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刹那の宵、瞬きの暁

09.未確認気配



揺蕩う三日月、遠い夜。
揺れる太陽、明けて朝。
陰射陽転、日が巡り。
規定の刻を、ゆっくりと消費しながらも確実に歩を進めていく。

虚無が支配する庵の中に、これまた無の人形が、ひっそりと。
凍った感情、無機質の声。
無の瞳が闇に煌き瞬き、その側には緑の瞳を持った黒い猫が、一匹。

猫が、言う。
「解らないことがあるのなら早々に訊けよ、七綺。」
人形が、答える。
「……不理解に値するものが何なのか分からない場合は、どうすればいいのだろう。」
「……。」
「……。」
大概は、こういう会話から一日が始まる。

猫が、人形の相手をしている。
人形が、猫に相手にされている。

端から見れば、これらは全く奇妙な光景なのかもしれない。
けれど、当人たちにとっては現実のこと。笑えないこと。
もっとも――笑えるのは、今は猫だけ。
人形は、笑わない。笑うことを良く知らないから。
時折、微笑してみせることがあるが、出現はいつも不安定で、短い。

そんな庵で今日も、人形になった人間をヒトに孵す為に猫が動き回り、考える。

その行動もやはり、猫の方だけがするのだが。


◇  ◇  ◇


はぁ、と癖になりつつある嘆息をついて、ゴウトが唸るように喉を鳴らした。
溜め息を吐くばかりか、疲れを覚えるのにも慣れはじめてきた自分が、少しばかり悲しい。
しかし、一つ一つに悩んだり考え込んだりしている暇はない。
今の時間を、大切に使わねばならないのだ。
この十四代目を、人形から還す為に。
人として、孵らせる為に。

ともあれ、色々ありながらも一週間が過ぎた。
人形は相変わらず人形のままだが、少しは理解が出来てきた……と、思う。
さて、それはそうと――本日は、何から始めよう。

今日の天気は、随分と良好だ。
昏い静かな森に陽光が差し込んできており、暗夜から一転して明るいものへと成り変わっている光景を見ていると、少し気分が晴れてくる。
庭先に足を向けてみれば、縁側に腰を下ろしているライドウが居た。
その姿は一見すると、日差しを楽しむ猫に似ている……ような気が、しないでもない。
まあ表情は相変わらず凍ったままなのだが、けれど気配は和らいできている……と、思いたい。
何にせよ、あれもヒトなのだ。
吸精の稀形だろうが、人なのだ。

――人形などでは、決してない。
さて声を掛けようか、それとももう少しそのまま日光浴を楽しませておいてやろうかとゴウトが考えていると、相手が微かに身じろいだ。
そして、ゆっくりとゴウトの方を振り返り、その深い黒瞳を向けて静かに言う。
「ゴウト殿。……何か、用命事だろうか。」
あっさり、気づかれてしまった。
一先ずライドウの方に歩み寄り、縁側に飛び乗ってゴウトが返答する。
「……いや、俺はたまたま通りがかっただけで、別に用事の有無で来たんじゃない。」
すると、ライドウが僅かに首を傾げて言った。
「そう、か。先程からずっと、此方を見ていたから……何かあるのかと思ったが、違ったか。」
”先程から”――と、ライドウは言った。
はて……この十四代目は一体、何時から此方に気づいていたのだろう?
ゴウトは眼を瞬かせながら、ライドウに問う。

「気配に敏感だな、お前は。俺の存在に気づいたのは、何処からだ?」
「貴方が、庭先に足を踏み入れた辺りからだ。」
それは、つまり。
「……。……最初っからか。」
気配は悟られないようにしていたつもりだったのだが、見事に看破されていたようだ。
ああ、本当に見事な葛葉だ。
敏感な対応に、溜め息が出る。
これが、”鋭敏”と言い表せないのが残念なくらいに。
はぁー……と息を吐き、かくりと項垂れるゴウトを見て、ライドウがぽつりと言った。
「どうかしたのか、ゴウト殿。……気配を悟っては、いけなかったのだろうか。」
「いや、いいんだ。……俺が未熟だったんだ。気にするな。」
「貴方が未熟などとは、思わない。……どうしてそのような事を言うのか。」
言いながら、ライドウが姿勢を正して此方にしっかり向き直ろうとするので、ゴウトが慌てて顔を上げ、それを止める。

