TOPMENU

刹那の宵、瞬きの暁

19.怜悧引力



張り詰めた空気の中、鳴海とゴウトの間に暫しの沈黙が流れる。
睨みあう様に視線を交わしながら、先に口を開いたのは鳴海だった。

「いきなり狗呼ばわり、か。少し酷いんじゃない?」
「狗は狗、だろう。それとも何だ? ――道化使いの猿、の方が良かったか。」
「……あっは……いちいちキツイ表現を使ってくれる。」
鳴海が苦笑交じりに言って肩を揺らしてみせるも、ゴウトは笑みを浮かべることはなく、鋭い視線を注いだまま言う。
「化かし合いはもうこれまでだ、鳴海。此処から出て行け。」
「負傷したままの人間を、こんな迷いの森の中へ放り出すんだ? へぇー、非道だね。」
「勿論、途中までの道案内くらいは付けてやる。だから、早々に此処から立ち去れ。……お前の不審な行動を、七綺が気づいていないとでも思っているのか。」
ゴウトがライドウの存在について示すと、そこで鳴海の顔から笑みが引いた。

「あの書生くん、が……? でも、そんな素振りは全く――」
「お前は七綺をどれだけ買い被って見ている? よもや、その傷を付けられた時のことをもう忘れたのか。」
「……。」
肩に手を当てて押し黙る鳴海に、ゴウトが軽く息を吐いて言葉を継いだ。
「ともかく。お前の行動が目に付き出した以上は、もう此処へ置いてはおけん。何が起こるか分からんからな。」
「あはは……もう何か起きた訳だけどね。」
傷口を指して鳴海が苦笑すれば、そこでゴウトも口端を緩めて笑った。
「減らず口を叩く気力があるのならば、平気だろう。……ご帰還願おうか、鳴海。それ以上の傷を負いたくはあるまい?」
ゴウトの二度目の警告は、一度目のものに比べると、声音が優しくなっていた。
恐らくは、本当に鳴海の身を案じて言っているのだろう。
それに気づいた鳴海が、微笑を浮かべて答える。

「……ふぅ。まあーったく、もう。俺としたことが、相手に――それも猫なんかに、行動を読まれていたなんてね。しかも、心配までされてるし。あっは。情けねえ。」
苦笑いを浮かべて鳴海がそんな事を呟くと、ゴウトが首を振って言葉を挟む。
「いいや、お前の隠密行動は立派だったよ。それに、初めに見破ったのは俺ではないのだ。俺もまた、言われるまでは気づかなかったんだよ。」
その言葉に、鳴海が少し安堵したように口端を緩めた。
「ああ、そっか――あの書生くん、か。最初に察知したのは。」
「まあな。」
鳴海と同じような苦笑いを浮かべて語るゴウトを見て、鳴海が空を仰いで笑う。
「見事なもんだ、全く。……――恐ろしい子だね、あの子は。」
そのような素振りも言動も、全く見せず、窺わせることもせず。
いつものように、無表情で無感動な声音で立ち振る舞って見せていた青年。
しかし此方の不審な動きを全て承知の上で、何も仕掛けてこなかったのは唯一の幸いか。

まあ、尤も。
これ以上の攻撃を仕掛けてこないのは、ゴウトに言われたことを忠実に守っているだけで、本当は此方を斬り殺したいのではないか、と。
そう思ったりは、するのだが……。


◇  ◇  ◇


「さてさて。どーするかねぇ――……。」
ゴウトが立ち去った後の、縁側。
鳴海は座ったままの姿勢から後ろに手を付くと、大きな動作で空を仰いで呟いた。
「このまま大人しく引き返すか?」
煙草を口端に軽く捻じ込んで、懐を探る。ライターを出すも、やはり煙草に火を点けるようなことはしない。結局は煙草を吐き捨て、そのまま意味も無くライターをいじる。
かきり、かきりと金属質の音が鳴る。

