刹那の宵、瞬きの暁
15.耐痛情祈
侵入者と一悶着あったものの、辛うじて大事にはならずに済んだ、その日の夜。
朧げな光の下で、二つの影が縁側に並んで座っていた。
ちなみに、侵入者である鳴海は布団を敷いた部屋に入るなり、早々に横になってしまった為、この場に居ない。
山道を彷徨い歩いてきた上に、生死の狭間に立たされたりしたわけだから、肉体と共に精神までも疲れ果てたのだろう。深い眠りの中に落ち込んだようで、今はすっかり静かになっている。
昼間の姦しさが、本当に嘘のよう。
日中の鳴海の様子を思い出したのか、ゴウトが疲れたように首を振った。
(ああ、やれやれ。ようやく静けさが戻ってきた。)
そう心中で呟いてから顔を上げると、隣で気配もなく座っているライドウに視線を向ける。
無機質な気配は、最初から今まで変わりないまま。
虚無的な声も、抑揚の無い話し方も、そのままで。
なかなか変化を起こさない、人の子。
孵らない、雛鳥。
(お前は一体いつ、人へと変化する?)
此処に来てから、ゴウトは月を見ながらライドウと会話をすることが多くなっていた。
しかし、季節はまだまだ春には遠く、寒い。夜ならば、それは尚更。
わざわざ冷たい夜風を受けながら外で話すよりは、室内の方がずっと良い筈だ。
けれど何故か、いつもライドウは外に出ている。それも、深夜の中。
この寒空の下、いつも。
一人きり、で。
◇ ◇ ◇
「七綺、部屋の中に入らないのか。寒いだろう?」
ゴウトは一度、縁側に腰掛けているライドウに、そうして声を掛けたことがある。
だがライドウはと言うと、無表情のままに肩越しにゴウトを顧みて、こう言った。
「貴方の気遣い、至上に勿体無く思う……けれど。」
そこでゴウトに向けていた視線を月に戻して、言葉を繋ぐ。
「どうか暫くは……このままで在ることを、御許し願いたい。」
静かな声が、夜の中に冷たく響く。
ライドウの言葉には敬意らしきものが含まれているのだが、それには相変わらず抑揚がなく、感情の欠片すら窺えない。しんとした闇の中に広がる、虚無の声。
ゴウトはそれ以上何も言えなくなってしまい、視線を横へ流して口を開く。
「いや、まあ……許すも何も無いんだがな。お前の好きにしたらいい。」
「そうか。……感謝、を。」
「感謝は要らん。それと、何度も言うようだが頭を下げるな。」
「……すまない。」
「だから謝るなと――……いや、もういい。そのまま月を見てろ。」
「分かった。」
ふーっと息を吐いて、ゴウトはライドウの側で身を丸めた。
一つ一つの行動を、いちいち強制することもない。
今はまだ、何もかもが始まりを起こしたばかり。
ライドウが対話に応じるようになっただけでも、充分なことなのだ。
だから、まあ……これ以上の小言を言うのは、止めておこう。
気持ちを落ち着ける為、ゴウトは一度、大きく伸びをした。
そうやって少しばかり強張った身体を解きほぐすと、またライドウの隣で身を丸めて話しかける。
「――そう言えば気になってはいたんだが……七綺。お前、大丈夫なのか?」
ゴウトの質問に、ライドウが、く、と首を僅かに傾けて聞き返す。
「それは……何に対して向けたものだ。俺の能力か、それとも、姿勢か。まだ、何か……過分な不備が、見受けられるのだろうか。」
「いや、そういうものではない。その……――」
ゴウトが言い淀み、後の言葉を濁そうとする。
けれど、目の前で首を傾げて答えを待っているライドウを見て、結局は先を続けた。
「その……お前には、気を喰らわねばいけない時が、あるのではないのか?」
「……ああ。そのこと、か。」
ライドウは素っ気なく呟くと、視線を地に落として言葉を返した。
「精を喰らわずとも、容易く死にはしない。一応……生きては、いける。」
「そう、なのか……?」