「ああ、待て。立たんでいい。そのままで居ろ。……他愛ない戯言だ、聞き流せ。」
相手が立ち上がりかけるのを制してそう言えば、ライドウは帽子の庇に手を掛け、束の間、首を傾げてゴウトを見つめた。その黒瞳には深淵の闇ばかりがあるだけだが、何か物言いたげな感じを醸し出している。
きっと、ゴウトが抱いた劣等感を払拭させる言葉を選び出しているのだろう。
そして、どれにしようかと悩んでいるのだろう。

――これが妬みからくる思考だとは、分かっている。邪推だ。愚かな。
勿論、ライドウはそんなことなど考えてやしないだろう。彼は、劣等感すら知らないのだから。

けれど時折、そんなことを思ってしまうのだ。

憧憬の感情の念は悪いものではないし、良い気分にもなるから、悪いことではないのだが……しかし、それも相手に因る。
気恥ずかしいのもあるが、それ以上に堪らないのは、相手が完璧な存在だからだ。
ライドウからの賞賛は、ただ気疲れを増やすだけ。えも言えない感情を抱かせるだけ。
だから、辞退させていただくために、言の葉を紡がせないようにするのが先手必勝の内だ。
しかし――これは、勝ち負けの問題ではないのだろうけども。
ゴウトはライドウに幾分、強い眼差しを向け、相手の行動を制しながら言う。

「――それ以上、何も言うなよ七綺。」
「……。」
そう言うと、ライドウが――七綺が口を僅かに開閉させ、何か言いかけていたのを止めた。
それから少しばかり、何かを問いたげな表情をして(とはいっても、これはこちらの憶測で、相手は何処までも無表情でいるから真意は分からないが)、ゴウトを見つめていたのだが、結局はその指示に従うことにしたようで、何も言い返すことはなかった。
ただ、一言。
「……貴方がそう言うのなら、従おう。」
庇を僅かに下げるなり一つ頷き、七綺はまた庭先へと視線を向け、姿勢を正した。
そんな七綺を見ながら、ゴウトが苦笑交じりに言う。
「ま、俺のことはいいから、今は其処で日差しでも楽しんでおけ。」
すると、七綺が首を傾げて訊いた。
「……日差しは、楽しむものなのか。」
「そうだ。――良い気分にならないか?」
「気分の高揚は……無い。けれど、濡れたものが早く乾きそうな陽光だと思う。」
「……。……ああ、そう……だな。」

論旨が見事にずれている。
頭が痛くなるような返答だったが、けれど――つい、笑ってしまった。
よくもまあ、こんな愉快な感想を抱くものだ。
無機質な声と無表情さが、本当に不釣合いな思考をしている。
けれども今は、これでも良い。
今はこうして、暖かな日差しの中で、何もしないのも良いことなのだと、教えてやらんとな。

そよぐ風を受けて、ゴウトが眼を細める。
春には未だ少し遠い気温だが、日差しは温かい。

「……。――ゴウト殿。」
ゴウトが緩やかな表情で七綺の隣に並び、うとうととまどろんでいる時だった。
七綺が不意に立ち上がったかと思うと、森の方に視線を注いだままで名を呼んだ。
意識を覚醒させたゴウトが、何事かと七綺を見上げる。

「ん、何だ。どうした。」
目を二、三度ほど瞬かせてゴウトが訊けば、相手はそのままの姿勢で言葉を返した。

「……。人が、入ってきた。」
「――何?」
身を起こし、七綺が見つめる方へと視線を注ぐゴウト。
だが――……情けないことかもしれないが、同じように気配を察することは叶わなかった。
「……すまん。俺にはお前のような俊敏さが足らんから、分からん。」
「貴方が詫び言を口にするようなことでは、ない。……しかし、どうすれば良い。」
「む、そうだな――……」
「滅してくれば、いいか。」
帯刀に手をかけ、さらりとそんな事を言った七綺に、ゴウトが慌てて首を振る。

