猫と書生と所長さんの一日
03.糖蜜の昼下がり
「只今戻りました。」
「お、ライドウ。丁度良いところで戻ってきたな。よし、一緒に休憩でもしようか。」
昼下がり。
調査に一区切りをつけて帰ってきたライドウを迎えたのは、鳴海の意味深な台詞。
ライドウが、ちらりと足元のゴウトに視線を落とし、何事かと無言で訊く。けれどゴウトも心当たりが無いようで、ただ「知らん」というように首を振るばかり。
入り口付近で固まった一人と一匹を見て、鳴海が苦笑する。
「はいはい、お前さんたち。何も捕って食いやしないから、こっちに来なさいって。」
鳴海の手招きに従い、ライドウ達が近づく。目の前に来たところで鳴海はどこかから取り出した袋を机上に置き、笑いかける。
「それ、開けてみな、ライドウ。」
ライドウが頷き、袋に手を掛けて中身を取り出せば、何とも上等な漆塗りの重箱が姿を見せた。
「知ってるか。甘いものを摂ると、疲れがとれるんだそうだ。」
「これは――甘味屋釘善の。」
ほう、とライドウの唇から感嘆の吐息が零れた。鳴海が、してやったりというように笑む。
「御名答、ライドウちゃん。そ、さっき来た依頼人が御礼にくれたものさ。」
重箱の中には、金王屋の近くにある甘味屋の和菓子がたくさん詰められていた。
色とりどりの上等な菓子に目を奪われているライドウを見て、鳴海が嬉しそうに笑う。
「その様子だと、ライドウは甘いもの苦手ってわけじゃないな? よし。じゃあ、早速お茶でも淹れて、皆で一息つきますか。」
◇ ◇ ◇
羊羹を切り分け、饅頭と一緒に小皿に乗せる。
適温で煎れた茶を湯飲みに注ぎ、それらを盆に乗せたところで、側に居たゴウトが声を掛けてきた。
「七綺も、そうして見るとやはり人の子だな。」
「……何を突然?」
七綺が手を止めて視線を投げれば、ゴウトが笑って言い返す。
「いや、なに――そうして嬉しそうに菓子を切り分け、皿に乗せている最中のお前は、年相応に見えるものだから、つい……な。」
それを聞いた七綺が、眉根を寄せて苦笑した。
「年相応、とは言ってくれる。どうせ俺は、歴代のサマナーきっての変わり者だ。」
そう言いながら盆を持ち、鳴海が待つ方に向かって部屋を出て行く七綺を見て、ゴウトが「ん?」と首を傾げた。
「褒めたつもりなのだがな? ……まあ、良いか。おい、待て待て七綺、俺を置いていくな。」
ゴウトは一人ごちつつも、七綺の後を追って部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
「いや~、やっぱりライドウの淹れてくれるお茶は美味しいねぇ。」
「ありがとうございます。」
向かい合って座る、鳴海とライドウ。
その長机の下には、同じように用意された小皿があって、ゴウトが黙々と菓子を食べている。
(猫も和菓子を食べるものなんだな……。知らなかった。)
黒猫に対する新たな発見を見つけて感嘆し、学習するライドウ。
だが、その学習したものが間違っていることには気づかない。
そんな中で、鳴海が会話を続ける。
「ライドウ、これは世辞じゃないぞ? お前は将来、良い嫁さんになる。俺が欲しいくらいだ。――ってことで、どう? 事件が片付いたら、俺のところに永久就職しない?」
だが、話しかけた相手の視線は、鳴海にではなく和菓子に向けられている。ライドウは羊羹を切って口に放り込むと、そのまま口元に手を当てて鳴海を一瞥し、咀嚼したまま軽く会釈しただけだった。
社交辞令どころか、ほとんど上の空での反応。
――羊羹に負けた。
予想はしていたが、それを上回る想像外の反応に、鳴海はガクリと肩を落とす。
机の下で、顔だけを覗かせてやりとりを見ていたゴウトが、くつくつと笑う気配がした。それをジロリと睨んでやれば、猫は意味ありげな笑みをそのままに、また机の下に引っ込んで、菓子を食べ始める。
ゴウトの嘲るような反応に、鳴海は意趣返しになるような何か――何とも大人げないこと――を考える。少しの間、宙を見遣り、それからライドウに視線を戻した。
「なぁ、ライドウ……。」
「はい。……ああ、お茶ですね。気がつかず、申し訳ありません。」
中身が空になった鳴海の湯飲みを一瞥して、ライドウが立ち上がる。
が、その腕を鳴海が掴んで引き止めた。
「……鳴海殿?」
怪訝そうな顔をして振り向くライドウに、鳴海は己の顔を指し、とんとんと叩く。
「羊羹が、付いてる。」
「え――?」
ライドウが、まさか……というような表情をして、自分の頬を触ろうとした。
しかし、それより早くに鳴海が動く。ライドウの手を制すと、腰を浮かして立ち上がった。
「ああ、俺が取ってやる――動くなよ、ライドウちゃん。」
「え、なに……っ」
そう口早に言い告げると、鳴海は自分の方にその身体を引き寄せ――ライドウの反応が返される前に、その唇に口付けた。
「なっ……!」
唇を離す間際、その形をなぞる様に軽く舐めれば、ライドウの表情がぎくりと凍りつく――が、それも一瞬。すぐさま鳴海の両肩を、とっ、と僅かに突いて身を引いたライドウの顔は、いつもの涼しげな表情に戻っていた。
無言の間を、二人の視線が交差する。
先に沈黙を破ったのは、ライドウだった。舐められた箇所を指先でさり気なく拭い、視線を湯飲みに落とした状態で口を開く。
「……お茶を、淹れてきます。」
身を翻し、静かな足取りで奥へと下がったライドウを見ながら、鳴海が天井を仰いで呟いた。
「うーん。これでもライドウのままか……。これくらいじゃあ、まだまだなのかねぇ?」
素顔のライドウを喚び出すには、この程度の行為では不足なのだろうか。
はぁ、と吐かれた溜め息は落胆。
だが、満足した感じも含んでいて。
鳴海は口元に手を当てると、ひっそりと喉の奥で笑った。
「さて。じゃあ次は、どういう方法でいこうかねぇ。」
机の下で、それを聞きつけたゴウトが、やれやれといった様子で首を振り振り、小さく溜め息を吐いて呟く。
「相変わらず下らぬことを仕掛けるやつだな、全く……七綺を何だと思っているんだ。」
疲れたように眉根を寄せて、机の下からそっと抜け出つつ、呟きごとを漏らす。
「玩弄するつもりなら、ちと対策を考えねばならんな。悪魔よりも、性質が悪い。」
ゴウトは、ぺろりと己の口端を舐め上げると、ライドウが消えた奥へと歩いていった。
後に残されたのは、悦に入った鳴海と空の皿。食べかけの菓子が乗った皿が一つ。
奥では、ライドウが唇を押さえてぼんやりと佇んでいた。