万里の陽光、千尋の月闇
08.鈍色包む、灯火
怪人赤マントの写真を手に、今日も街で聞き込みをする探偵見習いの書生。
そんな彼の側には常に黒猫が付き添っており、人には聞こえぬ言葉を書生に告げて、会話の指導誘導を行っているのだが、その事実を知るものは当然ながら誰も居ない。
ちなみに、ライドウの行う”聞き込み”というのはこういうものになる。――先ず目に留まった人間の前に立ち止まると、写真をズイと突き付け、話しかけるのだ。
「……この存在の見聞について、有無を問う。」
「え? ……え?」
「知っているのか、知らないのか。……是非を、問う。」
「えぇっ? な、何を言って――」
「この写真に写りしものに対する言の葉を、集めている。……無知か有識か、答えを。」
「無知って……いや、だから君が一体何を言っているのか……」
目を丸くして狼狽する相手に構わず、ライドウは尚も写真を差し出した状態で言葉を投げる。
その度に話しかけられる方は動揺した様子で、おろおろとするばかり。
――当たり前だ。
急に見知らぬ学生から写真を突き付けられ、何事かと聞き返す間もなく不可解な台詞を投げつけられるのだから、反応に困るのも当然だろう。
ライドウとしては”普通に”質問している(らしい)のだが、元々が端的過ぎる言葉の使い方をするせいもあって、全く問い掛けの形を成していない。
……これでは質問ではなく、唯の詰問である。
相手を絶句させてしまうだけの、意味の無い威圧行為。
しかし話しかけられた人間が悲鳴を上げたり逃げ出したりしないのは、ライドウの帽子の庇から覗く、隠れてはいるが目立つ美貌の片鱗と、響く艶やかな氷声のせいだろう。
その上、この美には大きな癖があるので、陶然とした表情の相手がすっかりライドウに見蕩れてしまわない内に、ゴウトが何とも不器用な探偵見習いの補助へと回り込む羽目になるのだ。
「七綺、少し離れろ。相手から距離を置け。それと、台詞はこうだ。――”この写真に写っている者を見かけたり聞いたりしたことは無いか?”」
ライドウは足元に居るゴウトに視線を落とすと、分かったとばかりに一つ頷き、言われたとおり最初から”質問”をやり直す。
すると、今度は意味が通じた。
相手は初めのうち、まだ戸惑っていたものの、ライドウの美貌が恐怖を打ち消したようで、次第にまともな”会話”になっていった。
そのようにして聞き込みを成立させていくライドウの様子を、溜め息を吐きつつ見守りながら、ゴウトが集まっていく情報を、彼の代わりに整理していく。
一人立ちするのはまだまだか。
いやいや焦るな業斗童子。
そら、刀を抜かなくなっただけマシじゃあないか。
などと心中で零すと、ゴウトはふと空を見上げた。
今日もすっきりしない天気。
空には鈍色の雲がどんよりと広がっていて、帝都が不安定なせいだろうか、何処か気鬱にさせる色だと思った。
(……雨に降られんうちに、踏査を切り上げるか。)
ゴウトは僅かに顔を顰めると、前脚を舐めて顔を洗う。
そして直ぐに、自分が今しがたした行為にハッとなると、「ああやはり雨が降ってしまうな。」と苦笑し、聞き込みを終えたライドウが首を傾げる姿を見ることになった。
◇ ◇ ◇
「……なぁゴウト。ライドウって、会話とかどうなの?」
予想通り降り出した雨に追われる様に事務社へと戻ったライドウたち。
客間のソファに座ってライドウがゴウトの身体を拭いていると、いつもの定位置――事務机に座ってそれを眺めていた鳴海が、不意にそんな質問を投げかけた。
質問を受けたゴウトが鳴海を振り向き、怪訝そうに片眉を上げる。
「どういう意味だ?」
「だからさー……ほら、ライドウって感情を込めて喋らないだろ? 質問とかされると、相手は解り難いんじゃない? 捜査に、支障ないの?」
「む……。」
鳴海の言い分は尤もであり、てっきり意地の悪い皮肉かと斜に構えていたゴウトは、その道理を前に渋面になった。現に、ライドウの踏査の状況は毎回難航し、ゴウトがいつも手助けをしないと上手くいかないのだ。
今日が良い(悪い?)例で、銀座の大通りで聞き込みをした時は丁度目の前に警察署があり、ライドウの”聞き込み”に怯えた通行人を見た警察官に呼び止められてしまった。
幸いにしてそれが風間刑事だったこともあり、注意(というよりは優しい窘め)だけで済んだのだが、もしこれが大事にでもなれば――。
