TOPMENU

白猫ジェラシイ

06.雨鳴り震えて


梅雨も明けたと言うのに、空は雨。打ち付ける雨音がガラスを叩き、音だけの雷鳴が光るほどの悪天候ぶり。
それ故に本日の猫たちは留守番役。――なのだが、その側に例の書生は居ない。
それもその筈、彼は在ろうことか一人で踏査へと出掛けてしまったのだ。
ちなみに、黒猫は――ゴウトは、止めた。玄関脇で静かに身支度を整えている彼の背に向かって、こう言ったのだ。

「七綺。今日の踏査は止めにしても良いんだぞ?」
だが当の書生ライドウは、外套をしっかり着込んだ姿で振り返ると、首を横に振った。
「……否。貴方に抗告するのでは無い、が……怠慢が行為は、継名を穢してしまう。」
「いやな、七綺。俺は別に、怠けろと言っているのではなくてだな。」
役目熱心すぎる十四代目。
そういう風に育てられたのもあるのだけれども、しかしこの大雨。外出させるのはどうにも気が引ける。
さて、どうしたものか……と考えあぐねている間にも、ライドウは目の前で黙々と身支度を整えている始末。
流石に踏査は止めさせたほうが良いだろうと思い、今まさに出掛けんとするライドウに向かってゴウトは声高に叫んだ。
「おい、七――!」
「伝え忘れていたが――貴方の為に裁縫した織り布が、ソファーの上に在る。……もし寒気が障るならば……使って、欲しい。」
「ん? ……お、おお。」
静かな声だった。
思わず言葉を止めたゴウトに、ライドウは己の台詞を告げる。
「では、踏査へ出掛けて来る故……其の間の留守を、どうか。」
言うなり背を向けて、足音無く向かうはその戸口。
流れるような動作に見蕩れている間に、氷の書生は足音無く姿を消した。
疑問符では無く命令形を使用すれば良かった、などと後悔したのは、彼が外へ出た後のこと。

「あっ――七綺!」
しまった、と思うのと同時に、階下で戸が閉まった。
……いいや洒落が言いたいのではない。
溜息を吐くゴウト。己の役目に熱心(?)なライドウの姿勢を、喜ぶべきか悲しむべきか。
ともかく、外出を止めることは失敗に終わってしまったので、他にする事が無い。
ライドウを引き戻そうかとも考えたが、彼の書生の姿は可視範囲に於いては当に無く、追い掛けるのにしても――やはり、雨である。

「……七綺の言うとおりにしといてやるか。」
捨て台詞のような言葉を、一人呟いて。
ゴウトは結局、寝る子さながらに、まどろみに身を委ねることにした。
同じく、ライドウの外出を食い止めるのに失敗して窓辺にてミイミイと泣き喚く白猫を、その側に置いて。


◇  ◇  ◇


時計の針が静かに時を刻む。
既に半日が過ぎている。
だが、ライドウはなかなか帰って来なかった。
踏査に手間取っているのだろうか?

――まさか。
彼のライドウは人の感情には怖ろしく疎いが、しかしデビルサマナーとしては怖ろしく優秀なのだ。何せ地図を渡せば、裏道ばかりか路地の隅々に至るまでの道をたちどころに踏査してしまうのだから。ゴウトの知らぬ間に。
故に、ライドウが迷うことは無いのだとゴウトは確信している。
きっと、寄り道でもしているのだろう。
そう、例えば……今日の夕食の、買出しとか――。
その時、家鳴りを思わせる程の雷鳴がした。
「うおっ……これはまた酷い。」
「にゃ。」
耳をつんざくようなバリバリとした音と閃光にゴウトが顔を顰めれば、ソファの上で身を丸くしていた子猫が、不意に顔を上げた。
「む? おい、どうした――」
ゴウトも同じように顔を上げたが、子猫は既に床に降り立った後。
「ウニャッ!!」
叫ぶなり、白猫は玄関口まで一直線に走っていく。その姿を見て、ゴウトは子猫が雷鳴で気が触れたのかと思った。
戸口は閉まっているので逃走する恐れは無いのだが、そのまま止まらずに向かえば衝突する危険性がある。
ゴウトは身体を起こすなり、子猫に向かって叫んだ。

「ぶつかるぞ――止まるんだ、白猫っ!」
しかし、白い塊は雷光が如く真っ直ぐに玄関の方へ。
勢い、止まらず。
――ぶつかる。

危ない……!
口にしかけた警告の言葉は、ドアの開く音によって寸断された。


◇  ◇  ◇


「……帰還が遅くなって済まない、ゴウトど――」
「ミャーーーッ!」
静かな氷の声を引き裂くかのように高い泣き声を重ね、子猫は戸口より姿を現した人影に飛び掛った。
いや、それは抱きついたとでもいうのか。
外套の下より飛び込んだ子猫は、氷の声の主である書生――ライドウの脇腹辺りにしがみ付くなり、ぴいぴいと喚声を上げた。
ライドウは帽子の庇を僅かに押し上げると、子猫に視線を留めて口を開く。
「……姦しきは、彼の方の煩いになる……お前は何時になったら、約に準ずるのだ」
感情無き声音が紡ぐは、咎めの言の葉。
だがライドウの声を無視して、子猫はただ高い声でみゃあみゃあと泣き喚いている。
「……。」
ライドウは呆れたように息を吐くと、子猫に構わず雨に濡れた外套を脱ぎはじめた。
鳴く子猫に時々は視線を向けるものの、気遣う素振りは全く無い。
衝立に外套を掛けたところで、行動を見計らったかのように部屋の奥から声がした。

