刹那の宵、瞬きの暁
12.悲哀慙刀
「……それ以上動くなよ、お人形さん。」
地面に押さえつけたゴウトの首元に、小型のナイフを突きつけながら鳴海は言った。
その顔には、緊張からか幾許かの汗が浮かんでいる。何とか相手の武装を解き、この場から現世へと生還したい気持ちで一杯だったのだ。
けれど、この状況からのこの行動は、どう見ても相手との和平を望む者がすることではない。
そして案の定。
鳴海がとった行動は失敗だったようで、黒猫の首筋にナイフを宛がった瞬間から、目の前に立つ人形の殺気が一段と凄みと深みを増して膨れ上がったのだから堪らない。
これでは早く自分を殺してくださいと言ってるようなものだ。
しかし、かといって直ぐに黒猫から手を離せば、待ち受けている人形の刀によって命は塵と化すだろう。焦燥感ばかりが募っていく。とにかく事態をどうにかしないと。
鳴海は、視線をその人形――ライドウから外さずに、話しかける。
「いいか、動くんじゃないぞ。この猫が大事ならば……ね?」
「……。」
ライドウは鳴海とゴウトの交互に視線を走らせながら、押し黙っている。
日本刀を構え、いつでも攻撃できる態勢をとりながら絶対な殺気を纏わり付かせて立つ姿は、まるで一つの彫像。
その闇の瞳に宿る光は何処までも冷たく、鳴海を刺し貫くように煌いている。
噛みつくようなライドウの気迫を正面から受け止めながら、鳴海は苦笑を浮かべて息を吐く。
「あはは……怖いね、どうにも。それはそうと――……随分と平然としているんだね。」
この人形は猫が制止の声を上げた時、見事なまでに瞬時に動きを止めた。
だから鳴海は、この黒猫が人形にとって何らかの重要な存在であるのだと思ったのだ。
けれど……人形は、表情が変わらないまま。
此方に殺気を向けているのに、表情に変化が無いのだ。全くに。
(――考えを誤った……か?)
首を捻りつつ、口を開いた。
「お前さんはこの猫が大切じゃあないのかい?」
焦燥感に捕らわれた鳴海がそんな事を口にすれば、ライドウが剣先を僅かに持ち上げて、静かに言い返す。
「言の葉で表明出来るほど、彼の方の存在は容易ではない。……とかく。お前の言動は、全てが不敬に値し、礼儀すら遺脱している。今、この時までも。」
鳴海の心の臓に剣先を固定して、ライドウは言葉を継ぐ。
「彼の方に、それ以上の痛覚、及び微細な傷を付けることは……赦さない。手を、離せ。」
それは、静かな警告だった。
その静けさが、こんなに怖ろしいものだとは。
鳴海は息を飲んで言葉に従いそうになったが、それでも何とか笑みを浮かべ、そのまま言い返す。
「俺の身の安全が完全に保証されたら、従ってあげるよ。全てはお前さん次第さ。」
「……。」
「だから、その物騒な刀を仕舞いなさい。」
「……。」
「……ふう。頑固だねぇ――」
言うなり、鳴海がゴウトの首にかけた手に力を込めた。
「――ぐぅっ……!」
「――。」
地面に一層強く押さえつけられたゴウトが顔を顰めて呻くのを見て、ライドウが身動ぎした。
そして深遠な闇を宿した瞳をゴウトに向けて、口を開く。
「……目付役殿。斬撃の、許可を。」
◇ ◇ ◇
感情の無い無機質な声、だが鳴海を見つめる瞳に、炎のような陽炎が揺らめいている。
表情に変化こそ無いものの、けれど纏う気は火が爆ぜるような色を宿していた。
それは怒りのためだろうか。
今にも飛び掛らんとする獣のような体勢から、ライドウは尚もゴウトに言う。
「どうか……御命令を。貴方に苦痛を与えるものを、俺はこれ以上……赦すことが、出来ない。」
「……ぐ、……待、て――七綺、……それは、……駄目だ。」
「何故……。理解が、出来ない……、……従え、ない。」
僅かに首を傾げて、ゴウトを見つめるライドウの瞳が大きく揺れる。
どうして許可をくれないのかと、縋るような視線だった。
もの問いたげな眼差しを受け止めながら、それでもゴウトはライドウの起こそうとしている行動を許さない。
「理由は、後……だ。とにかく、刀を……引け。」
「……。恭順、不可能だ。この人間の行動は、最早万死に値するもの。速く、滅すべきだ。」
「……七綺っっ……!」
首を振り、珍しく長く抗命するライドウ――七綺に、苦しい息の下からゴウトが叫んだ。
「――お前は人だ! 人間なのだ! 命を刈り取る死の使いではなかろうが!」
「……ゴウト、殿……。」
ゴウトの恫喝を受けて、七綺が少しばかり目を見開き呆気にとられたような顔を見せた。
しかし、その変化も刹那。
やはり直ぐに無表情に変わったが、けれどゴウトの言葉に従い、ゆっくりと刀を下ろしていく。
