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刹那の宵、瞬きの暁

08.否決異論



「きっと――……訊ねに戻るだろうと思っていましたよ、業斗童子。」
カラスの使いの言葉を凪ぐように、冷たい夜風が吹き抜ける。
「……計略通り、と言いたいのか?」
ゴウトが地面に爪を立て、怒りで唸り返すと、使いの者は静かに首を横に振った。
「最初から謀っていたわけではありません。けれど――……そうですね。必然的にそうなってしまったであろうことに、否定するつもりはありません。」
「……話せ。あれについて――七綺について知っている事柄を、全て話せ!」
夜の闇が広がる中に響く、ゴウトの怒号。
木々が怯えるように震えて乾いた音を鳴らす中、使者は静かに息を吐き、口を開く。

「では、貴方にも教えておきましょう。アレの価値と、その身に潜めた本性を――……。」
冷えた風が、ゴウトと使者の間を縫うように流れた。
ヤタガラスの使者が、語りだす。

「彼のものは、ヒトではない――それは、聞きましたか?」
「ああ。……それは、当人の口から聞いた。つい、さっきな。」
「では、どうしてなのかについては?」
「その先は聞いていない。……それよりも、何故あいつはあんな言葉を吐く? 何故、自らを、ああも貶めるんだ?」
「業斗童子。貴方もデビルサマナーの知識があるならば、知っているでしょう。」
ここで使者は一拍置くと、息を吸って後の言葉を繋ぐ。
「あれは、全くの稀なる存在、人ならざるもの――吸精の稀形です。」
「マレガタ……だと?」
人形の次は形代呼ばわりか。
……ふざけるな!
ゴウトは毛を逆立てると、唸りながら叫んだ。
「貴様らは、あれを――七綺を人形に育て上げたばかりでなく、人外として扱うのか! 従順無害な傀儡にして、満足か!? ……思い上がるな!」
「……どうとでも。けれど、吸精だという事実は変わりません。」
使者の声は、何処までも冷静でいる。それが更に怒りを増幅させた。
だがゴウトは剣呑な雰囲気を纏いつつも、自制しながら低い声で押し出すように答える。

「吸精、か……しかし、その正体が何であれ、俺は七綺を人に孵すつもりだ。
七綺に絡んだ人形の糸を、断ち切ってやる。――それを、言いに来た。」
「……貴方は彼のものの本性を知らないから、そんな事が云えるのでしょう。」
「俺が七綺について浅薄なのは、認めよう。だが、この考えは変えんぞ、カラスの使い。」
石床に、がりりと爪を立てながらゴウトが言う。唸り声と共に。
「……。」
使者はただ沈黙を保ち、ゴウトの怒りの視線を受けている。
やがて黒猫の逆立った毛並みが治まった頃に、ひっそりと口を開く。
「虚無を解放して、何になると? 確かに我らの行為には、義があるとは思いません。けれど、間違った事ではない……と。それだけは、言っておきましょう。」
「間違いではない……だと?」
ゴウトの声に、また怒気が宿り始める。
使者は、相手の怒りが再び沸きあがる前に片手を出してそれを制し、口を挟んだ。
「全ての命、精力を喰らう存在を野放しにすればどうなるか。それを真に解った上で言っているのですか?」
「だからといって、精神ならず神経までを支配してどうする! 抑圧ばかりが、あいつの為になると思っているのか!」
「……あれに感情を与えれば、凄惨な結末になるのは知れたこと。だが、閉じ込めきってしまうには惜しい能力を持っている。――ならば、余計なことを知らせずに育て上げればいい。……これはヤタガラスの慈悲なのです、業斗童子。」
「慈悲!? 何が慈悲だ! ヒトを自らの道具に仕立て上げ、手前勝手なことばかり……。貴様らはただ、従順な人形が欲しかっただけだろうが!」
「――違います。ヤタガラスは、」
だが使者が言いかける前に、ゴウトが矢継ぎ早に怒鳴ってそれを封じた。
「下らん詭弁は、もう沢山だ! ――兎も角、俺は七綺に人としての感情を教えてやるからな! ――ヤタガラスにも、そう言っておけ!」
「業斗童子――」そうして使者が呼び止める間もなく、ゴウトは身を翻すと駆け去っていった。
闇に消えた跡を見つめながら、使者は霞めいた息を吐いて呟く。