「手立てが無い時は……月の魔力に頼ることに、している。効果は強くない、が……しかし、微かに得られる故……さして、問題は無い。」
「月光浴か。成程。」
ああ……だから、こうして。
冷たい夜に身を浸すようにしてまでも、月を仰いでいるのか。
これまでの事に、ようやく合点がいった。
「では、俺の注意は余計なものだったんだな。すまなかった。」
「何故……貴方が謝る。その必要は、全くに無い。」
「だが、しかし……」
「それに……云うほどの問題事が、起こるわけでも、ない。在るとしても……それは、俺のみが受ける事柄である故。」
「ん? お前に、問題事が掛かる? ……何が起こるんだ?」
ライドウの言葉に引っ掛かるものを覚えて訊ねてみれば、相手は視線を夜空に向けて、静かに答えた。
「……別段、貴方に伝えるほどのことではない。」
拒絶ではないが、こうして直ぐに答えを返さない時のライドウには、何かある。
無機質な人間が見せる、大切な変化の一片。
例え微細なものだとしても、ゴウトはそれを見逃さない。
ゴウトは片眉を上げると、ライドウからの答えを強制した。
「七綺。お前の価値観で判断をするな。良いから、答えろ。」
「……。」
ライドウが、そっと目を閉じて瞑目する。
考えているのだろうか。
心中を測ろうにも、その表情は凍りついた能面のままだから分からない。
少しの間を置いた後で、ライドウがやっと言葉を返してきた。
「……痛みが、生じるだけだ。」
「なっ!?」
返される答えは、此方の想像をいつも簡単に超えてくる。
「それは充分に問題事だろうが! この愚か者がっ!」
ゴウトは酷く驚いた顔をし、それからすぐに眉根を吊り上げて怒鳴った。
声を荒げて叫ぶゴウトに対し、ライドウは目を開けると黒猫をひたと見つめて静かな声で言う。
「……問題事、なのか。しかし、他に影響があるわけでは無いのだから、貴方がそう杞憂を抱くこともない。」
「あのなぁ――……!」
「……それ以上、俺などに構うこと無きよう、願う。……貴方の時間が、勿体無い。」
「……っ! ……確かに、俺は何の役にも立たんのだろう。だがな……かといって、放っておくことなど出来るものか!」
「貴方の気遣い、至極勿体無く、思う。だが――……」
「無理をするな。……辛いんじゃないのか?」
「死に至る程では、ない。痛みに於いての耐性も、出来て在る。」
「……痩せ我慢をするなというに。」
「やせ、がまん……とは。」
「……意味は後々、書類形式にでもして渡してやる。」
「――感謝を。愚昧な葛葉で、すまない。貴方には、至極迷惑をかけてばかりだ。」
そう言って深々と頭を垂れるライドウに、ゴウトが唸る。
「だから、そう容易く頭を垂れるな。葛葉が安いものに見られるだろうが。」
「しかし……感謝と謝罪の際には、必要な礼儀だと。」
「そうだろう、その通りだ。……だがな、七綺。お前は真面目が過ぎるのだ。もう少し、砕けた姿勢をとってくれていいんだぞ。」
「……。」
ゴウトの言葉に、ライドウが押し黙った。
少しの間。
ややあって、緩く首を振って言い返す。
「貴方に対し、抗命するなど無礼の極みになるのだが……――やはり、それには従えない。」
「七綺。」
「葛葉の目付役殿には、最上の敬意を払えと……そう、習っている。従うことが、出来ない。」
「~~っ!」
無表情で無感動なくせに、たまに見せるこの強情ぶりは何だというのか。
「この、頑固者め。」
「……。今の俺の服装は、黒の着物で在るのだが。」
「……前にも教えたと思うが、俺の言っているのは頑ななもの、という意味の頑固だからな。」
「ああ。そうだったな。すまない。」
「……。」
全く、この葛葉は。
黒猫に苦笑が零れる。
それはそうと――ライドウに生じる痛みとは、如何ほどのものなのだろうか。
気になったゴウトは、更に先を訊ねてみることにした。
「七綺。飢餓に生じる痛みとは、どの程度のものなんだ?」
「……。」
