刹那の宵、瞬きの暁
23.別れ、離れ
空の蒼が白みはじめたな、と鳴海が思った頃。
不意にライドウが、道の途中で足を止めた。
「ん? どうかしたのか?」と鳴海が問い、同じように足を止めてライドウに並べば、相手は正面を見たまま口を開いた。
「……俺は、此処までだ。」
ついと腕を上げ、道の先を指しながら言葉を繋ぐ。
「この道を外れずに直進すれば……外へ出る。」
そう言って指された先は、薄闇の中にあってもまだ先が見えない道。
鳴海が、そっと行灯を掲げて照らしてみるけれど、やはり少し先のところで道が消えている。
見間違いなどであれば嬉しいのだが……どうやら、目に見えている方が正しいようで。
眉を寄せた鳴海が、問う。
「えっと……先の道が消えてるみたいなんだけど……本当に大丈夫なの?」
「問題は、無い。」
ライドウが頷き、それから鳴海を見て首を傾げた。
「何か……気鬱事か。」
「気鬱どころか大きな不安事だよ、書生くん。」
鳴海は腰に片手を当ててライドウへと向き直ると、行灯で道を指しながら言い返す。
「前方が途切れているような道を”行け”と指されて、はいそうですかと従う奴が居ると思うか?」
静寂で鬱蒼とした中を黙々と歩かされて、鳴海は少し参っていた。
その上、不安ばかりが窺える先を歩いて帰れと言われたものだから。
大人気ないと思いながらも――頭にきてしまったのだ。
◇ ◇ ◇
「君、もしかして俺を騙そうとしてない? ゴウトの目が届かないのをいい事に、このまま俺を消し去ろうとか考えてたりする?」
声を荒げるつもりなど全く無かったのだが、疲労のせいで気分が穏やかでいられない。
ライドウはというと、ただ黙って鳴海を見つめているのみ。その顔には何の表情も無い。
それが鳴海の苛立ちを余計に煽った。
「疲弊させて、動けなくなったところを殺そうとかさ――その、刀で。」
ライドウの外套から覗く帯刀に鋭い視線を送り、鳴海が尚も尖った声で言い募る。
何時かの夜、その白い肌に赤い痕を付けて帰ってきた姿を思い出す。
ライドウは、そんな鳴海をじっと見つめたまま何も言わない。
「ゴウトに怪我をさせた俺が嫌いだったんだろ? だから――……!」
こんな闇に続く道を示し、そこから先を歩いて行けと……逝けと――!
鳴海がライドウの肩を掴み、睨む。
「何とか言ったらどうなんだ!」
「……。」
ライドウが一度瞬きをし、掴まれた肩を一瞥した。
それから小さく首を傾げると鳴海に視線を戻し、そこで静かに言葉を紡ぐ。
「何に対し、憤慨する。俺は、正しき帰道を示している。それの何が、不興だ。」
「だから! 道の先が見えていないのが不安だって言ってるんだよ!」
「……映らぬのが、問題なのか。」
鳴海が指す道へ視線を投げ、ライドウが呟く。
「人は、目に映るものしか……認めない――……お前も、その類だったのか。」
「……何?」
怪訝そうな顔をした鳴海が片眉を上げると、ライドウは消えた道を見つめながら言い繋ぐ。
「お前は唯の走狗ではないと……そう、思っていたのが……違ったのだな。」
「書生くん? 君、何を……」
「不可視で無くなれば、いいのか。……承知した。」
「え」
ライドウの台詞に思考を捕らわれ唖然としている鳴海の前で、不意にライドウが刀を抜いた。
「ちょっと、何を……」
「構えるな。お前に危害は、加えない。」
言うなり、ライドウは自分の服の腕元を捲り上げると、そこへ刃先を押し当て。
――すっ、と……一気に、引いた
ぱあっと赤い飛沫が散る光景に、鳴海は大きく目を瞠る。
瞠目している鳴海を余所に、ライドウは鮮やかな血が滴るその腕を暗闇に沈む道先へ向け大きく振った。
すると、闇の中から一筋の道が出現した
いや浮かび上がったというのだろうか。突如そうして視界に現れた道に、鳴海の目がますます丸くなる。
道が姿を見せたのもそうだが……一番驚いたのは、ライドウのその行為だった。
「道が――いや、それよりも、何で腕を……!」
鳴海が狼狽した声を上げて側へ寄れば、ライドウは無表情のまま淡々と語る。