(調査書は、まあ幾らでも誤魔化しが効くだろ。多分……。)
かきり……かきり。
(猫が喋る、とか……人形に殺されかけた、とかは……いいか、別に書かなくても。)
かきり……かき、かきり。
時折、小さな火花がぱちりと煌く。
それを見つめているうちに、鳴海の意識は何時の間にかライドウへと向かっていた。

(そういえば、あの子――不思議な目をしているな。)
黒目がちの大きな瞳。表情が無いくせに、あの目だけが妙な色を宿している。
たまに、ぞくりとするような流し目で、此方を見てきたり。まるで、誘うように。
当人は勿論、そんなつもりなどないのだろうが――けれど。
あの白い肌を、取り澄ました顔を、汚してみたいという欲望に駆られてしまう。
幾重にも張り巡らされた罠に嵌まったような感覚は、そのまま鳴海の思考を浸食していく。
闇色の瞳で見据えられたまま、捕食されるのか。
それとも。
白い肌に爪を立て、歯を食い込ませて捕食するのか。

獣と化者。
先に罠に掛かるのは、果たしてどちらの方であるのだろう。

「目付役殿と……何を、話していた。」
「――っ!?」
――かきっ。
突如、背後から声を掛けられて、思わずライターを取り落としそうになった。
ぱちりとライターの蓋を閉じ、それを懐に仕舞い込みながら背後を振り返ると、其処に居たのは今、鳴海の脳裏に浮かんでいた人物その人。
黒の着物から着替えたのか、いつもの書生の服装をしていた。が、上着は羽織っておらず、シャツだけという軽装で居る。もしかしたら、まだ片付けの途中なのかもしれない。
それはともかく、こういう近づき方をするのは、いい加減に止めてもらいたい、と鳴海は思った。

「……はー、驚いた。君か。あのね、無音で背後に立たないでくれる? 驚くから。」
眉根を僅かに顰めて言ってみせるが、相手は硬化した表情のまま、首を傾げて。
「……声を掛けることに、前後左右の関係があるのか。」
「君の場合はね。無自覚も困りもんだよな、ほんと。あービックリした。まだ心臓がバクバク言ってる。」
「お前の身体、精神について興味などない。」
無下に一蹴する、という表現が鳴海の脳裏を過ぎった。
鳴海のことなど、全く興味が無いのだろう。ゴウトに対する態度と比べ、天と地以上の、この差。
ライドウにとって自分は所詮、猫以下ということか。
心臓を押さえて気落ちする鳴海を、睥睨するように見つめながらライドウが言う。
「それよりも、俺の問いに対する答えはどうした。」
鳴海を余所に、ライドウが再度、ゴウトとの間に交わされた話の内容を訊ね聞く。

(――人よりも、猫かい。)
つまらなそうな顔をして、鳴海が答えを返す。
「はいはい。君は、猫様最優先だもんね。なーに、大した話じゃないさ。世間話ってやつ。」
あはは、と軽く笑いながら空を見上げて言う鳴海に、ライドウが静かな声で一言。

「狗の話では、ないのか。」
「――……。」
鳴海の顔から笑みが引く。
ライドウの方を振り返れば、漆黒の瞳とまともに目が合った。
「……盗み聞きかい? いい趣味だね。」
「否。会話の内容は、聞いてはいない。……知らないが故に、お前に訊ねている。」
「……。」
「餌は……見つかったのか。子飼いの、狗よ。」
冷たい声音、凍てついた眼差しには慣れていた……筈、だった。
けれど今、鳴海の目にあるそれらは全くの別物。
鳴海を射抜くように見つめながら、ライドウが淡々とした口調で言い繋ぐ。
「お前の正体、目的が、何であれ……俺には、関係無きこと。所詮は、狗の動向。だが――」
そこでライドウが腰の帯刀に手を添え、唾を押し上げた。黒の色彩に映えるように刀身が煌き、鳴海の意識を引きつける。
身を硬直させた鳴海に、ライドウの声が降りかかる。

