刹那の宵、瞬きの暁
06.不可解感情
必要なことは、全て習ったものだと思っていた。
打突蹴拳、刺斬、全てに至る戦術を習い、知り、そうして葛葉ライドウを襲名するに至るまで、何の疑問も抱くことなくやってきた。
何かを絶つ消す滅すということと、生き延びる手立てだけを叩き込まれて、生きた。
生と死、それとデビルサマナーに関することを習い、あとは何も倣いはしなかったのだ。
それ以外に何も聞いていないから、何も知らない。
だから別に身につけなくてもいいのだと思い、知らないままで生きてきたのだが、けれど。
どうやら、その認識は間違っていたらしい。
何故なら、目付役に就いたゴウト殿が、俺に対して言ったのだ。
『お前には、盛大に他に対する適応能力が不足している』……と。
自分では良く分からないのだが、目付役殿がそう言うのだから、確かなのだろう。
故に、帝都に赴くまでの、空いた月日、この時間に彼の人からの教授を受けることとなった。
こうして、隠者の庵で学びやの真似事が始まる。
教鞭を揮う師範は、目付役のゴウト殿。
習い教わる愚鈍な学生は、この俺――十四代目、葛葉ライドウ。
◇ ◇ ◇
庵に来てから、どれ程の時が経ったのだろう。
この数日間、とかくゴウト殿には色々なことを習い教わってきた。
それらの情報は全てが全く目新しく斬新で、感謝の意を尽くしても尽くしきれぬほどの知識量。
その博識ぶり、威厳な存在である目付役殿の存在に、改めて頭が下がる思いを抱く。
けれども、それだけ多くのモノを知らなかった自分自身を……酷く愚かなものだと実感した。
己が愚鈍なものであると認識はしていたが、まさかこれ程までに低劣だったとは。
俺は結局、何も知らないでいたのだ。
あの檻の中で生きてきた刻は、一体なんだったのだろう。
習ってきたことは、役に立たないものなのだろうか。
習わなかったものは、本当に必要がないものだったのか。
ならば、俺が切り捨ててきたものの価値は――意味は……。
ぐるぐる、ぐるぐると。
胸の奥で、何かが渦を巻く。
この感情は、――……何、だろう。
どうにも不可解で……思考に、影が差す。
これは……邪魔だ。
不必要な、感覚、が――。
「……綺、……七綺。おい、七綺!」
「――……。」
名を呼ばれたのを意識が確認した瞬間、渦巻いていたものが、ひゅっと消えた。
ニ、三度ほど瞬きをしてから顔を上げれば、其処には漆黒の毛並みが美しい目付役殿が居た。
彼の方の瞳は非常に美しく、若葉の色から松葉へと移り変わる緑色の瞳は、至上の宝玉のようだと思う。俺は、ゴウト殿のその双玉が気に入っている。
相変わらず、美しさはそのままでいるな――と、瞳の色に気を惹かれて、つい声を掛けられていたことを失念してしまっていた程で。
「七綺、おい……どうした、大丈夫か?」
此方の顔を覗き込み、ゴウト殿が再度訊ねてきた。
そこで俺は、不遜にも返事をしていないことに気づいたので、急いで言葉を返す。
「……すまない。少し、忘失していた。」
「何か考え事でもしていたのか?」
「ああ――」
頷いて、今考えていたことをそのまま言の葉にする。
「貴方の瞳の色は、美しい、と……憧憬の念を、抱いていた。」
「なっ……」
「瞳孔の価値は、賛嘆措くあたわざるものだと――そう深く感じ入りながら……眺めさせて、頂いていた。」
それは純粋な賛辞の言葉だった筈……なのだが。
しかし、俺は何か言い間違いでもしてしまったのだろう。ゴウト殿が非常に驚いた顔をし、暫く固まった姿勢で俺を凝視した。
「ゴウト殿。……俺の物言いに、何か、不遜な箇所があったのだろうか。」
首を傾げて問えば、そこでゴウト殿は急にびくりと反応して硬直を解いた。
――我に返った、とでもいうのか。
それから彼の方は頭を振り、眉間に皺を寄せて言った。
「……あのな、七綺。変なことを真顔で言うもんじゃない。」
「感じた事実を言ったまでなのだが――……変、だったのか。」
「……まあな。」
成程。俺はまだやはり愚鈍なままらしい。
こうしていつも、ゴウト殿に憂いを抱かせてしまっている。
誉れ高い至高の名を継いだはいいが、これではどんどん貶めていくばかりだ。
俺が、葛葉ライドウの価値を凋落させていく。
この、果てない愚物が。
――何て愚かしきことか。
「……ゴウト、殿。」
「ん、何だ七綺。」
「俺は――……」
そこで、何故か言葉が出なくなった。
「七綺……?」
怪訝そうな顔で、ゴウト殿が此方を見ている。
駄目だ。目付役殿に、こうも度々、余計な憂いを抱かせてどうするのか。
やはり俺は劣悪な存在でしかないのだ。
カラスからも示されたではないか。その醜悪さを。
……ああ、そうだ。
ゴウト殿にも、一応伝えておいた方がいいのかもしれない。
愚かな存在が持つ、愚かな事実を。
「……。ゴウト殿。貴方に、伝えおくことがある。」
「ん? 何だ、一体。」
「俺は――……」
果たして、貴方は俺の告げ事に、どういった感情を抱くのだろう。
貴方に要らぬ負荷が掛からないように、言の葉を選んで話すよう努力はするのだが。
けれど、少しでも不快を感じたら、その時は。
どうか、存分に咎めてくれるよう……そう、御願い申し上げる――。