「結界を、一部だけ解除した。……お前の怒りの原因は、これで断たれたことだろう。満足か、人間。」
「……満足、なんて……そんな……」
鳴海がライドウの腕へ視線を向ければ、一閃に引かれた赤い筋から血が地面へと落ちていく様が見えた。
ぱた、ぱた、と。
赤暗色の色が茶褐色の道に落ちて跡を残す。
白い肌を瑞々しい赤が伝い流れる光景は、何だか痛ましくて。
その様子に鳴海は一度視線を逸らしたが、直ぐに相手に向き直ると手を差し出して言った。
「腕を貸して、書生くん。」
「何故。」
「いいから、貸しなさい! ほら――」
ライドウが尚も何か言いかけるのを遮って、鳴海は相手の腕を掴んだ。
そして自身の懐、ズボンのポケットなどを弄り、一枚のハンカチを見つけて取り出すと、それをライドウの傷跡に巻き始める。
「何を……している。」
警戒したのか、ライドウが身を引こうとした。が、そんなライドウを制して封じ、鳴海が強い口調で言い返す。
「傷の手当てだよ! いいから、大人しくしなさい。ったく……何でいきなりこういう事をするかなあ、君は!」
「……説明したところで、お前の怒りを収めることは不可能だと……そう、思ったからだ。」
「だからって、何もこんな」
「お前が気鬱するほどに、大したことでは無い。」
「あのね!」
ハンカチを巻き終えた鳴海が顔を上げた。
「君にとっては些細な事でも、俺はそうじゃないんだよ! 自分で自分自身を傷つけることの、どこが些細じゃないって言うんだ!?」
「この程度の傷など、直ぐに治る。それに……お前には関係の無い事柄だ。」
「関係なくないよ……――関係ないことなんてない! 俺はお前が心配で言ってるんだぞ!」
「よく、分からない……妙な人間だ。それとも……お前だけが、妙なのか。」
「俺だけじゃなく、皆そうさ。ゴウトだって。」
「ゴウト殿、が……」
「ああ。もしゴウトが此処に居たら、俺と同じことをすると思うよ。きっと。」
「……。」
鳴海がゴウトの名を出したところで、ライドウが視線を地へ落とした。
項垂れるように顔を伏せたライドウを見て、鳴海は軽く溜め息を吐く。
「自愛しなよ、書生くん。こういう行為は、あまり褒められたものじゃないから。」
「じあい……」
ライドウが鳴海の言葉をなぞり、沈黙する。
「……解ら、ない。俺には……理解が、出来ない。」
庇の下で、そう呟くライドウの表情に変化が起きた気がしたが、生憎と影によって窺えない。
鳴海は小さく首を振ると、ライドウの腕に巻いたハンカチを結んだ。
そして慰めるようにライドウの腕を軽く叩くと、怒りの解けた声で言葉を継ぐ。
「まあ、いきり立った俺も悪かったよ。ごめんな、書生くん。」
「……。お前の苛立ちが治まったのならば、それでいい。」
伏目がちに答えたライドウの声は、やはり抑揚のないものだった。
その無感動な声を聞いた鳴海は、「ああ、やっぱり何とも感じていないのか」と溜め息を付きかける。
けれども、ライドウをよく見ると、傷口に巻かれた鳴海のハンカチに時折目を落としては、不思議そうに首を傾げている様子が見て取れた。
何かを学び取ろうとしているのだろうか?
ライドウは鳴海の視線に気づきもせず、ただ、まじまじとハンカチを眺めている。
子供のような反応を見せるライドウが何だかおかしくなって、鳴海がついつい忍び笑えば、その気配を悟った相手が顔を上げた。
「何を、笑う。」
「いや……君は面白い子だな、と思ってね。」
「何を言っているのか、分からない。……お前はやはり、おかしな人間だ。」
「あっは……君がそれを言うかな?」
苦笑交じりに言い返し、ライドウの眉間をこつりと指先で突付いてやれば、相手が瞬きを一つして。
「……お前の行動は、理解不能だ。」
額に手を当て首を傾げるライドウに、鳴海は噴出してしまった。
人形のように冷たい美貌をもった不思議な青年。
別れ難い。まだ側に居たい。
けれど――鳴海はもう、ここから出て行かねばならない。
ライドウの心を推し量ることが出来ないままに、そうして岐路に着かねばならぬ自身を、運命を。
鳴海は少し、歯痒く思った。