刹那の宵、瞬きの暁
04.無類童子
新月、朔月、上弦、下弦。
山々に囲まれた深い森の奥にある庵で、奇妙な生活が幕を開ける。
猫が人形に教鞭を揮うのは、何ということのない識事。本当に、つまらないものばかり。
けれどしかし、人形にとっては、かなり重要なことばかりなのだから、困る。
笑い事で済めばいいのだが、ちっとも笑いどころではないので――……本気で、困る。
◇ ◇ ◇
この十四代目の面倒を見るのは、とにかく大変なことなのだ、と。
共に暮らした初日早々に、ゴウトはとくと思い知らされた。
まず夕餉にしようと台所へ共に行けば、ライドウは棚に並べられている品々を、その無表情な瞳で見回し、そこへ近づくなりこう言った。
「ゴウト殿。……これは何だ。」
問い掛ける言葉に、まだ疑問符は付かない。いや、今は言葉の抑揚に気を向けている場合ではない。
ゴウトはライドウの示しているものに眼を留めると、げんなりしつつ答えを返した。
「それは、鍋だ。食物の煮炊きなどに使うもので……少なくとも、頭に被るものではない。元の場所へ戻せ、七綺。」
「成程。鉄兜に似ていると思ったが……違うのだな。」
ライドウが変な納得をして、言われたとおり、頭上に掲げていた鍋を元の場所へ置いた。
ゴウトが止めなければ、この十四代目は頭に被ろうとしていたのかもしれない。
かもしれない、と仮定してはみたが……恐らく、実行されていた確率が高い感がするのは否めない。
……危ないところだった。
ゴウトの物憂いを余所に、ライドウの淡々とした質疑が続く。
「では、これは。これも、食物の煮炊きと関係があるものだろうか。」
「……。――それは、眼鏡だ。低下した視力の補佐に使う装飾具だ。……齧るな、七綺。」
「補佐の、道具か。変わった形をしているのだな。」
「……。」
変わってるのはお前の方だ、十四代目。
ゴウトの胃が、きりりと痛みを覚えてきた。
とかく、このライドウはモノを知らない。
怖ろしいくらいに、何も知らない。知らなさ過ぎるにも、程がある。
わざとじゃないのかと訝しみたくもなるが、向けられた瞳で真実だと悟らされ、頭が余計に痛くなった。
赤子のような、無知さ。
童子のような、無謀ぶり。
けれど無智ではないのだから、これまた微妙に納得がいかない。
「七綺……。お前は一体どんな生き方を習ってきた。」
あまりにもモノを知らぬ姿に、流石にゴウトが呆れて問えば、ライドウは――七綺は、戸棚にあった鍋掴みに手を伸ばしながら言った。
「……教示されたのは、戦術に関してのみ。それ以外は……不必要だと判断されたのか、何も聞いてない。」
鍋掴みも珍しいものに値しているのか、布地をぐいぐいと引っ張りながら答える七綺。
その姿は、完全に幼児と同等。
七綺の返答は、ゴウトの胃痛と頭痛を更に幾分、強くしただけだった。
「……ヤタガラスめ。何と言う育て方を。」
思いきり深く、ゴウトが嘆息をついた。
だが戦術だけを習ったというこの十四代目は、その言葉のとおり、戦闘に於いて怖ろしく強いのも、また事実。
先刻、庭先であったことを思い返す。
七綺に一枚の紙を用意させ、それで簡単な式神を作って戦わせてみたのだ。
技量を推し量る為にした何気ない行為だったが、結果は――非の打ち所が、無かった。
全くに。
俊敏な判断、一切無駄の無い動き、そしてその技。
ほとんど音のない、完全な静の光景だった。
刀が煌めき振るわれていたというのに、ただひたすら静寂だった。
風を切る音よりも、木の葉の笹鳴る方がよく響くほどに。
最後に式神に容赦なく止めを刺した時には、見ていて戦慄を覚えたくらいだ。
戦うために、生まれてきた。
――否。そんな生温い表現では足りない。
これは、存在を無に帰すために黄泉から生まれ出た虚無。
深淵が何処までも続く無の陥穽のような。
そんな印象を抱くほど、このライドウの戦いぶりは凄まじかった。
正に葛葉の名に相応しい――……そう考えでもしないと、おかしくなりそうだ。
正直言って、このライドウは怖ろしい。
しかし、かといって戦慄ばかりの存在だとは思いたくない。
何故なら彼は、これから共に歩んでいく大切な相棒になるのだから。
「ゴウト殿……どうか、されたか。」
迷いの無い視線を向けられて、ゴウトが回想から意識を戻す。
見れば、七綺は癖なのか首を少し傾げ、此方の様子を窺うように見つめていた。
しなやかな手には、玩具のように握られた鍋掴みがあるまま。
その奇妙な光景に、ゴウトがつい苦笑する。
「いいや、少し考え事をしていただけだ。そんなことよりも七綺、お前が手にしているものは玩具ではないんだぞ。いい加減に、離せ。」
「玩弄しているつもりは、ないのだが……。……解した。離す。」
首を傾げつつも、ぽすりと流し台の上に鍋掴みを置いた七綺を見ながら、ゴウトが肩を少し上げた。
やれやれ、全く。これではどちらが童子なのやら。
まあともあれ、早急に理解出来るものではないのだから、焦ってみても仕方ない。
帝都に行くまで、まだ時間はあるのだ。可能な範囲で、距離を縮めていけばいい。
そうさ、慌てることはない。
「七綺、ここに来い。とりあえず、夕餉の支度をするぞ。」
「……承知した。」
大人しく側にやって来た七綺――十四代目ライドウを見ながら、ゴウトはそうして一つずつモノを教えに取り掛かるのだった。
とりあえず、夕食だけでも口にしておきたい。
しかし教えるのは良いのだが、まともなものが出来るのだろうか。
一抹の……いや、多大な不安を抱えながら、ゴウトは七綺に調理の方法を教えていく。
せめて食べられるものが出来上がるのならば、今はもう……それで良い。