刹那の宵、瞬きの暁
14.矛盾引斥
人というものは、此方が何もしなければ何も仕掛けては来ないし、大人しくしていれば直ぐに飽きて立ち去る、と。
確かに、そう教えられた筈……なのだが。
――どうやらそれは、間違いであったようだ。
「なあ、お前さんの名前は? 何でまた、こんな山奥に居るんだい?」
「……。」
相手に非が有るのは事実だが、此方のとった行動も行き過ぎていたらしい。
それを理由に、侵入者の傷が癒えるまでの間、此処に逗留することを赦す事態になった。
……勿論、それを許したのは俺ではない。
これは全て、目付役であるゴウト殿が下した判断だ。
「あ。もしかして、まだ俺のこと警戒してる? あはは、もう何もしないってば。……ね、だからせめてさ、名前だけでも教えてよ。」
「……七綺、相手にするなよ。」
執拗に話しかけてくる侵入者に、目付役のゴウト殿も最初は威嚇していたのだが、それも流石に疲れたのか今はただ、眉を顰めて警告を発するのみになっている。
恐らくはこの人間にすっかり呆れ返ってしまい、言葉を投げることすら厭うているのだろう。
ゴウト殿が抱いているであろうその心情には、畏れ多くも俺も共感せざるをえない。
あの時、咎めを覚悟の上で彼の方の制止を振りきり、この人間を斬り捨ててしまえば良かったのではないか、と……今になって、そんなことを思ってしまう。
それとも――最初に遭遇したあの道中で、別の陰に誘い込ませ、そのまま土に還るよう仕向ければ良かったか。朽ち果てた野晒しの獣ですら静寂に陥るのだから、人の身ならばもっと早いことだろう。
だが、それをすれば俺がゴウト殿に捨て置かれるだろうから、実行には移せない。
故にこの件に関しては一旦見送る事にして、それとは別の事で一つ、解らないことがある。
それは、この人間が会話の対象相手に選んだのが、俺である、ということ。
何故この人間は飽きもせず、執拗に俺ばかりに言の葉を投げかけてくるのだろう。
会話相手としては、ゴウト殿のほうが適任で在るというのに。
俺では全くの不向きであるということを知らないせいなのか、この人間は静けさを払うように対話を持ちかけてくる。
とかく、この人間は――鳴海は、喧しすぎて……いけない。
◇ ◇ ◇
「本当に綺麗な顔をしているね、お前さんは。」
庵の庭先、その縁側に腰掛けているライドウの隣に座りながら、鳴海は陽気な声で話しかけていた。
けれどもライドウは膝元に置いた刀に視線を留めたまま、目も合わさずに言葉を返す。
「……造形の、美醜については……よく、解らない。」
伏せられた目元の長い睫が、白い肌に影を落としているのが見える。
その白と黒のコントラストすらも鮮やかで、鳴海は容易に目を奪われてしまう。
「成、程……。自分の美貌には無頓着なんだ。」
「……。」
返事もせず、ライドウがそのまま武器の手入れに意識を向けるのにもお構いなしで、鳴海は相手の姿をじっくりと堪能するように観察する。
透き通るほどに滑らかな肌、白い指先、細身ながらも、決して弱さを感じさせない体躯。
髪は絹のように柔らかそうで、つい手を伸ばして触れたくなる。
人外の美貌――とでも言い表せばいいだろうか。
この青年は恐ろしいまでに美形なのだが、けれど反応が冷たすぎるほどに素っ気無い。
いいや、愛想がないというか放つ声に抑揚が無い為に、人である気がしないのだ。
何よりも、一番惹き付けられるのは……その、瞳。
黒目がちの瞳は、黒よりもなお深い闇色をしていて、まるで黒曜石のように美しい。
だが、あまりにも闇の色が深すぎてまともに正視が出来ない。
その黒瞳に捕らわれたら最後、きっと気が狂うような程の深淵の闇が待ち受けているのだ。
絶対の美が持つ凶器は、禍々しくも見事な狂気。
人ではない、と感じる条件が、その青年には揃いすぎていた。
いつか街の百貨店で見た、舶来品のアンティークドールが脳裏を過ぎる。
ああ、そうか。何か奇妙な疑視感を覚えるな、と思っていたら――これは……。
「……観賞人形そっくりなんだな、お前さんは。」
ふと何気なく、鳴海がそのような呟きを漏らした時だった。
縁側で寝そべって会話の内容に聞き耳を立てていたゴウトが、ぴくりと反応して身を起こした。
そして起き上がるなりキツイ眼差しを鳴海に向けて、唸り声を上げる。
「……誰が、人形だと?」
「――? 何だ? 何でまた、そんな怖い顔をするのさ。俺は何もしてない筈だけど?」
怒りを滲ませた口調を受けて、鳴海が僅かに目を丸くして言い返す。
「俺はただ、この子があんまりにも綺麗だから――」
「だからと言って、人形呼ばわりしていいものか! 取り消せ! 今、直ぐに!」
「……いや、だから何でそんな喧嘩腰に、」
ゴウトの険を含んだ声に、鳴海が尚も何か言い返そうと口を開きかけたが。
「――ゴウト殿に、それ以上の煩い、を掛けるな。」
ゴウトの剣幕よりも、直ぐ側で放たれた冷たい声の刃の方が恐ろしい。鳴海は両手を挙げて降参の形をとると、素直に謝罪の言葉を口にした。
「はいはい、取り消すよ。取り消しますってば。……前言撤回します、ゴメンナサイ。」
「……ふん。」
ゴウトは鼻息荒く唸って鳴海を睨みつけると、また身を丸くして眠りの姿勢へと戻っていった。
鳴海は、やれやれと息をつくと、今度はライドウに向かって声をかける。
「――と、言うわけだからさ。……刀、仕舞ってくれない?」
首筋に当てられた刃を極力見ないようにしながら、鳴海が苦笑して言えば。
「……。」
ライドウは静かに刀を引いて、また手入れの作業へと戻った。
僅かに布擦れの音がしただけで、足音一つ、気配の揺らぎすら感じられなかった。
見事な静の動作は、まるで背後から忍び寄る死の気配のようで。
(とりあえず、迂闊な事は口走らないようにしないとな。)
未だ僅かに熱を持つ肩口の傷に巻かれた包帯の上を、そっと押さえながら鳴海が心中で大きく溜め息を吐く。何故なら、自分は今なお不審な侵入者のままで居るのだ。
この森に立ち入った理由と、自分の素性が露呈した事を考えるだけでも、充分に空恐ろしい。
だから早く、どうにかしてこの森から立ち去ってしまいたいのだが……なのに、どうしてだろう。
まだ此処に留まりたい、と。
そんな事を強く願う自身が、心の奥に居たりするのだ。
それは、この美貌の人形が放つ狂気に、既に捕らわれ始めているせいなのか。
――そんな莫迦な。
と、一蹴できないのが、これまた恐ろしい。
(どうか無事に現世に帰れますように。)
などと、思わず空を見上げて祈ってしまう。
隣をそっと窺えば、人形のように無機質な青年が相変わらず黙々と武器の手入れをしていて、更に少し離れた場所では黒猫が日差しを受けて眠りに就いている。
鳴海の曇った心中とは裏腹に、周囲の光景はこれでもかと云うほど平和であった。