せてそんなことを考えていると。
「……謝意を口にしなければならないのは、俺の方です、鳴海殿……。」
心を読んだかのようなタイミングで、ライドウが言った。
「……ライドウ?」
首筋に埋めていた顔を上げれば、ライドウが珍しく正面から鳴海を見つめている。
視線が合った先で、ライドウが微笑んだ。
「俺を檻籠から解放してくれて、ありがとうございます。」
綺麗で、柔らかな微笑。
鳴海が心底見たかった、あのライドウの――いいや、それはまごうことなき真名の彼の、素顔。
「俺を……許して、くれるのかい? あんなに酷いことをしたのに?」
「なまなかな優しさでは、きっと無理だったのです。俺は……その、あまり素直ではないから。」
「でもさ、やっぱり俺のした行為は褒められるものじゃないよ、ライドウ?」
「例え許されずとも、けれどあのままでは、俺は本当に駄目になっていたんです。
鳴海殿、貴方は俺を助けてくれた。俺を見捨てずに、側に居てくれた。だから……感謝しています。」
「でもさ――……ちょっとは、殴ってくれてもいいんだぞ?」
「いいえ、そんなことは出来ません。それに、その、……鳴海殿が、そんなに罪悪感を抱く必要は……無いのだと、……思うのです。」
「……どうしてだい?」
「あ、の……それは……その……。」
ライドウの返答が、ここで急に鈍くなる。
「ライドウちゃん?」
「あ、その……。……どう、してかと……問われると……あの、返答に、困るのです、けれど……。」
「何? ――教えてよ、余計に気になっちゃうから。」
ライドウが妙にどもりだす様に、鳴海が顔を覗き込むようにして訊ねれば。
「……。……どうしても、言わなければなりません、か……?」
ちらりと上目遣いに鳴海を見上げるライドウ。そんな仕草も可愛いな、と心の中で蕩けつつ、鳴海はわざと生真面目な顔をして言う。
「どうしても。――これは、御用命。」
そう言えば、観念したのかそれとも御用命という言葉が効いたのか。
ライドウが眼を伏せて、口を開いた。
「……、……あ、の……――……俺、……じゃ、ないかな、と……。」
「聞こえないよ。」
「で、ですから……、……嫌、……だと……」
「やっぱり、俺が嫌?」
大仰に傷ついたような顔をしてみせれば、ライドウが大きく首を振って叫んだ。
「違うんです! ですから、俺は嫌じゃなかったんです!」
「……。……え。」
思わず、眼を丸くする。
ライドウがすぐさま、はっとなった表情をして口を押さえた。
「あ、あ、あ、あの、その、っ……へ、変な意味では、な、ないのです、けれど、も……」
あとはもう、盛大に真っ赤になって俯くライドウに、鳴海はそのまま、硬直した。
嫌じゃ、なかった?
そう、言った?
……言ったよね?
……聞き間違いじゃなく?
「ライ、ドウ? え、と……それは――俺としては出来すぎてるなぁって思うんだけど、……言い間違いとかじゃない……よな?」
今度は鳴海が戸惑いながら聞き返すと、ライドウは顔を伏せたまま、頷きを一つ。
肯きを一つ、返して。
きゅうと胸元のシャツを掴み鳴海を引き寄せ、その胸に、顔を埋めた。
子猫が甘えるような動作で擦り寄ってみせて、ライドウが笑う。
「好き、……です、鳴海、殿……。」
長かった夜が、ようやく幕を明ける。
窓の外を見れば、遠くに暁。
「っ、はは……あは、――……ライドウ……!」
相手以上の力で抱き締め返し、共に喜び笑いあう。
夜に向かい、そうして迎える始まり。
ようやく、一緒に。