ライドウがまた少し沈黙する。表現を考えているのだろうか。
少し間を空けた後に、首を傾げながら口を開いた。
「どう、伝えれば良いのか……分からない、けれど。」
「うん?」
「神経を引き摺り出し、そうして……感覚を研ぎ澄まされた上から、骨を砕かれる。……そのような、痛覚だと……そう言えば、伝わるだろうか。」
「なっ……!?」
「やはり、俺の示す言の葉では解り辛いか。……すまない。」
解りにくいどころか、明確すぎて。
「そういうことで声を上げたのではない! 何だと!? 今、何と言った!」
「すまない、と。」
「違う、その前だ。痛みについて、お前は何と言った!?」
「……神経を引き摺り出し、骨を砕く痛み、と。」
「……っ!」
無論、ゴウトにはそのような経験が無いから、ライドウの表現した痛みの程は実感できない。
だが、その言の葉だけでも痛覚の程度は充分に知れた。
ライドウが受ける痛みは――激痛、だと。
「……今も、か?」
「何について、言っているのだろうか。」
「こうして会話している間にも、お前は……七綺は、そのような痛みを受けているのか?」
ゴウトが痛ましげに表情を歪めてライドウを仰ぎ見れば、相手は――七綺は、一つ瞬きをした後で、こくりと頷いた。
「ああ。……だが、これは詮無きこと。貴方が気に留める事柄ではない。」
痛みを感じている、と肯定する七綺。
だがその声も顔も普段と変わりなく変化が無く、無機質で。
冷たい雰囲気も全く崩さずに、そうして平然としている様に、ゴウトが短く唸って縁側の床に爪を立てた。ざりり、と耳障りな音と共に、爪が木板に沈み込む。
それを目にした七綺が、首を傾げて言った。
「……また、貴方に煩いをかけてしまったのか、俺は。」
「……いいから、俺に構うな。」
「だが……貴方の気に、揺らぎが見える。」
「――いいから少し黙ってろ!」
「……承知した。」
「……。」
痛みを受け続ける、人型の子供。
けれど子供は神経すら操られているから、その痛みが解らず。
ああ。
この呪縛は、何処まで続く?
ずっと、冷たいままで居ろとでもいうのか。
ずっと……感覚を麻痺させていろ、と……。
「――ゴウト殿。」
深々とした宵闇の中、長すぎた沈黙の後で、冷たい声が黒猫の名を呼んだ。
ゴウトが顔を上げて相手を見遣れば、七綺が視線を受けて口を開く。
「周囲の温度が、下がってきた。貴方は此処で……中へ退いた方が、良い。」
「む、しかし……お前は?」
「俺はまだ、此処に在りたい。駄目か。」
「それは、俺が決めることじゃないだろうが。……ま、いい。そうだな。じゃあ、ここはお前の”優しい気持ち”を汲んでやることにしようか。」
ゴウトが微苦笑してそんなことを言えば、七綺が一つ瞬きをして。
「やさ、しい……。俺は別段、恥じてはいないのだが。」
「……その恥しい、でくるか普通。もういい。とにかく、俺は寝るぞ。ではな。」
若干ながら疲れたような息を吐くと、ゴウトは相手に背を向け部屋へと戻ろうとした。
そこに、ひやりとした声が鳴る。
「ゴウト殿――……貴方に、清き眠りが訪れんことを。」
おやすみなさい、と言う代わりに、七綺はいつもこういうことを言う。
自分を全くに省みずに、常にゴウトの何かを祈る。
それは素直に嬉しいことなのだが……けれど。
戸口のところで足を止め、ゴウトが相手の方を振り向いて言った。
「では俺も、お前によき夢が訪れることを祈っておくぞ。」
「……ゴウト殿。」
「ふん。」
不敵に笑ってやって、ゴウトは部屋の奥へと消えていった。
背後ではきっと、不思議そうにして此方を見つめ続けているであろう人の子を、其処へ置いて。
でもまあ、しかし。
あとの守りは、月にでも任せておけばいいのだ。
だから俺は寝よう。早く寝よう。
そして、良い夢でも見てやろう。
感情が宿された小さな祈りを、貰い受けたのだから。