刹那の宵、瞬きの暁
03.無形の片鱗
奇妙な一日が、ようやく終りかける夕暮れ時。
ゴウトは一先ず、ライドウと共に檻のような庵の中へと戻ることにした。
何しろ此方は深い森の中を歩いて来たので、すっかり疲れていたのだ。それに加え、この奇妙な葛葉との対面に於いて疲労が一気に高まった感がある。
――今は早く休息をとりたかった。
座敷で悠々と身体を伸ばしながら寛ぎ、そうしてこのライドウを知るために会話の一つでもしようかと――そんなことを、考えた。
だがしかし、結果はというと――余計に疲れる羽目になっただけ。
何故ならこの十四代目は、とかく自ら話そうとしないのだから。
「そういえば、お前は何時頃からこの庵に居るんだ。襲名前か? それとも、後か?」
「……後、だ。」
「つい最近か。しかし、何でまたこんな辺ぴな場所を選んだんだ。何をするにも不便だろう?」
笑うゴウト。だが、対してライドウは表情を変えないままで答える。
「はじめから……独りでいる刻が、多かった。故に、此処が辺ぴ、なのかは……分からない。」
「何故、一人だったんだ?」
「知らされて、いない。」
ライドウが返す言葉はほとんどが短く、何処か不明瞭な点が多かった。
また、感情が一切含まれていないせいもあってか、あまり会話は弾まず、言葉が続かない。
返答が端的なのは、此方を警戒しているのか、それとも此方との会話を煩わしいものだと感じているためなのか。
自己紹介の時には、まだ幾分かの長い台詞を喋っていたのだから、話が出来ないという訳ではないのだろうが――……。
表情があれば少しは感情が読み取れるのだが、相手は全くの無表情でいるから余計分からなくなってしまう。
これは、どうにも厄介だ。
どうして心を解いていけばいいものか。
どうしたら少しは理解が出来るのだろう。
それ以前に、動かせるのだろうか――この、人形を。
ゴウトは眉根を寄せると、深く深く溜め息を吐いた。
◇ ◇ ◇
「お前は寡黙なのだな。」
庵の一室に入って早々、ゴウトは再び途切れた会話を繋げだした。
だが相手、ライドウはというとゴウトの前で正しすぎる姿勢で鎮座し、眼を一つ瞬かせるのみ。
返答の無いのを見ながら、ゴウトはやれやれといった顔をして、言う。
「だんまりを決め込むか? そんなに俺と話すことが煩わしいのか?」
「……。」
返事のない会話――ともすれば単なる独り言のような対話に、ゴウトが大きな溜め息をつきかけた、その時だった
「……あ、……。」
ようやく相手が応える気配がした。
見遣れば、その無貌とも言える表情をした十四代目が指先を唇に当て、口篭っている。
何かを言おうとしているのか?
期待を少しばかり抱きつつ、ゴウトは先を促してみる。
「何だ、どうした?」
訊ねれば、ライドウは視線を下方に逸らし、一言。
「どう、話せば……良い。」
「――……何?」
ゴウトが怪訝な顔をすると、相手は更に深く目を伏せ、微かに眉根を寄せた。
「会話、というのは――……どうすれば、成立となる。」
「……な……。」
思いも寄らなかった言葉に、ゴウトは呆気に取られる。目を丸くし、そんな莫迦なという顔をして返すのは質問。
「十四代目、お前……お前は、人と……いや、誰かと話をしたことが無いのか?」
「……。」
長すぎる沈黙が、室内を満たす。
その後で、ようやく紡がれた言葉は。
「……無い。」
――成程。
嫌われている、とばかり思っていたが、どうやらそれは此方の勘違いだったようだ。
ほっと安堵するゴウト。しかし、それも直ぐに苦い顔になる。
果たしてこれでデビルサマナーが務まるのか。
会話が出来ないと、仲魔にした悪魔を使役するのが難しくなるのではないだろうか?
……いいや、そうでもないか。
その辺は、この美貌で補えるだろう。余りあるほどに。
断言できる。この美貌は、悪魔すら容易に陥落させるものである、と。
しかし、相手が人間ならば……?
デビルサマナーといえど、人と接触することがある筈だ。
人に触れ、人と話し、時には人の力も借りねばならぬこともあるだろう。
そうしなければ、前に進めないこともある。人を貶めては、何も出来やしない。
この十四代目は、人を軽んじている訳ではないのだろうが、しかし。
篭絡させるのと協力させるのでは、意味が違ってくるし、あまり良い印象ではない。
後々、カラスの使いに変な報告をされでもしたら、可哀想だ。
故に、会話を知らないというのは少し――いいや、かなり手厳しいことになる。
ゴウトが考え込み、胸中で酷く葛藤してるところに、静かな声が掛かる。
「何か問題事か、目付役殿。」
「……大いに問題事だ、十四代目。」
そう言い返すと、ゴウトは前足で額を押さえて呻いた。それをライドウが不思議そうに首を傾げて見つめている。
仕草が妙に子供じみて見えるのは、きっとこの葛葉の大よその性格が掴めてきたからだろう。
最初から無機的な人形だとばかり思っていたが、もしかするとそれは、思い違いだったのかもしれない。
この葛葉は単に、モノを知らないだけではないのか?
