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白猫ジェラシイ

11.花祝の贈り名


子猫は、今日も元気にライドウに纏わりついていた。
平常通り一顧だにされずとも挫けず、「構って!」とばかりにみゃあみゃあ鳴いては報告書の上で寝転んだり、ゴロゴロと喉を鳴らしつつタイプライタアを打つ手を前足で突付いたりしては、とにかくライドウの側から離れようとしない。
そんな、もはや日課となりつつある光景を、鳴海は当初ぼんやりと眺めていたようだが、そのうちに、どうしたのか不意に読んでいた新聞をばさりと置くと、ライドウに声を掛けた。

「なあ。ちょっと気になったことがあるんだけど。」
「にゃう。」
自分が呼ばれたものと思ったのか、子猫が顔を上げ、つぶらな瞳で見返した。
鳴海は手を振り、苦笑する。
「あはは。お前さんじゃないよ。……俺が呼んだのは、そっち。無愛想な黒猫サンのほう。」
と言って指差すも、”そっちの黒猫”──もとい、ライドウといえば。

「……。」
無言でタイプライタアのキイを打ち続けており、鳴海には視線どころか意識すら向けてこない始末。此れでは、まだ子猫のほうが幾らもマシである。
全く、可愛いげのない──……いや、顔は見事に美形なのだが。
(……無愛想な猫め。)
鳴海は眉を顰めて唸ると、ライドウの注意を惹き付けるように机をコツコツと指先で叩き、忠告を投げた。
「コーラ。人と話してるんだから、コッチ向きなさい。」
すれば、ライドウはキイを打ちながら言い返す。
「……お前が、勝手に言の葉を紡いでいる。俺の知るところでは、ない。」
「これは会話の最中なの! いいからコッチ向いて! ほら、作業も後!」
「……。」
「ラーイドウ!」
声高に言い、ドンと机を叩いたところで、ようやくライドウが顔を上げた。
無反応が気になったので一言言ってやろうかと思ったが、今は会話を続けたほうが良さそうだ。
鳴海はエヘンと咳払いして気をとり直すと、顎の下で手を組んで言った。
「……あのさ。気になったんだけど、その子って名前は?」
「……名──。」
ライドウは首を傾げると、右手の指先を甘噛みしている子猫を見遣った。
それから鳴海に視線を戻して、一言。

「……猫、だろう。」
「そうじゃなくて──」
「……子、猫。」
「付け足しても一緒! それは名詞だろ、俺が言ってるのは名前。固有名詞だよ!」
鳴海の台詞にライドウはやはり不思議そうに首を傾げたが、やや間を開けた後に返答した。
「よく、解らないが……お前が知りたいのは、このものの、真名か。」
「だから最初からそう言ってるだろ!」
疲れた顔して鳴海が怒鳴れば、ライドウは何時もの無表情で答えを告げた。

「……無い。」
「え? 無いって……」
静かな声で短く返された言葉に、鳴海は眉を顰める。
「名前を付けてないのか? 拾ってからもう一月だぞ。」
「時の経過と、真名の不明に、どのような関連性がある。」
「あのなあ~……。はあ。道理で、ネコねこ言ってるなーと思ったら……そうか、そういうことか。」
鳴海は少しの間、気難しい顔をして額を押さえていたが、やがて顔を上げると、ライドウを見て勧告した。

「名前、付けてあげなさい。」
ライドウが首を振った。縦ではなく、横に。
「……このものに、真名を与える役目方は……銀座に在る。」
役目方?
在る?
……銀座?
推察するところ、つまり――。
「飼い主がいたのか? じゃあ、早く返してあげなきゃ──」
「……飼い主、というものでは無い。……彼の猫の祖が、高架の下、道端に……在った。」
猫の祖、というのはもしや親猫のことだろうか。
それにしても、「道端に在った」というのは?
奇妙な物言いはともかく、過去形なのが気になった。
鳴海が問い掛けるような目を向ければ、ライドウは子猫を見遣りながら続ける。

「……時は、不明。だが……俺が通りし時には、既に在った。彼の地に……腸が、赤く──」
「──待った!」
ぎくりとして、そこで止めた。
ライドウの話し方は形が成っていないせいもあって非常に難解だが、しかし今は曖昧で良かったと本当に思った。
今まで吐かれた単語から、鳴海は大よその状況を把握する。
銀座は人ばかりでなく、交通量も多い場所である。
そこに、子猫が居たという。
そして、地面には親猫。
――腸が、赤く。つまり、親猫は……。

(……車にでも轢かれたか。)
そういえば、子猫はライドウが落とした金丹につられて着いて来たのだということを思い出す。
寂寥の子猫は、甘いものを与えてくれたライドウに温もりでも感じたのかもしれない。
鳴海は髪を掻き揚げると、顔を上げてライドウに言った。

「じゃ、尚更だな。ライドウ、その子に名前を付けてあげなさい。」
その言葉に、ライドウが無言で視線を落とす。
すれば、此方を見上げている子猫と目が合った。
「にゃあ。」
子猫はライドウを凝っと見つめたまま、一声鳴いた。
何かを求めるその眼差しに、書生は首を傾げ、それからゆっくりと首を振る。
「にゃーう?」
子猫もまた同じように首を傾げると、ライドウの顔を覗き込んだ。
「ニャア。」
「……俺、には……──」
庇の下で、視線が揺れる。
鳴海からはライドウの表情は見えないが、白猫には見えている。
「……みゃうー。」
下から覗き込み、見上げ、子猫は答えを待つ。その瞳は揺がず、ライドウをじっと見つめて唯一つの願いを向ける。

