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万里の陽光、千尋の月闇

10.誘いて、道行き



その日の帝都は雨こそ降ってはいなかったものの、前日の名残のせいか、空は鈍色の雲で覆われていた。すっきりしない天候が続く日常だが、ライドウにとってそれは問題でも何でもない。
彼の書生は、雨だろうが踏査へと出掛けていく。
雨であったとしても、それどころかきっと豪雪であったとしても、意に介さず平然と出て行くのだろう。――ゴウトが引き止めない限りは。

いやしかし……それも、「以前までは」というべきか。
唯一の手段であったその方法は、今はもう通用しない。
「休息」の概念が無いのか、またはその意味が良く解っていないのか、元々ライドウはあまり休息を好んでいなかったようだ。

そのことが発覚したのは、七回目の雨の日。
ゴウトが踏査の中止を促してみたら、ライドウは「休息=動かない=怠惰」だと見なしたようで、以降、雨だろうが何だろうが、結局は踏査に出掛けてしまうようになってしまったのだ。
命令だと言っても、頑なに首を振って。
ゴウトはすっかり諦観してしまって、現在では自由にさせてやろう、と決めることにした。

そうだ、好きにさせてやればいい。
庵の時のように。
ライドウが望むままに。

そうさ、間違ったことをしていたら、その都度教えてやればいい。
庵の日に同じく。
七綺の臨むままに。
それが己の役目であり、業斗童子の存在なのだから。


◇  ◇  ◇


「七綺。この後、暇か?」
大通りを過ぎ、丑込め返り橋の中程に差し掛かった時だった。
不意にゴウトが口を開き、ライドウに話しかけた。ライドウはピタと立ち止まると、ゴウトに視線を落として、首を横に振りつつ答えを返す。
「……貴方を於いて、他に優先すべき事柄は何も無い。」
「い、いや……俺よりも帝都の守護だろう。」
だがライドウはふるふると首を横に振り、静かに言う。
「否。俺の唯一、は……貴方だ。」
「引き下がらんな、お前も。」
強情な雛に、猫は顔だけムッとしてみせるも、しかし瞳は優しくあって。
ライドウも庇の下で微かに口端を上げたようだが、直ぐに無表情に戻って訊ねる。

「……ところで、俺は何をすれば。」
「む。ああ、時間があるなら、少し俺に付き合って欲しいんだが。」
「場所は。」
ゴウトは、そこでフフッと笑って、一言。
「まあ着いて来れば分かるさ。取り合えず、志乃田へ向かう。行くぞ、七綺。」
「……承知した。」


◇  ◇  ◇


――そうして、志乃田。
山奥に位置する神社には、今日も狐稲荷の石像ばかりしか居ない。
ライドウは、先を歩くゴウトの後から粛々と着いて来ていた。
風に吹かれ、さらさらと葉擦れの方がする。かしかしと、ゴウトの爪が石畳を僅かに引っ掻く音がする。
しかし、本来そこに続く靴音は聞こえない。笹鳴りよりも猫の忍び足よりも音を立てずに歩く書生に、ゴウトは感嘆の息と少しばかりの憂鬱を吐く。
音を立てない様は、やはり見事。
だが無気配のせいも相俟って、どうにも人離れし過ぎている感が強い。

これは……「ヒト」として如何なものか?

「なあ、七綺。」
だから思わず立ち止まって振り返れば、ライドウもぴたと止まる。
「……何事か。」
言いながら周囲をさっと一瞥し、続いてゴウトの表情に視線を留めると、また首を傾げて言った。
「害意為す存在は、感じない。……貴方の陰りは、何を指す。」
「いや俺は、」
「また、俺が……貴方に煩いを、掛けて――」
「違う! 頭を垂れるな七――……っ、葛葉ライドウ!」
まずいと感じたゴウトは慌てて叫び、その場で片膝を着いて頭を下げようとしたライドウの行動を制した。
叱咤を受けたライドウは姿勢を整え、じっとゴウトを見つめる。
どうした事か、此処最近のライドウは何時もこんな様子だ。
妙にゴウトを優先し――いやそれは初めからであったが――近状は、特に著しい。
この間の大雨の時以降のような気がするが……。
ともかく、今日は七綺を叱る為に志乃田へ赴いたのではないのだ。
ゴウトは呼吸を整えると、此方の反応を待っているライドウを見上げ、言う。
「怒鳴って悪かった。俺が言おうとした事は忘れろ。」
「……しかし……」
「それよりも、到着点は此処じゃあない。もう少し先だ、着いて来い。」
「……使者の召呼、か、それとも……報告か。」
「ははっ。俺の手の内は、着いた先で明かしてやるよ。」

神社の裏手道を通り、更に奥へと進んだ先にその建物はあった。
ライドウが居た庵よりは大きいが鄙び加減は同じくらいだろう。ひっそりした掘っ立て小屋然としたその前で立ち止まれば、ライドウが小屋を見上げて呟いた。
「此処は……鍛冶場か。」
「ほう、流石だな。分かるか。」
「……石、と、鉄、の匂い……それと、火の気配が、強い。」
全く、此処まで敏感だとはな。
ゴウトは可笑しそうに口を上げると、褒めるように尻尾でライドウのその足をぴしゃりと叩き、言い繋ぐ。
「さて……中へ入ろうか。用意が出来ている筈だ。」
ライドウがまた首を傾げたが、ゴウトが視線だけで着いて来いと促した為、彼は何も言わず、素直に従い共に小屋の中へと入っていった。