ゴウトはライドウを見ながら、最初からの出来事を思い返してみた。
そういえば、独りで居た時間が長かった、と――最初に、そう言っていたのを思い出す。
思えば、あの時に気づくべきだったのだ。
気づいてやるべきだった。
一人、ではないのだ。
”独り”で居たのだ。
言葉が一つ変われば、それが示す意味も大きく変わる。
一人と、独り。
――ああ。
ゴウトが考えに沈んでいると、またライドウが話しかけてきた。
「俺が、何か貴方に対して迷惑を掛けてしまったのだろうか。」
「ん? ああ……いや、大したことじゃあない。気にするな。」
「僭越ながら、詮無いようには見えないが。」
ああ、全く。妙なところで勘が鋭くて困る。
「……良いから、お前は気にするんじゃない。問題ごとは、追々何とか解決していく。」
「承知した。では、俺はそれ以上その問題ごとには関わらない。」
「まあ、そうだな。今は、そうしてくれ。――それよりも、だ。」
ここでゴウトが十四代目を見据え、話題を変える。
「帝都に赴くまでには、まだだいぶ日がある。これは良い機会だ、十四代目。」
「良い機会……とは。」
「お前には少しばかり……いや、少しじゃないな。盛大に他に対する適応能力が不足しているようだ。故に、この数日の間、俺が教鞭を振るってやることにした。」
「貴方が……教鞭を。何故。」
ライドウが視線を上げて、首を傾げた。
「言っただろう? お前には足りないものがあると。それを教えるためだ。」
「貴方に煩いをかけるほどに、俺は無能か。」
「ああ、いや……そんな深刻なものじゃない。俺の、莫迦な老婆心とでも感じてくれればいい。気にするな。」
「貴方は、老婆ではないだろう。」
「……言葉をそのままに取るな。」
ここで、ゴウトが一旦言葉を切り、大きく呼吸をした。そしてライドウに言い告げる。
「ともかく、得ておいて絶対に損は無い。――嫌か? 十四代目。」
片眉を上げてライドウを見遣ると、相手が静かに首を横に振って答えた。
「……否。俺の為などに何かをしてくれる貴方に対し、肯定は抱けど否定の情は委細無い。」
「……そうか。ならば、いいが――それにしても、いちいち十四代目というのも呼びにくいな。」
「それならば、葛葉の名で呼べば良い。」
「そう、なのだが――……ふむ。ここは、お前との関係をより築き易くする為に、別の名で呼ぶことにしよう。」
「……ライドウ、か。」
「違う。それは襲名したものであって、お前自身のものでは無いだろう?」
「……ああ。」
葛葉ライドウは、継承した名前。
デビルサマナーとして仮初の名であり、本名ではない。
「十四代目。お前、名は何と言う?」
「それは、真名のことを訊いているのだろうか。」
「当たり前だ。他に何があるという。全てを教えろとまでは、言わん。下の名だけで構わない。」
「……。」
ライドウが逡巡するように短く沈黙したが、やがて、ゆっくりと言葉を返した。
「……七綺、だ。」
「七綺か……何だ、良い名前じゃないか。――よし、これからお前のことは、その名で呼ぶことにしよう。」
そう言ってから、ゴウトが何かに気づいたように付け加える。
「ああ、それと。最初にも言ったが、俺のことはゴウトでいい。」
「しかし……目付役殿を、そう気安く呼ぶのは――」
「分かったな、七綺?」
「……。ああ……承知した、……ゴウト、殿。」
「うむ、それでいい。」
「……。」
破顔するゴウトに釣られたのか、ライドウが――七綺が、笑った。
「――っ!?」
その微笑に、ゴウトが目を丸くして絶句した。
砕けた美貌が、こんなに様変わりするものとは。
悪い方へ、という意味ではない。むしろ、より極上の美貌に変化したからだ。
何という微笑。
心を虜にするどころか、魂を喰らうような……凄惨で、けれど美しく。
眼が、全く離せない。意識も同様に引きずられ、動けない。
それは完全な、慮化効果。
怖ろしいほどに強い引力の微笑みを前にして、ゴウトの思考にある感情が浮かびかかる。
……が。
「目付役殿。」
七綺の呼びかけに、ゴウトの浮上しかけていた不可解な感情が消失した。
それによって我に返ることが出来たゴウトが、慌てて頭を振る。
鮮烈の微笑は跡形もなく消えており、また変わらぬ硬質な表情が此方を見つめているだけ。
ひやりと冷汗に似た何かが、ゴウトの心を流れていった。
「――……何でもない。それよりも、七綺。呼び名が早速、違っているぞ。」
「ああ。……済まない……ゴウト。」
「うむ。」
あの、一瞬。
今は消えてしまって跡形も残っていないが、あの感情は何だったのだろう。
戦慄、恐怖……違う。そんな生易しいもんじゃない。
あれは、あの感情は――……。
(……止めておこう。これ以上考えても、疲れるだけだ。)
気を逸らすためにゴウトが外を窺えば、夜の帳はすっかり落ちて闇を喚んでいた。
ああ、これでようやく一日が終るのだな、と。
ゴウトが、ひっそりと嘆息をつく。
耳を澄ませば、心臓がまだ少し早い鼓動を脈打っていた。
どうやら、完全に落ち着くには今しばらくの時間を要するらしい。
傍らを横目で窺えば、静かな人形が夜に溶け込むかのように側に居た。