デビルサマナーには一定の自由が赦されているが、このライドウは少し危うく、小事を大事にしかねない。
話し方もあるのだが、一番の問題は、やはり無機質な口調のせいだろう。
ゴウトは己の毛並みを櫛梳かしてくれている書生に目を向けると、口を開いて声を掛ける。
「あー……七綺?」
「何か。」
ライドウはゴウトにきちんと視線を合わせて、応えた。しかしその最中にも手は器用に動かされており、毛並みを整える動作を続けている。ゴウトが関係している限り、ライドウが手を抜くことは無い。
恭順な姿を前に、ゴウトは、さてどう質問したものかと考えを巡らせる。
「あの……な」
「――その話し方、どうにかなんない?」
「なっ、鳴海っ!」
鳴海に会話の主導権を攫われ、ゴウトがムッとした声を上げる。しかし鳴海は肩を竦めると、吸いかけていた煙草をグイと消し、会話に参加する姿勢を示した。
「いいじゃない。ゴウトも気になってたんだろ? それとも、ライドウの話し方ってデビルサマナーでは普通なの?」
「う、ぐ……」
普通か?と問われると、これは流石に否定せざるをえない。
かといって可笑しいと肯定してしまうと、当の真面目な書生が――。
「……俺は貴方に、煩いを掛けていたのか。」
呟かれた声にゴウトが顔を上げれば、毛を梳いていたライドウが手を止め、じっと見つめていた。
ゴウトが何か言おうと口を開閉させるも、ライドウが己の胸に片手を当てて、俯く。
「また、貴方に……俺が――……愚かな、煩いを。」
「待て七綺、己を卑下するな! 違うんだ!」
「あっはは、真面目だねーライドウ。ま、落ち込むのは後にしなさい。ゴウトが困ってるから。」
鳴海がゴウトの名を強調して言えば、ライドウが素直に顔を上げた。
(こういう時の鳴海の機転には救われるな。)
ゴウトは鳴海に対して素直な賛辞を抱きながら、顔を上げたライドウに向かって言葉を繋ぐ。
「七綺、庵でのことは覚えているか? 俺が教鞭を執り、お前に教えた日々のことを?」
「……忘失、する訳が無い。貴方と過ごした、あの刻は……それこそ、委細まで記憶して在る。」
「お、おう、そうか……。」
「俺のことも覚えてるよね? というか、その記憶って俺のことも勘定してるよね!?」
「その刻が……どうか、したのか。」
「無視かよ!」
拗ねる鳴海に、ゴウトは今はそれどころじゃないと一瞥だけを返しておき、ライドウに向かって話を続ける。
「七綺、学生であるお前にこのようなことを言うのも気が引けるが――……どうだ。また少し、学びやの真似事をしてみんか?」
「何を……学ぶ、と。」
ゴウトの台詞に、ライドウが首を傾げた。無表情だが、その動作が意味するのは問い掛け。
そこへ鳴海がもう一度、会話に割って入る。
「あははは、会話教室でも開く気かい?」
鳴海の軽口めいた台詞に、けれどゴウトは優秀な生徒を褒めるかのような笑みを浮かべて。
「正解だよ鳴海。何だ、お前も随分に出来の良い生徒じゃないか。」
「……出来れば生徒じゃなく、教鞭を揮う側が希望だけどね?」
挑戦するような笑みを返した鳴海に、ゴウトが頷き、応じるのは受諾。
「珍しく殊勝な心がけだな? ――良いだろう。しかし、これだけは言っておくが、七綺に悪辣なことを仕掛けたらタダではおかんぞ。」
「俺だって命は惜しいよ。分かってるってば。これは純粋に、”ライドウの上司”としての協力だから、頼ってくれて良いよ?」
「……どうだかな。」
諸手を上げて笑う鳴海を視線で牽制すると、ゴウトは首を傾げて押し黙っているままの”生徒”へと視線を戻し、言い告げる。
「さて七綺。もう一度、俺の授業を受けてみるか?」
「……。」
ライドウは眼を瞬かせると、ことりと櫛を置いて、姿勢を正した。
そしてゴウトを見つめ――少しだけ鳴海にも一瞥を向け――帽子の庇を上げて、口を開く。
「……否定の言の葉など、有りはしない。――俺如き愚鈍な生徒で良ければ、どうか。」
そう答えたライドウの表情には砕氷した微笑が美しく浮かび、見事な煌きを一つ。
その微笑に見蕩れてだらしなく口元を緩める鳴海と、早速ソレを見咎めて唸るゴウト。
ガラス越しに透けた街並みには既に雨が降り始めており、空には雨雲が満ち満ちていたが、彼らは気にする様子もなく、談笑する。
ライドウだけが一人、窓の外を見遣るなり帽子の庇を押し下げ、そっと表情を隠した。