「今は何処までも意見が合わぬようですね、業斗童子。……ならば、好きにすればいい。全くに気の済むまで、何処までも。」
夜の色に姿を溶かしながら、使者は月を見上げて言葉を吐いた。

「その果てに識るがいい――あの存在の、真の愚かさを。」

紡ぎ流した言葉は、蔑みか、それとも憐憫か。
冷たい夜の闇の中で、ひたすら冷徹な声を響かせて使者は音も無く姿を消した。
それを見送った石狐たちも、ぶるりと震える素振りを見せてそれきり押し黙る。
名もなき神社に、また完全な静寂が戻り始めた。


◇  ◇  ◇


夜の闇の中で、黒猫は来た道を戻っていた。
その足取りは、行きに比べて随分と遅く、そして重い。
道中で、ゴウトは大きく溜め息を吐きながら、未だ覚めやらぬ怒りを何とか静めようとしていた。

「吸精の稀形……か。」
全ての命、精力を喰らう存在だとカラスの使者は語っていた。
精気を喰らうのと、血を吸うのと。
果たして、どちらが良かったのだろう。
精気に色はないだろうから、こちらで良かったのだろう……と、いう気がしないでもない。
ともあれ、いかんせん、難関な問題ではある。
ヤタガラスが彼を幽閉し、外界から遮断して育てた理由が此処に来てようやく判明した。
しかし、だからといってこんな理不尽な育て方をしたのについては、賛同しかねる。
向こうにも、何かしらの理由や弁解があるだろうが……やはり、理解は出来ない。

出来やしない。こんなこと。
確かに珍しい能力を持ってはいるが、外見は全くの人だ。
感情を消されているが、それでも人間だ。
あの葛葉は――七綺は、れっきとしたヒトなのだ。

だから、特別扱いなんかしない。
特別に扱うなど、してやらない。
カラスの言うことになど、従ってやるものかよ。きりりと歯軋る音がして、ゴウトの足並みが速くなる。
早く七綺の元へ帰ろう、帰ってやろう。あれは確かな人の子で、寂しさを知らない子供なのだ。
冷たい夜の中に急に置き去りにされて、少しばかりの不安を抱いている頃だろうから……。


◇  ◇  ◇


――その頃。
庵では、一人突然に置き去られた七綺が、身動きもせずに縁側に腰掛けたままでいた。
「……。」
無表情のまま、月を見上げながら目を細め、溜め息に似た息を吐く。

ああ、また残された。
やはり、呆れたのだ。この見事なまでの愚かさに。
不快に、なったのだ。このあまりの汚らわしさに。

また、いつもと同じこと。
前と同じ。今と同じ。

ひとりだけ。
独りきり。
続いてきた永遠の――俺の、理。

「……。」
ゆっくりとした動作で立ち上がり、外套を羽織る七綺。
目付役殿も、もうきっと帰っては来ない。何時も誰も、そうだった。
けれど――黙って姿を消してしまうのは、まずいのだろうか。

「俺は……どうすれば、いい。」
誰に訊ねることもなく、一人きりの七綺が、闇夜の中で呟く。
答えは何処からも、返っては来ない。
ゴウトもそのまま、帰っては来ない。
「俺は……。」
何かを決意するように、一度目を閉じて空を仰いだ。
それから瞳を開けると、誰も居なくなる庵に向かって肩越しに視線を投げて。
「檻よ。……世話に、なった。」
そう言って、外套を翻して歩き出そうとした刹那。

「――何処へ行く気だ、七綺。」
「……。」
声に惹かれるように振り向いた先に、一つの小さな影があった。
輝く二つの緑閃が、七綺に近づいてくる。
それは何かと、言うまでもない。