「ま、待て待て! 正体が何なのか知れんのに、一方的にそれは拙いだろう!」
単に、人が道に迷ってしまい、この森に知らずと入り込んでしまっただけなのかもしれない。
無辜の人間を、滅す――この十四代目の思考でいくと、これは殺すということなのだろう。
それは、拙い。思いっきり、非人道的だ。
頭痛に耐えるように額に前足を押し付けながら、ゴウトが顰め面をして言う。

「迷い者なら、正しき道を示して帰してやればいいんだ。滅することはないだろう?」
「……そうでなければ、どうする。」
「ん――……。」
侵入者は、敵では無いと思う。何となくで、確信はない。
人気の無いのもあるが、それ以前に此処は隠者の森。
辺り一帯には特殊な布陣を敷いているから、相手にとっては不利になる場所だ。
ついでに言うと、この近辺には悪意の強い悪魔は居ない。
居たとしても、此処に居る七綺の気配に気圧されて、近づいては来ないだろう。

「……どうする、ゴウト殿。」
再度、問い掛けられたゴウトが視線を七綺に転じれば、七綺はすっかり身なりを整えていた。
――全くの、戦闘体勢に。
それを眼にしたゴウトが、更に強く額に前足を当て、呻く。

あああああ。
待て、十四代目。
お前の姿勢は、全てを通り越しすぎている。

「……七綺。そう好戦的な方向へ行くな。侵入者が敵だと決まったわけではないし、まだ何もされていないだろう?」
「しかし……何があるか知れないからこそ、警戒すべきではないのか。」
「……そうだな。お前の言う通りだ。でもな、七綺。武装を解除しろとは言わないから、せめてもう少し軽装になってこい。」
相手が普通の人間だったら、七綺の完全武装に、ぎょっとしてしまうだろうし、これではまともに話が出来やしないだろう。
「何やら良く分からない、が……貴方の言葉に、従おう。」
何か言いたげに首を傾げた七綺だったが、それでも素直に武装の幾つかを解いて、部屋の中へと戻しに行った。
「……。はあ。」
ゴウトが溜め息を吐き、森を見ながら考え込む。
この庵がある森は、一応ヤタガラスの管理下にある代物だ。
しかし人が滅多に立ち入ることはないので、そう強固な遮断を敷いてはいないから、立ち入ることは可能であるし、散策も出来る。
けれども、散策したところで本当に何も無いのだが――まあ、しかし。
確かに七綺の言うとおり、警戒はしておいた方がいい。

「待たせてすまない、ゴウト殿。」
その時、七綺が戻ってきた。見れば、幾分ながら、心持ち武装が軽くなっている。
外套で内側を覆い隠せば、普通の青年に見えないこともない。
実際は、これでも未だ普通には見えてくれないのだが……とりあえず、先程よりは普通に見える方だ。
「では……踏査して、確認してくる。貴方はどうか、此処に。」
七綺がライドウに戻り、帽子の位置を直しながら地面に立った。
「一人で行かせて、本当に大丈夫なんだろうな?」
そう聞けば、ライドウが歩みを止めて振り返る。
「……俺単体では、そんなに心許無いだろうか。」
「そうじゃない。相手を無闇に殺しにかかるなよ、という意味だ。」
「ああ。……敵意が無ければ、俺も何もしない。……これで、いいか。」
「そう、だな――そうしてくれ、七綺。しかし、くれぐれも安易に殺生はしてくれるなよ。」
「……承知した。では――」
そう言うなり、ライドウは漆黒の外套を翻し、闇に溶け込むように暗い森の奥へと入り込んでいった。そんな彼を縁側で見送りながら、ゴウトが呟きごとを漏らす。
「いいか、七綺。お前は人間なんだ。だから……命を簡単に、奪ってはくれるなよ。」
これからの道を、血で染めてくれるな。
お前は人の身になって、帝都を守りにいくのだから。

「しかし全く……こんな時に、一体どんなものが此処へ迷い込んだのやら。」
折角の陽光日和が台無しだ。
迷い込んだものは、さぞかし愚かな風体をしているのだろう。
ゴウトが苛立たしそうに空を仰ぎ、大きな溜め息を吐いた。