名前をください。
あなたから、わたしに。
存在を示す名前をください。
どうか、貴方から。──ねえ、ライドウ。

「ニャア。」
名前を、ちょうだい。

無言の対峙。見守る鳴海。
先に黙を破ったのは、ライドウだった。

「……望む名は、あるか。」
「にゃ。」
白猫は首を横に振った。特に注文はないらしい。
「…………。」
ライドウは首を傾げると、考え込むように押し黙った。

沈黙。
沈黙。
沈黙。
その黙んまりがあまりに長いものだから、成り行きを見ていた鳴海は苦笑し、横合いから口を挟むことにした。

「そーんなに悩むようなことかい? 見たまんま付けちゃえばいいじゃないか。」
その言葉に、ライドウがハッとした様子で顔を上げた。
「……制限、は……無いのか。」
「制限? おかしな名前じゃなきゃ良いでしょ。ライドウの好きにすりゃいいんだよ。」
「……好、き……」
ライドウの視線が、子猫に移った。白い毛並みを眺め、それは流れるように横へと滑り、ふと窓際の花瓶に留まる。
そこには、純白の白百合が凛とした風情で生けられていた。
「……白き、花の如く……在れ。」
「うにゃ?」
ライドウの手が流れるように滑り、百合を一本掬い上げた。
それを子猫に向かって差し出しながら、ライドウは続ける。
「名を……、……白百合、ではどうか。」
「にゃあ。」
「あっははは! 子猫の毛色と掛けたのかい。随分粋なことをするねぇ。女の子らしくて良いよ、ウン。」
そう言って笑い声を上げた鳴海に、ライドウが振り向いた。
そして不思議そうに首を傾げ、言う。

「……鳴海は……女、であったのか。」
「え? ……えぇぇぇえ!? な、なんだそれっ!?」
「お前は、このものを猫女の扱いとした。このものは……鳴海と同種で、あるが。」
「へ? お、俺と同じって──」
白猫と、目が合う。

「――男の仔なの!?」
「ミャウッッ!」
鳴海が目を丸くして驚けば、白猫が抗議めいた声を上げた。
「ミャ! ミャアアッッ!」
「いや、アハハ……だって、ライドウにあんまりにも懐いてるからさ。だから、てっきり女の仔とばかりさ。へー、男の仔なの。」
「フゥ──ッッ……!」
「──白百合。」
「……ミッ。」
怒られると思ったのか、子猫がゆっくりとライドウを振り向けば、そこには眩惑の微笑が現れていた。
「ライドウ……?」
「ニャウ……?」
猫と鳴海がポカンと見蕩れる中、ライドウは自らの言の葉を繋ぐ。
「……試しに、真名をなぞり上げたが……異議は、無いか。」
問い掛けるふうに首を傾げた彼の表情には、絶華の微笑が浮かんでいる。
ああ、文句など誰が言えよう。
にゃあ、と満足げに白猫──白百合が鳴けば、ライドウも笑みそのままに頷き返す。
万事解決と思われた其処へ、挙手が一つ。

「――異議有り。男の仔にそれは、ちょっと違和感無い?」
「違、和……感……。」
ライドウが首を傾げると、鳴海が助け船のように言った。
「子どもの間はさ、シロにしとくとか。ほら、幼名ってやつだよ。これだったら呼びやすいし、まだどうにか男の仔っぽいだろ?」
「……それでは……名が、二つになる。」
「良いじゃない。ライドウだって、継ぎ名と本名、二つあるだろ。」
「……。」
ライドウは再度子猫に視線を向けると、首を傾げて訊ねる。
「決めるのは、お前だ。……どうする。」
「ウニャン。」
「構わない、か。――解した。その呼び名でも、異議はないとのことだ。」
そういって鳴海に視線を向けるも、相手は肩を竦めて。
「いや、言っとくけど名付け親は俺じゃなくてライドウ、お前さんだぜ。──なあシロ?」
「んにゃー。」
子猫、白百合──幼名シロが、歓喜の声を上げ……。

「――でも、さ。」
不意に、また水を差すものがいた。鳴海だ。――というか、鳴海しか居ない。
「シロって呼び方だったら、もう定着してるよね。」
などと言って、あははと笑い、よせばいいのに更に発するは軽口。
「そう考えるとさ、名前を付けるのって今更だったよねー。アハハハハ。」
「……。」
「フーッ……ミャアッッ!」
がぶ。
「イッ!? ――っ……!」
「雉も鳴かずば撃たれまい……莫迦者め。良い薬だ。」

丁度その時、帰宅した黒猫が腕を振って涙目になっている男を一瞥し、鼻先で失笑した。
ライドウはゴウトに向かって「お帰り……なさい」と静かに、相変わらずぎこちない挨拶をしながら、鳴海に噛み付いた白猫を無造作に剥がしにかかる。

花瓶に生けられた百合は、そんな騒動などものともせず、ライドウのような静寂さを保っているのだった。