黒猫、萌ゑしは書生
02.仕度
仕える度に増していく思慕以上の何か
「ただいまー。いやー、日が落ちるのが早くなったねぇ――って、うわっ!?」
「……。」
夕暮れ時。
仕事だか用事だかで外に出ていた鳴海が、土産を抱えて事務社へ戻ってみれば、出迎えたのは礼儀正しい書生ではなく、むっつりとした黒猫だった。
鳴海をジロリと睨み、口を開いて出た言葉といえば。
「……帰宅して早々、頓狂な声を上げるな。」
挨拶ではなく文句だけ。しかし、顔を顰めて咎め返したそのゴウトの表情は何処となく暗く、覇気が感じられない。いつもならばもうちょっとばかり多く言い返してくるのに、今日は少し溜め息を吐いて、それきり。
疲れているのだろうか?
「元気ないね、ゴウト。どうしたのさ。」
鳴海は首を捻りながら、ひとまず室内へ入りつつ土産を置くと、ソファに居るゴウトの隣へと腰を下ろした。そしてその丸みのある頭に手を載せて撫でてみるも、猫は仏頂面のまま。
「何か悩みごとでも――って。どわっ!? ちょっと、どうしたのコレ!」
頓狂な声を上げるのは、本日これで二度目也。だが、こうして側まで近づいたところで、初めて分かることもある。
そう、例えば――ゴウトの毛並み、とか。
間近で見ればその毛は全く見事に整えられており、妙にピカピカと輝いていた。見れば撫でた手も、おかしな具合にしっとりしている。
「な、ナニこれ……おめかし?しちゃって。……何処かへ、行くの?」
口端を引き攣らせて鳴海が問えば、ゴウトは憂鬱そうに顔を顰め、息を吐きながら答えた。
「……七綺が、な。」
「ライドウちゃん? ――あ。そういえば。」
言われて気づいた。いつも付き添うように側に居る書生の姿が、見当たらない。
「一緒に帰ってきたんじゃないのか?」
「ああ。まあ、その……ちょっとした買い出しに、だな……。」
「ふぅん? で……その事と、今のゴウトのその毛並みの状態と、何の因果関係が?」
「近々、新しき地へと赴くだろう? その為の用意だ、と言ってな……この始末だ。」
「……?」
どうにも要領が得ない。第一、今回は鳴海も同行するのだから粗方の事は知っている。
その準備の為か、このところライドウが何やら色々慌しくしているのも、知っていた。
環境が変わろうとも動じず、準備に怠りの無い真面目な書生はいつも通りらしい。
……いいじゃないか、それで。
なのにゴウトは浮かぬ顔。それどころか、異常なほど元気が無い。
毛並みが過剰なまでに整いすぎていることと、何か関係が有るのだろうか?
「なあゴウト? お前さん、何か気掛かりなことでも――」
「ゴウト、遅くなった!」
鳴海が問い掛けるのと、書生が帰宅したのは同時のことだった。
◇ ◇ ◇
「金王屋に取り寄せて貰っていたのを、やっと買っ――あっ!?」
戸口を開けて飛び込んできた七綺は、部屋へ入るなり鳴海に気づいて驚いた顔をした。
「な、鳴海殿。……お帰りに、なっていたのですか。」
書生が、”七綺”からすぐさま”ライドウ”へと戻るのを見て、鳴海は苦笑する。
「あはは、ただいまライドウちゃん。何処行ってたの?」
「は、はい、あの……金王屋に少々、立ち寄っておりまして。」
答えるライドウの視線はというと、鳴海――では無く、その側に居るゴウトへと向けられている。
それを見てとった鳴海は、ますます苦笑を深くして言った。
「ゴウトに用事? ……じゃあ、ここ、退こうか?」
「あっ、はい! ――い、いや……じゃ、なくて……ええと……」
鳴海の問い掛けに、ライドウは思わず素直に頷いてしまった。しかし、それはあまりにも不躾なものだと気づいたのだろう。直ぐに慌てて、首を振った。
「申し訳ありません。今の不躾な発言はお忘れ下さい。鳴海殿は、どうぞ、そのままで。」
鳴海の台詞に対し控え目な辞退を返すと、ライドウは足早にゴウトの元へとやって来た。そして、猫の座るソファの傍に片膝をついて屈み込むと、毛を撫でながら話しかける。
「さあ、ゴウト。後は、これを塗るだけだ。」
そう言ったライドウが手にしているのは、ソーマの雫を詰めた小瓶。きらきら輝く液体は、今のライドウの瞳と同じ煌きでいる。
「……なあ、七綺。俺の毛並みのことよりも、他にやるべきことがあるんじゃないのか?」
堪りかねたらしいゴウトが、そんな質問を投げてみれば、ライドウは掌に瓶の中身を空けながら言い返す。
「ゴウトより優先させるものなんて、俺には無い。」
「む――。」
柔らかな声できっぱりと言いきった書生に、ゴウトはくらりと眩暈を覚えた。
ゴウトが最優先だ、とこのデビルサマナーは言う。それは、帝都の守護よりも己の目付役を第一に考えていると言う意味合いにもとれる。
……それでいいのか、十四代目葛葉ライドウ。
ああ、と天井を仰ぐゴウトに、今度は鳴海が会話に参加する。
「……。あのさあ、ライドウちゃん。聞いてもいい?」
「何でしょう?」
鳴海の声に答えるライドウは、すっかり諦観の表情をしたゴウトの毛並みに、丁寧にソーマの雫を撫で付けている。その様子を訝しく思いながら、鳴海は訊いた。
「さっきから、ゴウトに何してるわけ?」
「ああ、これですか。」
問いかけに、ライドウは顔も上げずに答えた。
「じき、新しき地へ行くのでしょう? その際、ゴウトの身に何かあっては一大事ですから、このようにして結界を敷いているのです。」
「……あ。それ、結界なの?」
「はい。敵方に感づかれぬよう、このような手間をとっているのです。ゴウト、ゴウト。――なあ、ゴウト。具合はどうだ? 何処かに負担は掛かってないか?」
「……ああ、何も無いさ七綺。お前のことは信じているしな。」
「……うん。有難う。」
ゴウトの言葉が嬉しかったのか、子供のように笑うライドウ。そのような表情を見せられては流石のゴウトも嫌な顔は出来ず、結局は曖昧な笑みを浮かべながら、ライドウの振舞うままに任せてしまう。
猫と書生が見詰め合う、何とも奇妙な――既にお馴染みとなった光景を前に、置いてきぼりに似た疎外感を喰らった鳴海が、両腕を組んで溜め息を吐いた。
「成程、その準備か。でもさ、ライドウ? お前さんの側には、思いっきり”生身”の人間が居るんだけどね?」
などと言ってみるも、ライドウは顔を上げると、鳴海を振り向いて。
「申し訳ありません。此れはゴウトの為の式術ですので、人の身には向いていないのです。鳴海殿には後ほど、ヤタガラスの使者殿に伝えて、何かしらの護符を用意して頂きますから。」
と、素っ気無く味気ない台詞を口にすると、またゴウトに視線を戻して作業に戻った
悔しいというか、寂しい、というか。
切なさ乱れるこの仕打ち。鳴海は、うんざりしているゴウトの心情を知った上で、口元に引き攣った笑みを作って言う。
「甲斐甲斐しい書生くんで良かったねぇー、ゴウトちゃん?」
「……大人気ない皮肉は止さんか。」
そんな一人と一匹の会話を余所に、当の書生はぐったりした黒猫の毛並みを整える行為を必死に励んでいるのだった。