TOPMENU

刹那の宵、瞬きの暁

11.回避不可刹



「ふふん、ふ、ふふふふ~ん。ふふんふ、ふふふふ~~ん。」
周囲の陰気さに負けぬように、鳴海は鼻歌交じりに道を歩いていた。

あれからかなりの距離を歩いてきたが、それでも周囲に変化は無い。
制限無く続く、果て無き無限の迷宮を歩いているようで気が滅入るのだが、けれど時折、脳裏にあの人形が浮かび、鈍くなりかけた歩みを早めてくるのだから困った。
「罪な人形だよな、あれは……ははっ。」
この森は、こうして侵入者を彷徨わせて死なせていくのだろうか?
「でもこれじゃあ未練が残りすぎて、成仏出来ないよなぁ。」
そのまま土に還るなんて冗談じゃない。

「――諦めてやるもんか。」
そんな軽口と愚痴を、何度、呟いたことだろう。

鳴海の息が上がりかけたその時、景色がようやく変化を見せる。
目前に、建物らしき影が飛び込んできた。
「ん――あれは……?」
目を凝らしてよく見れば、それは小屋だった。
この森に相応しいような、小さな庵。
「誰か居るのか、な……と。」
何となく息を潜めながら鳴海が入り口に向かうが、戸口は閉まっており中が窺えない。
戸に手を掛けて開けてみようかと思ったが、何故か物音を立ててしまうのが怖かった。

この庵には、何かが居る。近づいてはいけないと、胸の奥で警鐘が鳴る。
だが、此処まで来た以上は退けない。
それ以上に強い好奇心によって、導かれているから。

好奇心、猫を殺す。――今の鳴海を現すのなら、こう云うのだろう。

「……裏手にでも回ってみるか。」
鳴海は音を立てないよう、砂利道に気をつけながら慎重な足取りで庭の方へ歩みを進めた。
この先にあるものは、果たして何だろうと考えながら。
慎重に、けれど――足早に。



◇  ◇  ◇



だが気分の高揚した鳴海を出迎えたのは、何の変哲も無い無人の庵だった。
庭先には、鳴海以外に人影はない。居るものといえば――縁側に、黒猫が一匹だけ。
温かい日差しを受けて眠りについているのか、身を丸めて目を閉じている。

その安穏な光景に、拍子抜けした。
鳴海を取り巻いていた緊張が、一気に解ける。

猫の昼寝姿を見る為に、こんな昏い森の奥を進み、無人の庵にやって来たんじゃない。
あの人形が言った通り、此処には本当に何も無いのだろうか?
存在する光景は、目の前のあれだけなのか?
これだけが、真実?
……本当に?

「……はぁ。」
鳴海は落胆した溜め息を吐きつつも、とりあえず猫に近づいてみることにした。
庭先の砂利は、もう気にしない。音が立ったって、構いやしない。
何故なら、ここに居るのは猫だけなのだから。

すれば、必然的に足音が鳴る。
その音を聞きつけた猫が、耳をぴくりと動かして目を覚ました。
「……。」
顔を上げた猫が、鳴海に視線を向ける。
鮮やかな深緑の瞳が、不審な者を見るように、すうっと細められた。
警戒しているのだろう。今にも唸りだしそうな黒猫に、鳴海が口端を上げて喋りかける。
「あはは、そんな顔するなよ。怪しいものじゃないってば。」
猫相手に何を弁解してるんだろうと、思わず苦笑が浮かぶ。
猫からの返事など、鳴き声以外に返ってくるものなどないのに。
けれど――そんな鳴海の考えは、呆気なく吹き飛ぶことになる。

「何処からどう見ても、お前は怪しい者にしか見えんがな。」
「え。」
猫が、人の言葉を話した!?
ぎょっとして思わず後ろへ身を引けば、猫が鳴海以上に口端を上げて笑った。
「侵入者風情が、この程度で驚くな。」
「な、なな何で猫が喋って、」
驚きながらも、興味心から猫に近づいてみようと鳴海が足を踏み出せば。