それから何度か躊躇う素振りを見せながらも、次第に構えを解いていき、ようやく命令に従って刀を鞘へ収めた。
七綺は――ライドウは僅かに後ろへ身を引くと、鳴海に、というよりは独り言でも呟くように言葉を紡ぐ。
「……これで、いいのか。」
「え、あー……うん。まあ、ね。」
「約を果たしたのだから、彼の方を放せ。」
「あは……そう、だね。こんな酷いことをするつもりはなかったんだ。悪い。」
申し訳なさそうに頭を掻きながら、鳴海がゴウトの首から手を放す。
ようやっと解放されたゴウトが、よろりと身を起こして咳き込んだ。
「……げほっ……切羽詰る気持ちは、分からんでもない、が……流石に、最後のは効いたぞ。」
そう言って、鳴海をじろりと睨み付けてやれば、相手は苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「ははっ……いや、ほんと悪いね。こっちも、生死が掛かっていたもんでさ。」
「……ったく。」
「……ゴウト殿。無事で、在るか。」
「うわっ!」
「――っ……驚かすな、莫迦者。」
砂利を踏む足音すらなく側にやって来たライドウの声に、鳴海が息を飲み、ゴウトが驚きつつも視線を向ければ、当人は首を傾げて。
「……貴方から咎めを受けるのは、正当だが……しかし、驚かす気は全く無かった。すまない。」
「む……まぁ、俺も別に怒って言ったのではない。だから、お前は謝るな。」
「……。」
だが、苦笑するゴウトに構わず、ライドウは突然両膝を地面に着くなり、平伏の姿勢をとった。
驚く、ゴウト。
目を丸くする、鳴海。
「なっ……こら! 何でお前は、いちいちそうやって頭を垂れるんだ!」
「……ゴウト、殿を――……、」
「うん? 俺が、何だと?」
「貴方を……護れなかった。慢心……していた、つもりでは……ない、のに……。」
動揺しているのか、それとも激しく後悔しているのか。
声は無情のままだが、いつもより言葉が途切れがちになっている。
更に、より深く頭を下げたのだろう。じゃり、と帽子の庇が地面を擦る音がした。
爪を立てるように地面に付いた手は、指の先まで白くなっている。
そのままの姿勢で、ライドウは――七綺は、静かに謝罪の言葉を紡ぐ。
「……此度の……事象、貴方に掛かった難を……払い、きれず、……誠に、申し訳……なく……」
「――七綺、分かった。もう良いから、頭を上げろ。それと、立て。人前で見っとも無い。」
「……。」
だが七綺はそれでも、なかなか従う素振りを見せない。
ゴウトには大したことではなくとも、七綺には余程のことだったようだ。
「ちょっと……やり過ぎちゃったのかな。あは……。」
自分の仕掛けた行動が原因で、人形じみた美しい青年が地面に平伏するのを見つめながら、鳴海は気まずそうに頭を掻いた。
ゴウトが鳴海を一瞥し、そうだと言わんばかりに一睨みする。肩を竦める、鳴海。
それからゴウトは向き直ると、平伏した姿勢のままで居る七綺の傍らに歩み寄った。
その肩に前足を掛け、話しかける。
「ったく。どうしてお前は、そう俺を気にかけるんだ。……まあ、仕方ないんだろうけどな。」
――そういう風に仕立てたカラスが、心底憎くなる程に。
眉を顰めるも、ここでカラスに対する怒りを露にしたところで、どうにもなりはしない。
ゴウトは一先ず怒りを収め、今は身を低くしている七綺を構うことにする。
「七綺。お前の謝罪は、もう充分に伝わった。だから、そら……いい加減に、立て。」
「まだこれくらいでは足りないと……そう、思うのだが……。しかし、これ以上は抗命に当たるか。……貴方の言葉に、従おう。」
そう言って素直に立ち上がる七綺。その服についた土埃を尻尾で払い落としてやりながら、ゴウトは苦笑して言う。
「お前は意外と頑固者だな。」
すると、七綺が軽く首を傾げて。
「がんこ……ああ。確かに、俺の言葉は明確ではないな。」
「……七綺。俺が言っているのは、その”含糊”ではないからな。」
「……ん。違ったか。」
数刻ぶりにズレた会話を体験し、ゴウトが嘆息を付く。口端に、柔らかな微笑を作って。
ここでようやく、場の空気が平常に戻った。
そんな頃合を見計らっていたのか、鳴海が自身の存在を認識させるためにコホン、と咳払いをして口を挟む。
「あー……その、さ。お前さん方は、一体どんな関係なんだい?」
他にも聞きたいことがあったのだが、まず一番にそう訊かずには居られなかった。
怖ろしく冷たい美貌の人形と、人語を解し話す黒猫の関係が、どういった理由で此処に住み、どういう理由で一緒に居るのか。
それが鳴海の興味を掻き立てて、仕方なかった。