「……目付、役……殿。」
「また呼び方が戻っているぞ。……名は言っておいた筈だろう?」
「あ――……すまない……ゴウト、殿。」
「それでいい。……で? お前は何処へ行こうとしていたんだ。俺は何も訊いておらんぞ?」
言いながら、ゴウトが七綺の足元へとやってきた。
緑色の瞳から視線を逸らしながら、七綺が躊躇うように答えを返す。
「……。すまない……まさか、貴方が……戻ってくるとは、思わなかった、故……」
七綺の言葉を聞いて、ゴウトの片眉がぴくりと上がった。
「――ほう? お前は俺を見くびっているのか?」
「否……それは、」
「何度も言うようだがな、七綺――ふざけるな。お前の物差しで、事の全てが計れると思い上がるな!」
「……。貴方の怒りは、尤もだと思う。愚鈍たる葛葉で、誠、申し訳、無く――。」
七綺が項垂れ、地面に両膝を付こうとするのでその寸前でゴウトが牙を剥いた。
「無駄に頭を垂れるなと言っただろう!」
「……しかし……俺、は」
片膝を付いたところで顔を上げ、ゴウトを見る七綺はやはり無表情だったが、瞳が揺れているように感じた。
戸惑っているのだろうか。
そんな様を見て、ゴウトが自らの大人気なさに嘆息付き、怒りを収めて言う。
「……怒鳴って悪かった。とりあえず、謝罪は要らん。――立て、七綺。」
「――。」
七綺が大人しくそれに従い、立ち上がった。
外套に付いた砂埃が、風に吹かれて散る。

ぱらぱら、と。
落ちゆく砂の粒子に目を留めながら、七綺が口を開いた。
「……貴方は、……何故……」
「何だ?」
「……。いや……俺のような存在、の傍らに……就いて、頂けるのか。」
「ああ、そうだ。雛鳥の面倒は最後まで見るさ。途中放棄は俺の性分じゃない。」
「……しかし、俺は――」
「――俺では不満か、七綺は?」
「……そんな……――そんなことは、決してない。……勿体無く、思う。」
そういうなり胸に手を当て、七綺が深々と謝罪の姿勢をとった。
そうして顔を伏せたまま、言の葉を紡ぐ。
「……言の葉が、見つからない。……何と言えば良いのか、分からない。――けれど」
屈めていた上体を起こし、ゴウトに視線を向ける。真っ直ぐに。
そして、先に続く言葉を告げる。

「……ありがとう、と……――こういう時は、そう……言うのだろうか。」
冷然な無貌の仮面が剥離した下から現れたのは、破幻の微笑。
頼りないような、切ないような。
魂を鷲掴みにする刹那の微笑の威力は相変わらずだったが、けれど今のゴウトはその幻惑に飲み込まれることはなかった。七綺の心に、きちんと向き合ったからか。
相手の微笑から――七綺から目を逸らさずに、ゴウトが笑って言い返す。
「そうだ。その対応でいい、七綺。」
「……そう、か。分かった……。」
頷く七綺だが、表情からは既に笑みが引き始め、また冷たい氷の塊へと移り変わっていく。
刹那の微笑を名残惜しく思いながら、ゴウトはこうも思う。

あの微笑の出現時間は、短いほうがいい……と。
心中でそんな事を思いながら、ゴウトは肩を竦めつつ、七綺に言った。

「さて――……今日は無駄に時間を消費したな。とりあえず、そろそろ寝るか七綺。」
「……ああ。」
七綺を引き連れて、また庵の中へと戻っていくゴウト。
縁側に上がる間際、七綺が不意に月を見上げて、目を細めた。
今回は、置き去りにされはしなかったようだ。
また、いつものような結果が待っていると……ひとりになるのだと、そう思っていたのだが。
このような、裁量を見誤った刻は初めてかもしれない。
刻というのは、気まぐれなのだな。
本当に……不思議なものだ。

それに……どうやら、この生活はこれからもまだ、続いてくれるらしい。
ゴウト殿はまだ、俺などの側に就いて居てくれるらしい。
こういう気持ちは、何と表現するのだろう。
ありがとう……いや……少し、違う。感謝の念と同系だとは……思うのだが……。
――ああ、そうだ。日が明けた後に、ゴウト殿に伺ってみよう。
俺は今暫く、独りではないようだから。

「七綺、何をしている。早く床に就かんと、そのまま朝を迎えてしまうぞ。」
「……ああ。すまない。今、支度を――」
七綺は月から視線を外すと、ゴウトの後を追って庵の中へ入っていった。
人形に色々なものを与えた庵の一日はここで終わり、彼らはようやく眠りに落ちる。