「其処までだ、侵入者。」
「――うわっ!」
静かな声とともに、何かが空を切る音がした。
反射的に身を捻じって飛び退けば、直ぐ横を煌めいたものが一閃する。
(……刀!?)
風圧で落ちかけた帽子を片手で抑えながら、声のした方に視線を向けて……驚いた。
「お前さんは……!」
「言の葉を使えた割には、意味を解してなかったのだな。」
冷たい言葉を淡々と吐いたのは、道中で出逢った、あの整いすぎた美貌を持った人形だった。
凍てついた表情はそのままで、音も気配も何も無く静かに背後から斬撃を繰り出したのだろう。
今は体勢を整え、純粋な殺気を剥き出し、全くの無表情で鳴海を見つめて立っている。――しなやかな手に、切れ味の良さそうな日本刀を構えて。
「立ち入るな、と……俺は確か、そう言った筈だが。意味が、伝わらなかったか。」
「いや、理解はしてるんだけどね。……えーと。その刀、下ろしてくれないかな? ひとまず、話をしようよ。」
「言の葉を解さないものとの会話に、意味が有るのか。」
「あは……今度は、ちゃんと理解するよう心がけるからさ……」
「――”今度”というものは、無い。」
「え……。」
美貌の人形はそう言い終えるなり刀を構え直し、鳴海に切っ先を突きつけて言い放つ。
「警告を無視し、禁足地に入ったものに次という刻は、無い。……此処で、終わる。」
「ちょっと……待て、……話し合おうよ。……な?」
懐から拳銃を取り出そうにも、この間合いからでは間に合わないだろう。相手の速さは、たった今垣間見たところなのだ。
「……待つ道理は、無い。」
鳴海の眼前で、刃が煌く。
「待て待て待て――待ちなさいって!」
相手の行動を、防ぎきれない。

「無に還れ、愚者。」
無慈悲な言葉を口にして、人形が刀を振り下ろす――。


◇  ◇  ◇


「止めろ、七綺!」
「――。」
あわやというその時、黒猫が叱咤の声を投げた。
それを聞きつけた人形が、びたりと動きを止める。
「……御見事。」
その反射神経があまりにも見事すぎて、鳴海は思わず感嘆の息を吐いてしまった。
こんな状況だが、それ以上に人形の動きが正確すぎたからだ。
鼻先のところで止められた剣先にたじろぎながらも、鳴海が相手を窺えば、人形は刀を突きつけたまま、視線を猫の方へ向けて口を開く。

「……この人間には、警告をした。けれども聞き入れず、此処へ無粋に侵入してきた。何故、制止を。」
「確かに、警告を無視したこの男にも非は有るだろう。」
「ならば……構わないのだろう。……滅しても。」
首を傾げながら物騒な台詞を口にした人形に、黒猫が溜め息を吐いて首を振った。
それは違うぞ、と言わんばかりに、横に。
猫は縁側から地面に飛び降ると、人形の方へ近づきながら言葉を繋ぐ。
「七綺。お前の行動は、少しばかり性急過ぎるのだ。ともかく、その刀を下ろせ。」
「……目付役殿――貴方は……優し、すぎる……。」
人形が落胆するかのように息を吐き、かきり、と刃を返して柄を握り直した。
「……っ!」
鳴海が動いたのは、その一瞬だった。
人形に出来た僅かな間隙を察知し、その横を通り抜けるなり一直線に黒猫の方へと走った。

「目付……――ゴウト殿、」
人形が鳴海の動きを追って振り返り、そして……そこで、動きが止まった。
「あはは……形勢逆転、かな。」
視線の先で、鳴海が苦笑いを浮かべて言った。
その片手は黒猫の首元を掴んでおり、地面に押さえつけている。

「――……。」
その光景を目にした人形の気配が、一気に膨れ上がった。
周囲の木々が風も無いのにざわめき、縁側の戸がカタカタと震えて音を鳴らす。
――ぐらり、と。
存在ごと引き裂くような鋭い獣の爪に似た殺気を受けて、鳴海はよろめきかけた。
「うっ……く。」
けれども、何とか歯を食いしばって耐えた。
気圧されては、負ける。
そして負けた先に待つのは、絶対の死。
「……。」
鳴海の目の前で、漆黒の人形が無言のままゆっくりと身構え出すのが見えた。
「は、……あははは。」
鳴海の余裕は全く無くなり、最早、乾いた笑いしか浮かべることが出来ない。
(もしかして、余計にヤバくなった……?)
背筋に冷汗が流れるのを感じながら、鳴海は考えた。
どうやってこの場を切り抜けようかと、全力で思考を巡らせる。
眼前に立ち塞がるのは、恐らく回避不能な死。
そうこうしている間にも、人形の纏う気がどんどん殺気じみているのが分かる。
考える時間に比例して、死が近づいてきているのだ。

微かな足音、僅かな気配すら立てずに――ゆっくりと、死が迫る。