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白猫ジェラシイ

07.氷なれども緩やかな


曇り空ではあるが、往来を闊歩する分には何の支障も無い。
そんな天候の下、右肩に抱き上げた黒猫に向かって話しかけながら、一人の書生が歩いていた。

「ゴウト殿。深川へ至る道行きは……此方で良かっただろうか。」
「ん?おお、そうだな。」
学帽を目深に被っている為に美貌は隠れてはいるが、言葉を紡ぐ声の艶やかさは隠しきれないようだ。
人々は彼の側を擦れ違う間際、その低いながらも滑らかな声にハッとなり、誰もが一度は立ち止まって振り返っている。
だが当の書生は彼らに一瞥すら向けず、ただ己の肩に抱いた黒猫にのみを注視している有様なのだが、まあそれはそれで余計な面倒が起きない分だけ良いのだろう。
黒猫ゴウトは、書生ライドウに一顧だにされない人々を少しだけ憐れみつつ――しかし半ば、優越感に浸りつつ――ヒゲを揺らして、笑った。
その笑いに視線を止めたライドウが不思議そうに首を傾げたが、ゴウトは何でもない、とだけ言っておいて、また笑うのだった。


◇  ◇  ◇


地図を片手に持ちながらも、もう片方の手でしっかとゴウトを抱きながら歩くライドウの姿勢に、崩れはない。
背筋をピシリと伸ばし、足音を立てずに颯爽と風を切って歩く姿はいつ見ても気持ちがいい。
「……ゴウト殿。姿勢が辛いようならば、言って欲しい。直ぐに休息をとる故。」
「ははっ、大丈夫だよ七綺。」
「……そうか。」
「にゃあ! にゃあ!! にゃあー!!」
直ぐ間近で響く声も、心地良い。
このままずっと、こうして居たいと思うが――。
「鳴海より受けた此の地図は、俺が愚鈍故か、少々、理解できない。」
「七綺は悪くないさ。鳴海の汚い手書きなせいだ。良いか七綺、お前は不出来なんかじゃないんだぞ。良いな?」
「……感謝を。では、このまま直進する。」
「みー! みぃ!! みにゃあ!!」
会話の最中、何度も甲高い鳴き声が混じっていた。
何回目かの鳴き声を聞いた後、ゴウトは意味ありげにライドウを見上げ、そして、言った。

「あー……あのな、七綺よ。」
「如何したゴウト殿。強き陽光に当てられたか。……良ければ俺の外套が中へ入られるか。」
即座に立ち止まり、応じるライドウ。
「い、いや俺じゃなくて。その――」
その素早さににたじろぎつつ、ゴウトは右を向いて、ライドウのもう一方の肩口に視線を留めた。
そして其処に必死にしがみ付いている白い塊を見ながら、口にしたのは助勢の言葉。
「いい加減、そいつを支えてやらんか? さっきから、落ちそうになってるぞ。」
「……。」
言われて、ようやくライドウが其処に視線を向けた。
肩口、ぎりぎりのところに小さな爪を立て、しがみ付いている白い子猫が一匹。
「……。」
ライドウは無表情を崩さず、無言のままに白猫を見つめる。
「にゃあ! にゃあああ!!」
それを受けて、白猫はライドウに向かって抗議するかのように鳴き喚いた。だが書生は冷たい眼差しを変えることも無く、抑揚の無い声で言う。
「何を。……お前自らが、同行を望んだのだ。それに……喚声は煩いが元。彼の方に難を掛けぬという約はどうした。」
「みゅー……にゃぁ!」
冷ややかなライドウに、白猫が僅かに身を丸めた。
それでも言いたいことがあったようでひと鳴きするも、ライドウは首を横に振って。

