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刹那の宵、瞬きの暁

17.懐疑戦慄



籠目 籠女 籠の中の鳥居が開く
夜真緋の番人 四肢を蔓に絡ませ踊る
刹那の宵は まだまだ明けず
闇夜と踊る 操り人形
独りで躍る 木偶人形
命の雫 輝き堕ちて
心の雫 消え失せる
瞬きの間に 露と化し
無間の闇に 喰らわれて
霧裂く獣 血濡れの中で
請い啼き上げて 月を見る

それは、籠女の子守唄。
稀型の獣を静めるための、鎮魂歌。


◇  ◇  ◇


「――……。」
漆黒を纏った影が息を吐き、閉じていた瞳を開けた。
地に視線を落とすと、そこに赤く濡れた塊が転がっているのが目に映る。
その塊は、人の形をしているように見える、が……もしかしたら、人形かもしれないと思った。
自分と同じように、作られたものではないかと。
塊の、両断された首らしき辺りから鮮やかな赤い液体が地面いっぱいに広がり流れ、小さな水溜りを作り出している。
綺麗な、赤い色の水。

ぴちゃり。

その上を、わざと音が鳴るようにして歩いてみた。

ぴちゃ ぴちゃ ぴちゃ。

色味はべたつくような昏い色をしているのに、実際に伝い歩くと思った以上に高い音がする。
塊は、冷たい地面に転がったまま微動だにしない。
だから影は、その塊はやはり人形なのだと思う事にした。
音を立てて水の上を歩いたせいか、自らが纏う外套の裾に、点々と赤い花模様が出来ていた。
影は首を傾げ、それを暫し無表情のまま見つめる。
魅入られたかのように、じっと。
黒地に映えるが如く付着したそれは、まるで燐火。
赤い花のよう。

紅い――……花?

影は僅かに首を傾げ、考える。
果たしてこれは、花で良かったのだろうか。
何かが違う気が、する。
けれど――自分はそう教わった。
花を咲かせる為には、どうすればいいのかと。
そういうことばかりを教えられ、受け入れ。
だから、自分は。

「俺、は……――」
冷たい相貌に、苛立つような陰りが一瞬だけ浮かび上がる。

――ぴちゃん。

水音と共に、その陰影は直ぐに消え失せた。
影はまた、無貌の仮面に戻る。
何を思ったのか、影は不意に足音を立てるのを止めると、立ち止まって今度は空を仰いだ。
底冷えのする宵の中に、細い三日月が浮かんでいる。

何かに似ているなと、思った。
何かの、爪の……ような。

けれど――それが何に似ているのかは、分からなかった。
誰かに習ったような気もするが、それさえももう、判らない。
身体を蝕んでいた痛みは何処かへ行ってしまったようで、邪魔な感情はもう無い。
しかし痛覚が長すぎたせいだろうか、神経が痺れたようになっている。
軽い疼痛と、緩やかな意識の揺らぎを感じながら、影はただじっと瞑目する。
天を仰げば、空に仄かに揺蕩う三日月。地を見下ろせば、水面に昏く咲き誇る赤い花。
漆黒の中の鮮やかなそれら色彩の中で、ただ一つ。
闇に身を浸した自分自身が、酷く粗末なものだと思えた。

何故、月があのように遠く感じるのだろう。
確か一度は、近い場所にあったものだと……そう、思ったのだけれど。


◇  ◇  ◇


「う~~……流石に冷えてきたなあ。お~い。早く帰って来いよ、書生くん~~。」
縁側で身を丸めながら、鳴海が呟いた。
もうかれこれ一刻ほど、こうしているだろうか。夜が深くなるにつれて、気温が一気に下がり始めたのだ。
この森が普通ではないことには気づいてはいたが、まさかこうまで温度が下降するとは。
鳴海は一度、寒さに耐えかねて部屋へと戻ったのだが、けれども、何故だかあの人形じみた青年が帰宅するのを待っていたくて、結局部屋から毛布を一枚持ってくると、また縁側へと返り戻ったのだった。
自分でも、どうしてこんなに強い執着心が湧いたのか判らない。
いいや、きっと。

解らないからこそ、惹かれたのだ。
謎めいているからこそ、暴きたくなった。
闇の中に揺蕩う月の様な、存在。
丁度、この空に輝く三日月のように。

「――それはそうと……本当に遅いな。」
そろそろ帰ってきても良い頃合なのだけど。
「書生く~ん……夜が明けちゃうぞ~……。」
鳴海が恨みがましく呟き、庭先に視線を戻した時だった。
夜が一番深くなった刻限の頃合に、人形が帰ってきたのは。

「おっと……ようやく夜遊びからお戻りかい、書生く……ん――……っ!?」
早速からかってみようと声を掛けた鳴海だったが、闇から現れたライドウの姿を目にした瞬間、言葉が途中で止まってしまった。
出迎えた人影は、いつも以上に気配が無かった。
白い肌が、ぞっとするほど青褪めている。
闇にぼうっと浮かび、幽鬼のように揺蕩う人影。
そこに、人らしい面影は微塵も無い。

