猫と書生と所長さんの一日
11.鳴海の疑問
「ふぅ――……」
「鳴海殿? 如何なされましたか。」
「ん――……何で?」
「先程から、溜め息が多いように思われるので。何か御悩み事でもあるのですか。」
「ふん、大仰なことだ。どうせ大した悩みでもあるまいに。……構うな、七綺。放っておけ。」
会話の合間にゴウトが割って入り、つまらなそうに吐き捨てた。
「ゴウト。」
それをライドウが苦笑しながら窘め、鳴海に話しかける。
「鳴海殿、差し出がましいようですが、私で良ければ御話を伺いま……」
「……おっかしいなぁ……。」
「鳴海殿?」
「……途中まではなぁ……。」
「……?」
ライドウとゴウトを見ながら、鳴海は一人、ぶつぶつと何事かを呟いている。
「あの、鳴海、殿……」
「……。」
とうとう押し黙ってしまった鳴海に、ライドウが眉を顰め、ゴウトに視線を落として囁きかける。
「……ゴウト、鳴海殿の様子がおかしい。」
「いつものことだろうが。だから構うなというに。もうコイツは放っておいて、俺達は捜査に出かけるぞ七綺――」
「やっぱり、納得いかない!」
「……っ!?」
突然の大声に、ライドウとゴウトが揃って鳴海を見た。
「鳴、」
「おかしいよ、絶対に、おーかーしーい!」
「……気でも触れたか、鳴海。」
ライドウは心配、というよりはむしろ何か気の毒そうな目をしているし、ゴウトはゴウトで完全に冷めた目で鳴海を見ている。その両者の表情にも構わず、鳴海は大きな声で叫んだ。
「何でライドウちゃんの名前がライドウなんだ!?」
「え……。」
「……。」
不可解な鳴海の台詞に、ライドウとゴウトが互いに顔を見合わせ、沈黙した。声を潜め、ひそひそと話し合う。
「……七綺、こいつはどうにもヤバイらしい。おかしいどころの騒ぎじゃないようだぞ。」
「薬湯を作って飲ませたほうが、いいのだろうか?」
「――ほら、そこぉ!」
囁き合う彼らの会話の間に、鳴海が再び謎の言葉を投げた。そして、びしり、と指先を二人(正しくは、一人と一匹)に突きつけると、一気に叫ぶ。
「そこだよ、そこ! ゴウトは、そこでライドウちゃんの本名を言ってるんだろう? おかしいじゃないか。どうして俺の耳には、ライドウとしか聞こえないんだよ!?」
その台詞にゴウトとライドウが目を丸くし、それからまたお互いの顔を見て――溜め息を、一つ。
「はぁ……鳴海。莫迦だ莫迦だとは思っていたが、真の愚者だったのだな。」
ゴウトが呆れたような声を出して言った。そして非常にうんざりした表情で鳴海を一瞥し、嫌々ながら答えを投げ返す。
「真の名……葛葉の真名というのはな、その本人から認められた上で明かされないと、認識出来ないものなのだよ。鳴海、俺がお前の前で、平然と”ライドウ”の真名を口にしているのは、その為さ。」
そう言って、にやりと笑うゴウト。鳴海は、きりきりと悔しそうに唇を噛む。
「~~っ……ライドウ!」
「――はっ、はい!?」
物凄い形相でライドウの方を振り向いて、鳴海が叫んだ。その声音と表情に、ぎくりと身体を固まらせるライドウに向かって鳴海は言う。
「俺にも、お前さんの真名を教えてくれ!」
「あ、……い、いいえ。いいえ、鳴海殿。申し訳ありませんが、それは、……それには従うことが出来ません。」
「何で!? 何でさ、ライドウちゃん! 良いじゃないか、真名の一つや二つ……!!」
「真名は一つだけだ、愚か者。」
ゴウトが、いよいよ可哀想なものをみるような目で鳴海を見て、吐き捨てるように言った。だがそれには委細構わず、鳴海は子どものようにわあわあと騒ぎ始める。
「教えろよーライドウー! ねー教えてよー! ゴウトにだけなんてズルイぞー! 俺にも、少しは打ち解けてくれてるんじゃないのかー!?」
「……鳴海殿。」
遂には駄々を捏ね始めた鳴海に、ライドウが困惑して溜め息を吐いた。その傍らで、ゴウトがそれ以上に憂鬱そうな溜め息を吐き、ライドウを仰ぎ見て話しかける。
「そら、見たことか……だから放っておけと言ったんだ。」
「……すまない、ゴウト。こんなことで悩んでいるとは思わなくて……しかし――どうしよう?」
「……放って……いや、もう捨て置こう。――捜査に出るぞ、七綺。」
「それは……いい、のか?」
「構わんだろう。子供の下らん戯言に付き合うほど、暇では無いんだ。……ほら、行くぞ七綺。」
ライドウの外套の裾を噛み引いて、ゴウトが退出を促す。
「ゴウト、鳴海殿は――……」
尚も退出に躊躇しているライドウに、ゴウトが唸って叫んだ。
「……いいから出るんだ! これ以上面倒ごとに巻き込まれては敵わん!」
「あ、こら、ゴウト! ライドウは置いていけ! ラーーイドーーー!」
ゴウトに怒鳴られて、ライドウは悪いと思いながらも部屋を出て行くことにした。
肩越しに振り返れば、鳴海が恨めしそうな目で見つめている。
「らいどーの人でなしー。」
積年の恨みでも込めたような表情と声で、机に齧りついた鳴海が不平を零す。
「……。」
その視線から逃れるようにライドウはパタンと戸を閉めて、部屋の外に逃げ出した。
戸口に立ったライドウは顔を僅かに曇らせ――七綺に戻るなり、項垂れて呟き事を漏らす。
「……そんなに真名が大事なのか、貴方も。」
その唇から零れた声に熱は無く、瞳は暗い。
「七綺、どうした? 早く行くぞ。」
先を歩いていたゴウトが後続の気配がないことに気づいて振り返れば、俯いていた七綺が顔を上げて――ライドウに戻って、首を振る。
「――ん、何でもない。……そうだな、早く外に出ようか。」
そこに、もう曇りは無い。何事もなかったかのような顔をして、ライドウはゴウトと共に捜査をしに出かけていく。不貞腐れた鳴海を今しばらく置き去りにしておいて。
鳴海がライドウの真名を知るのは、まだ少し先のことになるようだ。