「……否。ゴウト殿に手を差し伸べているのは、俺の意思だ。強制されているのでは、ない。」
「みゃ! みゃみゃっ!!」
「……異を唱えるならば、此処より戻れ。」
「にゃ……にゃあ!」
「ならば、喚声などせず其処に在れ。……彼の方を煩わすことは、俺が赦さない。」
「にゃー……」
書生は、ゴウト以外には何処までも氷。
ライドウに突き放された白猫が涙目で項垂れれば、様子を窺っていたゴウトがそこで会話に割って入ってきた。
「な、七綺。口を挟んで悪いが、お前が支えてやれば、多分その者は大人しくなるぞ?」
すれば、ライドウがゴウトを見て首を傾げた。
「……そう、なのか。」
「あ、ああ。そうだな、白猫?」
「みゃうっ!!」
その通り、と云わんばかりに白猫が鳴いた。
ライドウはゴウトと白猫を暫く訝しげに見ていたが――そう見えただけかもしれないが、彼の書生はゴウトの言葉に抗告などしない。
無表情のままではあったが、頷いて返すのは恭順。

「……貴方の言の葉に従おう。では白猫よ、俺の腕を貸し与える故、自由に身を預けるが良い。」
「にゃ!? うにゃ?」
キラキラした瞳を向ける白猫に、ライドウは素っ気無く言う。
「……緘口が条件だ。」
「こらこら、難しい言葉を使ってやるな。おい白猫。静かに出来るか?」
「フーッ!」
「……。」
「……みゃぁう。」
「コラコラ、今のは他愛ない嫉妬だろう? 多めに見てやれ七綺。」
ゴウトは白猫の威嚇を容易く受け流し、またそんな白猫に冷徹な眼差しで注意したライドウを抑えると、鷹揚に笑った。
それからライドウの肩口に前足を掛けて白猫に顔を近づけると、穏やかに言う。

「さて白猫よ、大人しく出来るな? ――七綺が好きだと言うなら、態度で示してみろ。」
「にゃう!」
問い掛けを受けた白猫は大きな声で一つ鳴くと、ライドウの腕に柔らかくもたれかかるなり、見事に大人しくなった。
たちまち素直になった有様に、ゴウトがククッと笑う。

「ふふっ、それでいい。そら七綺、誉めてやれ。」
「……。」
だがライドウは動かない。
拗ねているのか?
「七綺。」
だから再度真名を呼べば、相手はゴウトに視線を向けて。

「……、……どう、すれば。」
「む……」
その言葉を聞いて、ゴウトは思い出した。
そう云えばライドウは――七綺は、人らしい感情がまだよく解かっていないのだということを。
誉める、ということはどういうことか。
簡単で解かりやすい方法は、さて――?
ゴウトは己に注がれる黒瞳の凝視にどぎまぎしながらも、考えを纏めてから、ライドウに言ってやった。

「そうだな……とりあえずは、頭でも何処でもいいから撫でてやれ。今はそれで充分だろう。
七綺、力の加減は分かっているな?」
「……ああ。貴方の、言の葉通りに。」
ライドウは此方を見上げて待つ白猫に目を合わせると、ゴウトを支えていた腕を伸ばして、その体に触れた。
ぎこちなくも、白猫の身体を撫でるライドウ。
「みゅー……。」
気持ちが良いのかごろごろと喉を鳴らし目を閉じた白猫に、ライドウは首を横に振って口を開く。
「否。礼を向ける先は俺ではない。ゴウト殿だ。」
「みゃあー。」
「……違う。俺ではなく――」
「ハハッ! 止せ止せ。堂々巡りをするだけだ。礼の一つくらい、受けておけ。」
「……貴方は、このものに、甘い。」
「おお。何だ、嫉妬か七綺?」
「……よく、分からない。」
「ふふっ。」
「にゃう。」
ゴウトが可笑しそうに笑うのに合わせて、白猫が鳴いた。

ライドウは首を傾げながらも少しの間、撫でる行為を続け、やがてゴウトの「さあ、そろそろ踏査再開するか」の声に頷いて、深川の道を歩き出すのだった。