万里の陽光、千尋の月闇
05.太陽が、貫いて
昼食刻を過ぎた、鳴海事務社。
依頼人もそう多く訪れず、とりたてて静かな午後のひととき。
鳴海が珈琲をすすりながら何気なく窓の外に目をやると、眼下に広がるは穏やかな街の光景。
(うん、平凡な日常って感じ。)
などと心中で呟き、それから室内に視線を戻したところで――鳴海は己で、その平穏を破る。
「――あっ、コラ! 何やってんの!」
叱責の先には、いつもの無表情な氷の君がいた。
相手は鳴海の声に振り返ると、首を傾げつつ答えを返す。
「何を、と。……昼餉後は、陶器を洗う必要がある。」
恐らくは”食器を洗って片付ける”という意味合いのことを言っているのだろう。
器用に食器を重ねて持っているが、怪我をした腕を台座代わりにして積み重ねているものだから堪らない。
それと、随分と慣れて来たとはいえこの口調。謎めいた物言いは、いい加減どうにかならないものかといつも思う。
鳴海は席を立つと、ライドウに近づき溜め息を吐きながら言い返す。
「そういうのは、俺がするって言ったよね? というか、お前さんまだ怪我が治ってないだろ。」
鳴海はライドウの右腕を指差し、軽く突付いた。
辛うじて三角巾などで吊り下げてはいないが、それでも力無く垂らされた腕の裾口から覗く包帯を見れば、傷の程度が知れるところ。
「ほらほら。いーから座ってな。」
食器を奪い取るように受け取れば、ライドウが鳴海を見て口を開く。
「怠慢、は――」
「だーから! 怠慢じゃないっての。ライドウ、お前は俺の所の従業員で、俺はその上司なの。分かる? この上下関係。」
「……否。」
「うわ、速攻かよ。……ま、良いや。とりあえず、安静にしてなさい。これは”命令”だからな。」
「……。」
”命令”という部分を強調して見せるも、ライドウは無言のまま鳴海を見つめている。
納得しかねているらしい雰囲気が、言葉無くとも薄々ながら感じとれた。
――仕方ない。奥の手だ。
「……追記すると、これはゴウトの”命令”だからね。」
「彼の方、の……。」
やはり、ゴウトの名前を出すと効果があるようだ。
氷の気配が解けるのを感じ、鳴海はニヤリとする。正に、”してやったり”とはこの事か。
「分かったようだな? よし、じゃあそこへ座って休んでな。俺は片付けてくるから。」
鳴海はライドウをソファへと座らせると、袖を捲り上げて水場の方へと歩いていった。
「……。」
ライドウは少しの間、鳴海が歩いていった先を無表情に見つめていたが、そのうち前に向き直ると、冷たい視線を特に意味も無く部屋へと注いだ。
ちなみに当のゴウトはライドウの代わりに踏査へと出ており、不在で居る。
だからライドウの話し相手は他に居ないし、装備の手入れもすっかり終わっているために、何もすることが無い。
保護も、そうして過ぎれば毒となる。
この七日間――腕を怪我してからというもの、ライドウは始終、何も出来ないで一日を過ごしていた。
◇ ◇ ◇
「ふーっ。皿を洗うなんて何時ぶりだか……。ライドウ、食器洗っといたぞ。」
手を拭き拭き鳴海が水場から戻ってきたのは、少し時間が経った後。
けれども、応じる声が無い。
「ん? あれ、ライドウ――?」
がらんとした室内。ソファにいた筈の書生の姿は無く。
「外へ出て行っちゃったのか?」
戸の開閉音は聞こえなかった。
それでも一応ドアを開けて廊下の左右を見てみたが……やはり、人の姿は無い。
尤も、あの書生は無音無気配で行動してくれるものだから、鳴海が気づかなかった――否、気づけなかっただけなのかもしれないが。
「おいおい、命令無視かよ。」
「抗告は……していない。」
「どわっ!?」
背後、直ぐ近くから返ってきた声に、驚いた鳴海が振り返る。
すると其処にはライドウが。
「ひっ、久々に心臓に悪い登場を……! もう、気配を消して声を掛けるなっての!」
「……出掛ける、のか。」
「え? ああ、違うよ。お前さんの姿が見えなかったから、外に出ちゃったのかと思って廊下に出てみただけ。」
鳴海は部屋の中へと戻ると、ドアを閉めた。そしてライドウに向き直り、言う。
「それはそうと……何処に行ってたんだ?」
「……。」
ライドウが無言で、鳴海の背後を指を差した。
指した方向に視線を向ければ、そこは窓際。
「……窓の側に居たっけ、お前?」