「遅かったじゃないか。お帰り、七綺。」
「ゴウト殿。」
ライドウの視線が、すぐさま其方へ向けられた。
そして足早に、且つ足音鳴く流麗な動作で側に歩み寄り、片手を胸の前に当てて、ライドウは言う。
「……志乃田に、寄っていた。……済まない。」
そう言って、黙礼を一つ。
笑うゴウト。
「なに咎めているんじゃない。お前の身に何事かあったのではないかと心配していただけだ。」
「……煩いを掛けたのは、俺のほうか。」
白猫に一度視線を落とし、目を伏せるライドウ。
それを見たゴウトがヒゲを揺らし、首を振る。
「責めているんじゃない、と言っただろう? それとな、七綺。白猫は別に、最初から鳴いていたんじゃないんだぞ。」
「……違うのか。」
「ああ。その者は、お前が留守の間はずっと静かにしていたんだ。」
「では、何故いま……このような。」
依然として胴回りにしがみ付き、小さな声で鳴いている子猫にライドウが首を傾げれば、ゴウトが苦笑した。

「お前が出掛けてからは、ずっと静かだったんだよ。……なあ、鳴海?」
ゴウトが部屋の奥に座っているこの建物の主に会話を投じれば、相手は頷いてみせた。
「そうだね。……というか、この雨の音と雷とに怯えて丸くなってただけみたいだけど?」
言いながら、鳴海は憐憫の眼差しを子猫に向けた。
その間も、子猫はライドウにひしと掴まり鳴いている。しかしよくよく見れば成程、確かに子猫の身体は間断無く震えており、啼く声にもそれが混じっていた。
それでもライドウは、やはり表情を変えず――無表情変わらず、子猫に向かって口を開く。

「……此度の事情は、解した。――が、喚声はそこまでだ。」
みゃあみゃあ、と猫が啼いた。震えながらライドウを見上げ、何度も何度も鳴いてみせる。
「……。」
ライドウは無言で首を振ると、子猫に向かって手を伸ばした。
「七綺!? おい、少しは優しくして――」
また無造作に引き剥がすのかと、懸念を抱いたゴウトが注意を呼びかける。
――が、危惧していた行動は、起きなかった。

しなやかな手は確かに小さな塊へと伸ばされたが、しかし包み込むような仕草で触れたかと思うと、指先は猫の顔を撫で上げた。
愛撫に似たその動作を、何と呼べば良いのだろう?
鳴海ならずゴウトすらも目を丸くし、ぽかんと口を開けつつある中で、ライドウは子猫を見つめ、静かな声で話しかける。

「静寂に準じていたというなら、最後まで貫通させるべきだ。……違うか。」
「ミャア! ミャミャ! ミャー!!」
「否。咎めては、いない。賛嘆しているのだ。ただ、俺は……賞美に対する行動が、よく解からない故。」
そこでライドウは撫でていた指の動きを止め、僅かに俯いて言う。
「……誉める、という行為が……出来ない。……済まない。」
「……ミャ。」
子猫はひと声鳴くと、ライドウの腕をよじ登り、胸元までやって来た。そして小さな身体を伸ばしてライドウの顔に鼻先を近づけると、小さな舌で頬を舐め、またミャア、と鳴いた。
舌の触れた箇所に手を当て、ライドウが無表情に目を瞬かせる。
「……白、猫……。お前は……。」
「うーにゃ。」
その光景を見ていたゴウトと鳴海が、顔を見合わせて笑った。

「気にするなってことさ、ライドウ。あはは、良かったじゃない!」
「ははは! 七綺、鳴海の言うことに俺も同意だ。とりあえず、いつまでも濡れたままでいると風邪を引くぞ。そろそろ着替えて来い」
ライドウは顔を上げると、二人を見て頷き、子猫を机の上へ降ろした。
ミャア、と白猫が鳴く。だがライドウは一瞥しただけで、やはり表情を変えることなく、そして相変わらず足音も立てずに、部屋から出て行ってしまった。
その後を、また子猫が鳴きながら追いかけたが、直ぐにライドウに連れ戻されて。

「お前は、此処に大人しく在れ。」とピシリと言い渡され、シュンとするのだった。
もうちょっと優しくしてくれてもいいのに――と、白猫がさて思ったとか想わなかったとか。