猫と書生と所長さんの一日
13.恋葛に絡む
「……はぁ。」
赤く染まり暮れる空を眺めながら、多聞天の鳥居の影に身を寄せてライドウが溜め息を吐く。それはきっと何気なく吐いたものなのだろうが、どこか艶やかな憂いを帯びていた。美貌の書生が石段に腰掛けて空を見上げる様は、人を惹きつけるのだということを、この書生は未だに気づかない。
前の通りを歩き流れる人々が、その一瞬にライドウの方を見て心焦がしていることなど、気づく由もない。それらをただ、鬱陶しいと感じながら、しかし全く意に介すことなく美貌の書生は一人で空を見つめている。
傍らには珍しく、猫すらも――居ない。
◇ ◇ ◇
はぁ……、と。
暗い青が混ざり始めた夕焼けの中で、ライドウが何回目かの溜め息を吐いた時だった。
「ん~ふ~ふ~。お悩みかい、サマナーくん。」
「……モコイ。」
突然現れたモコイを見て、驚いたのかライドウが伏せていた顔を上げた。
「……呼んだ覚えは無いのだが。もしかして、無意識のうちに呼び出してしまったのか? だとしたら、申し訳ないが――。」
そう言いながら胸に手をやり、外套下の召喚管に触れたところでモコイがそれを止めた。
「どうして謝るんスか。チミが頭を垂れる必要は無いのだが。」
「いや、用も無いのに喚び出してしまったから――」
「ノープロブレム! いやあ、実はボクが勝手に出てきたんスよ。」
ライドウが僅かに片眉を上げる。
「……何故?」
「色っぽいチミに逢いたくなったからだよ、サマナー君。」
「……何を。」
――莫迦なことを、と言いたげに柳眉を顰める召喚師を余所に、モコイは両手を口に当てて独特な動きをしながら、更に距離を詰めてきた。
「憂いた顔も良いネ! ん~~ふふ~~ふふ~~。」
「……鳴海殿みたいなことを、言わないでくれ。」
ライドウが嘆息して額を押さえれば、モコイはますます嬉しそうに身体をくねらせる。
「ん~ふ~ふ~。ナルミドノ。その人間が気になるッスか?」
「どうしてそうなるんだ。」
「でもしかし。チミが悩んでるのは、その人間のことっスよね?」
「……っ!?」
「おぅ、的中。さすがボク。」
「……。」
ライドウは答える代わりに帽子の庇を引き下げ、表情を隠した。モコイが、うにうにと左右に揺れながら、びしりとポーズをとって言う。
「チミさえよければ、読心術で探ってきてあげよっか?」
「――……いや、必要ない。その気持ちだけ、受け取っておく。」
「マジメだねぇ~、サマナーくんは。でも、言い換えれば頑固者でもあるネ。」
「……。」
「おや、まただんまり。気に障ったスか、サマナーくん?」
んふふふふ、と笑ってモコイがその顔を下から覗き込んだ。それを片手で制しながら、ライドウが少し身を離す。
「今日は、どうした? やけに絡んでくるじゃないか。」
「オーマイガー! 絡み、カラミ~? やだなぁ、サマナーくん。相談相手になってあげようってボクに、そんな言い草とは酷いね。モコイショック!」
大袈裟な仕草をして、くねくねと動くモコイに、ライドウがまた深い溜め息を吐く。
「……ああ。その気遣い、感謝する。けれど、本当に良いから……構わないでくれ。」
「意地っこ。」
「意固地、の間違いじゃないのか?」
「いいや、チミは意地っこスね。可愛らしいくらいに、意地っこっス。いやこの場合、意地っ子ダネ。意地っ子!」
「……何処でそんな言葉を覚えてきたんだ。」
「世界スよ。いやぁ、チミ、世界は広いよ。果てしない程に。」
「そうか。それは良いことだな。」
話を打ち切りたいのか、ライドウは気の無い返事をして周囲に視線を投げる。しかし、モコイは素っ気無くされても怯まない。じいっとライドウを凝視した後で、胸の前で両腕を組むと何かに気づいたように頷いた。
「ふむふむ、成程――チミはさて、何時まで檻籠の中に居座る気カネ。」
「……っ!?」
その言葉に、ライドウが明らかにぎくりとしたのが分かった。ライドウの――七綺の表情が一転して陰を帯び、その双眸に冷たい光が宿る。
豹変した七綺が何か言いかける前に、モコイが付け加えるように言葉を繋いだ。
「あいや、チミの心を読んだわけでなし。モコイは感じたままを言ったのみ。」
「……どうして、檻を……なにを、知っている?」
七綺の声は冷たく沈み、殺気を含んだ視線がモコイに向けられる。だが、モコイは依然として飄々とした態度のままで、語り続けた。
「全ては繋がっているのだよ、サマナーくん。平行に行けば行くほど差異はあるが、その基軸は同じ。」
「……何が、言いたい。」
「モコイはそこまで親切では無いスよ、サマナーくん。後は瞑々、考えるが宜し。」
「……気が向いたら、そうさせてもらおう。」
モコイが追求しなかったことで安堵したのか、七綺の気配が収まる。冷徹な炎が消えたのを感じ取り、モコイが少し肩を竦めたが、七綺はそれに気づかない。
「消極的だねぇ、チミは……まぁ、いいや。ではでは、日も暮れた頃だし、ボクは一先ず帰らせてもらうとするスかね。じゃ、また喚んでね~サマナーくん。ばっはは~い。」
そう一息に言いながら、ぼしゅん、と勝手に管の中へ戻ったモコイを見て、七綺が呆れた声を出す。
「最初から喚んだわけじゃ、ないんだけどな。」
はぁ、と溜め息をついて空を見上げる。すればモコイの言うとおり、すっかり日が落ちて辺りは薄い夕闇になっていた。
――そろそろ帰って夕食の支度をしないと。
そんなことを、ぼんやりと考えたまま、しかしそれでもなお七綺は腰を上げず、暫くその場所に座り込んで、ぼうっと空を見つめているのだった。
心配したゴウトと鳴海が、互いに競って牽制しあいながら探しに来るまで、一人でじっと。
……凝っと何かを見つめるようにして。