「彼の衝立の側に、在った。外を……見ていた。」
「……ふぅん?」
鳴海は眉を顰めつつも、もう一度、窓側を眺めてみた。
衝立は確かにある。その陰にライドウは居たという。言われて見ると、その辺は良く見ていなかったかもしれない。
気配を消されていたら、尚更だ。
「外を見てたって? 何か面白いものでもあったのかい?」
とりあえず鳴海は考えるのを止めると、ライドウの言葉を信じ、会話に応じてみることにした。
窓の側へ寄ると、雲間から太陽が差し込んでいる光景が見える。
後からライドウもついて来て、傍に立った。
「いい天気だよね。少し前までの雨が、嘘みたいだ。」
「……ああ。」
短く応じるライドウ。
もう少し愛想を見せてくれたっていいだろうに、と苦笑しながら、鳴海は窓際に凭れかかると、両腕を組んでガラス越しに外を見遣った。
外は明るく、街を行き交う人々の多さで活気の程度が分かる。
しかし、そんな中でも――物騒な事件というのは起こっているものだ。
「平和な筈、なんだけどねぇ……。」
鳴海は机の上に置いてあった新聞を取り上げると、ある記事に目を落とした。
『またも人斬り 月下の凶行! 通り魔か、それとも異常者の犯行か?』
被害者は何処かの政治家らしく、それなりに大きく取り上げられていた。鳴海は、何となく見たことのある顔だな、と思った。
何だっただろう?
何処かで会ったっけ?
――ああ、そうか。
(そういやこの人、汚職だか贈賄だかで、地方に飛ばされちゃったんだっけ。)
鳴海は一度、彼の身辺調査を引き受けたことがあったのを思い出す。
結果は確か――クロ、だったか。
「悪い事は出来ないもんだよねぇ。結局はこうやって露呈しちゃうんだから。」
苦笑を滲ませ、鳴海は肩を竦める。
「お天道様は全てお見通し、ってか。……ま、言い方は悪いだろうけど。」
「――そういう……ものなのか。」
鳴海が何となくそんなことを呟けば、隣から冷たい声が返ってきた。
「え?」
気づけば直ぐ側にライドウが居て、鳴海をじっと見つめている。
ライドウは首を傾げ、新聞と鳴海を交互に見て、言う。
「見通されている、のか。」
「な、何が?」
「今、言っただろう。……おてんとう、さま、とやらが……見通している、と。」
「ん? うん。」
「それは……全てを、か。」
「ライドウ?」
氷の瞳が揺らいでいるように見えるのは、鳴海の気のせいだろうか。
不安がっている?
ライドウが?
それにこの質問の意味は?
「何、一体どうしたってのさ?」
戸惑いながら鳴海が問えば、ライドウは目を伏せて。
「……。」
不意に、鳴海の袖を掴んだ。
鳴海は目を丸くして驚き、言葉を失う。
(えーと、ええと……これは――何?)
訳が分からないが、かといって突き放すことも出来ず、声を掛けるのも躊躇われた。
何も出来ず、ライドウをそのままにする鳴海。
陽光差す外界とは裏腹に、部屋の中は静まり返っていた。
静寂が、冷たい。
次第に息苦しくなってきた鳴海が、どうしたものかと考えあぐねていれば、事態は動きを見せる。
「七綺、帰ったぞ。」
――天の声。
「あ、あはは……お帰りゴウト! ほら、ライドウ、ゴウトが帰ってきたぞ!?」
そう声を掛けて肩に手を置けば、ライドウがゆっくりと顔を上げて鳴海を見た。
「……ああ。」
ライドウが頷き、白い手がするりと離れた。
そして身を翻すと、何事も無かったかのように戸口へ向かうライドウ。
だが、ドアに手を掛けたところで立ち止まり、鳴海を一瞥した。
「な、何? どうか……した?」
「……、……鳴、海、……。」
「え?」
「……、――否。何でも、無い。」
「えぇ? ちょ、ライ――……!?」
閉じるドア。鳴海は呆気にとられ、呆然とした。
意図が掴めない。今日のライドウは言動の全てが理解しがたく、ただ鳴海を惑わせただけ。
「反抗期……じゃあ、ないよな?」
――莫迦な。
けれど、立ち去る間際。
あれは何を言いたかったのだろう。何か伝えたいことがあったのだろうか。
今あったことを、ゴウトにも報告しておいた方が良いだろうか? それは、ヤタガラスのほうへ……?
「――まあ……少し様子を見るか。」
鳴海は懐から煙草を取り出すと、火を点けて溜め息交じりに煙を吐いた。
ガラス越しに外を見遣れば、遠くの方に黒い雲が見える。
また雨が降るのかな、と思った。