まさに、人形。
一個の、静物。
形を失った陽炎のようなライドウの立ち姿に、鳴海は驚きのあまり立ち上がった。

「何かあったのか?」
身を包んでいた毛布を片手に、ライドウに近づいて話しかけたところで、相手が俯き加減にしていた顔を上げた。
「……っ!?」
鳴海が驚愕し、息を飲む。
闇が深すぎる瞳だとは、認識していた。
だが今のライドウの瞳は恐ろしく硬質で、まるで硝子のように透明すぎた。
全てを貫き通し何も見ていないような、瞳の色。
ライドウが言葉を返してきたのは、鳴海がそれに戸惑っている時だった。

「……ああ。異端者、か。どうした……何故、外に在る。」
「何故って……お前さんを待ってたんだよ。」
「……。……俺を、か。……何か、あったのか。」
気のせいか、反応が鈍い。
鳴海は怪訝そうに眉根を寄せると、呻くように言い返した。
「あのね。それは、こっちの台詞だよ。……なあ、何かあったのか? 何処に行ってた?」
「……何も、無い。」
「嘘を付くなよ。じゃあ――頬に付いたこれは何だ?」
眉根を更に強く顰めた鳴海が、ライドウの頬に手を添えるなり、ぐいと親指の腹を擦り付けた。
指に、赤い色が付着する。

何か、と。
考えるまでもなく、それは血だった。
まだ乾いてもいない、鮮烈な赤。
微かだか、鉄錆に似た匂いが鳴海の鼻先を掠める。
人のものか、それとも人外の血であるのか。そこまでは流石に判別がつかないが、けれど血痕だというだけで不吉な予感を覚えた。

「誰かを斬ったのか? それとも、何かを?」
指先でなぞった赤が、ライドウの頬に模様のような跡を残している。
それはまるで、片羽をもがれた蝶のよう。
険しい顔をして鳴海が詰問するが、それでもライドウは変化の無い鉄仮面のままで、静かな言の葉をゆっくりと口にする。
「……お前に報告する義務は、無い。」
全く感情が籠っていない、棒読みしたような端的な台詞。
唯でさえ突き放される感がする口調には、少しばかり慣れてきた筈なのに。

――なのにどうしてか、その言い方が妙に癪に障った。

「じゃあ、ゴウトには言うのかい。あの猫様に、何かを殺してきましたと、御立派な報告でも?」
鳴海が、嘲るような笑みを湛えて言い返す。
ライドウは、肯定するものだと思っていた。
彼は、いつもゴウトに報告をしていたから。
だが……驚いた事に、ライドウは静かに首を横に振り、一言。

「否――彼の方にも、報告は、しない。」
返された答えに、鳴海が暫し目を丸くする。
ゴウトにも、言わない?

「俺に用事が有るわけではないのだな。……ならば、もういいだろう。」
ライドウが、鳴海を払うように身を翻す。
その際に外套が大きく舞い、そうすればまた鉄錆の匂いが鼻先を掠めた。
今度は確実な死の匂いが、鳴海に届く。
ぞくりとしながらも、立ち去りかけるライドウに向かって鳴海は問い返した。

「待った、書生くん! 一つだけ答えろ。それは――その血は、人間のものか?」
その言葉を受けて、立ち去りかけたライドウが足を止めた。
そして、肩越しにそっと鳴海を振り返って言う。

「臭気に、敏い、な。――だから、どうした。」

肯定の言の葉に、鳴海が恐怖で固まる。
愕然とし、それ以上掛ける言葉を失い立ち尽くす鳴海をその場へ残し、ライドウは庵の中へは戻らず、また森の奥へと消えていった。

「……――嘘だろ……。」
ぼそりと呟き、鳴海は手にした毛布を胸に抱いた。
恐怖で震える身体を、誤魔化すかのように。

人間の、ものだと――人の血であると、ライドウは肯定した。
いいや、確実に答えた訳ではなかったが、否定をしなかった以上それは、認めたのと同じこと。
人の血痕であることを、否定しなかった。
それは、つまり。

人を、斬ったのか?
殺してきたのか――人間を。

ずきり、と。
冷めかけていた肩口の傷が、熱を帯びて疼いた。
そうだ。この傷は、あの青年に付けられたものだった。
容赦のない、斬撃。
あの際に自分の血が舞い落ちたのを見た筈だが、しかし今、地面を見るとその痕跡は何処にもない。
多分、あの黒猫に命じられたライドウが、水で流し消したのだろう。
返り血らしきものを付けて戻ってきた、人形のような書生。
姿を消した数刻の間に、一体何があったというのだろう。
白い陶器の肌に咲いた、赤い花の血。
それが鳴海の目に焼きついて、離れない。

「……人間を殺しても表情を変えないのかい、お前さんは。」
労わりの言葉を投げかけてくれた筈のライドウが、今は全く別人であるような感じがした。
自分は一体、何の為に彼を待っていたのか……。
こんな夜の締めくくり方を望んでいた筈では無かったのに。
冷たい夜風が、ひゅうと細い音を立てて駆け抜ける。
慰めるためにか、それとも嘲笑うためか。
ともかくそれは、鳴海の傷を舐めるように、そっと通り過ぎていった。