「ゴウト殿に害を及ぼす事だけは、赦さない。その時は確実に、お前の存在を消滅させる。
心せよ。」
静寂な森の中に、しんとした声が響く。
鳴海は寒さに凍えるように身を竦ませ、自らの肩を掴んで抱いた。
肺腑に響くようなそれは、静かながらも怖ろしい死の警告。
怖ろしい、と感じているのに、どうしてか――相手の瞳から、唇から、目が離せない。
目を逸らすどころか、逆に強く引き寄せられる。身裡に渦巻く欲望が、強くなる。
その時、ライドウが何を思ったのか不意に刀の柄から手を離した。
白い指先が、鳴海へと伸びてくる。
「……っ!」
こくりと息を飲む鳴海だったが、白い指先は鳴海の視線の上で滑り――髪先に軽く触れて、直ぐに離れていった。
刹那の、接触。離れていくライドウの手を見れば、細い毛が摘まれている。
何だ?と訝しむ鳴海の心中を読んだかのように、ライドウが言った。

「彼の方、の……ゴウト殿の、体毛だ。」
「あ、ああ。何だ、ゴウトの毛を取ってくれたのか。」
「否……逆だ。お前のようなものから、取り掬ったのだ。払われるべきなのは、お前の方であることを忘れるな。」
「うわ、酷い。俺は猫以下かよ……しっかし、ほんとにお前さんはゴウトが好きなんだねぇ?」
「すき……というのが、どういったものを示しているのか、解らない。」
そう言って、ライドウは手にしたゴウトの体毛を口先に近づける。
「俺などのようなものには、至極勿体無い……だが――」
細い体毛を両手で押し頂くように包み込み、ライドウが言葉を繋ぐ。

「……大切な存在、であることには……違いない。」
囁くように呟くと、ライドウは僅かに目を細めて。
手にしたものに、そっと静かな――口付けを、落とした。
そんなライドウの姿を見て、鳴海は瞠目した。微かに笑ったのだ。ライドウが。
殉教者のように両手を重ねて祈りに似た姿勢をとりながら、猫の毛に口付けを落としている行動は、常人には到底理解出来そうにない代物だろう。
けれど、あまりにも不可解であるが故に、一層、強い興味が湧き上がる。
そしてそれは、鳴海の中の欲を煽るのに充分な光景でもあった。

「あは……お前さんは、何処までが無自覚なんだろうね?」
鳴海が苦笑してライドウの手を掴めば、相手が掴まれた箇所に視線を止めて言う。
「……何の、真似だ。」
「それは、こっちの台詞だよ書生くん。……もしかして、誘ってたりする?」
鳴海の言葉が理解できないのか、ライドウが首を傾げて言う。
「意味が、分からない。お前の言動は、全てが理解不能だ。」
「だろうね。不愉快だったら、俺を斬れば?」
口にした挑発は、実行されれば鳴海の全てが終わるもの。
しかし、鳴海は何となく相手の答えが予測できていた。
ライドウが緩やかに首を振り、言う。

「……否。ゴウト殿との誓約により、それは不可能でいる。しかし、お前が彼の方に何か仕掛ければ……その願いは、直ぐにでも叶うだろう。」
想像通りに何処までもゴウトに忠実であるライドウの姿勢は、鳴海の口元に嘲りの微笑を浮かび上がらせる。
「ははっ、これは見事だ。でもね、猫様には何もしないよ。俺が興味あるのは、君なんだし。」
「俺、か。……何故。」
く、とライドウが首を傾げて見せると、鳴海が口端を歪めて哂う。
「何故? さあてね……理由なんか、作ろうと思えば幾らでも作れるけど――聞きたいかい?」
ライドウの腕を掴む手に力を込めて見せるも、相手は平然とした顔のままで、言い返す。
「――否。さして聞きたいとは、思わない。愚考の演説は、他でやれ。それと……手を、離せ。」
「あは、素っ気無い。もう少し会話を楽しもうよ、書生くん」
身を引こうとする相手を制しながら、鳴海が奇妙な笑みを浮かべてライドウとの距離を詰める。

何も掴めずに、帰されるのならば。
せめて、この掴んだ獲物を暴いてみたい。

視線の先に居る美貌の人形を見つめながら、舌を舐めずる迷い狗。