黒猫、萌ゑしは書生
06.過剰
過ぎる思慕を持て剰す
「では鳴海殿、少し出掛けて参ります。」
「はいはい、行ってらっしゃ――って! こらこら待て、待ちなさいライドウちゃん!」
いつものように、踏査に出掛けようとした矢先のことだった。不意に鳴海に呼び止められのを訝しんだものの、ライドウが素直に振り返る。
「は。……何か?」
「何か、じゃないよね? ――それ、何。」
「え?」
「懐のそれ! グースカ寝てる、それっ!」
気難しい顔をした鳴海が、ライドウに向かってビシリと指差した。
差された箇所は胸の辺り。そこへ視線を留めつつ、ライドウは答えた。
「ゴウト、ですが。」
「分かってるよそんなことは!」
鳴海はバン、と机を叩いて立ち上がると、尚もライドウに指を突きつけながら叫んだ。
「あのなぁ、ライドウ! お前は懐に猫を入れたまんま外出する気か!?」
鳴海の指すライドウの懐――その胸元には、成程確かに不自然すぎる膨らみが一つ。
几帳面にボタンを留めてはいるが、何をどうしても隠しきれてないものが、そこに在った。
◇ ◇ ◇
にょっこりと隙間から覗いた耳先。身を丸めているために、更に大きく膨らんでいる塊。
そこには、クースカと眠る猫が一匹。
猫の名前は言わずもがな――彼のデビルサマナーが目付役、業斗童子である。常ならばライドウの側にせいぜい付き添っているくらいなのだが、今回は何をどうしてそうなっているのか、彼の懐に納まっている始末。
ライドウはゴウトに対して非常に深い思慕を抱いており、時折こちらの度肝を抜いてくれることを何度かしでかしてくれるが、大概は問題ないので見ない振りをしてきた。
が、流石にこれは見過せない。
――見逃しちゃ駄目だろ!?
鳴海は目を据わらせながら、ライドウに再度問いかける。
「まさか、そんな格好で外に出て行くんじゃないだろうな?」
「……そのつもり、ですが。」
「――止めなさい。」
即座に禁止命令を投げ返せば、ライドウは僅かに身動ぎして、困惑めいた表情を浮かべた。
「ですが、あまりにも気持ち良さそうに寝ているものですから……その、起こすのに、どうにも気が引けまして。」
「駄目! 起こしなさい! というか、そのまんまじゃ逆に目立っちゃうだろ!」
デビルサマナーは変に衆目を引いちゃ駄目なんだろう!?と鳴海が声を荒げれば、ライドウは胸元に目を落とし、一瞬ばかり沈黙した。
だが手にした外套を見遣り、次に鳴海に視線を戻して、静かに告げる。
「――目立つようなことは、ありません。」
「上着のボタンも半端なのに、目立たないわけ無いだろ!」
「いえ。何時も通り、この上から外套を羽織りますので、ゴウトが隠見することはありません。」
「~~っ。」
唸り、額に手を当てる鳴海。そういえばあの長い外套は、ライドウが携帯する刀や銃を隠す為の代物だった。
(もう! どうしてこういう時に限って、この子は怯みもせず冷静な対処法を考え付くかな!?)
流石は葛葉ライドウというべきか。
――いやいや、感心している場合ではなくて。
鳴海は顔を上げると、気を取り直してライドウに向かって叫ぶ。
「とりあえず、それは駄目! 駄目ったらダメ! 猫は出しなさい、猫は。」
「鳴海殿……。しかし、ゴウトはこのところ疲れている様子ですので、安眠を妨げるのは――」
「俺が懐に入れといてあげるから! とーにーかく! ライドウちゃんは、その格好で出掛けちゃダメッ!」
「あの、鳴海ど」
「上司命令だ、ライドウ!」
「……う。」
なかなかに従おうとしないライドウに、鳴海はとうとう”権限”を盾にビシッと言いのけた。それは効果てきめんで、ライドウが言葉に詰まり、固まる。
帽子の下では、きっと物凄く困った真名の姿の表情が広がっていることだろう。
しかし、鳴海は心を動かさない。微動だにしなくなったライドウを見ながら、バンと片手で机を叩き、命令を言い渡す。
「外出するなら、猫は出していきなさい。」
「……。あの、決して醜態は見せぬよう、気をつけますから――」
「ダメ! ――葛葉ライドウくん。御託はいいから、その懐の目付役を出しなさい。」
「鳴、」
「出しなさい。」
「……はい。」
厳しい表情を崩さず言い放てば、とうとう観念したライドウが身動ぎし、くるりと後ろを向いた。
ぷつ、ぷつ、とボタンを外す音が聞こえ、なにやらゴソゴソとしていたかと思うと、少ししてから鳴海の方へと向き直るその腕には、大切そうに抱かれた黒猫が一匹。鳴海にゴウトを差し出しながらライドウが告げるのは、伝言よりも哀願めいた願い。
「あの、どうか……身体が冷えぬようにしてやって下さい。」
まるで子供を里子に出す母親のような台詞に、頭痛を覚える鳴海。
「あのね、ライドウ……」
「直ぐに戻ってまいります故、それまでどうか、どうかゴウトの安眠を――お願い致します。」
「……。」
鳴海はもう、何も言うことが無い。
ただ重い溜め息を吐くと、差し出されたゴウトを受け取りながら言い返すのは承諾。
「分かったよ。ゴウトはちゃんと俺が面倒見とくから。だからお前さんは、自分の仕事をして来なさい。いいね?」
「はい! 有難うございます。……では、行って参ります。」
「はいはいはい。行ってらっしゃい、ライドウちゃん。」
――パタン。
ライドウが部屋から出て行った後、鳴海はゴウトを抱いたまま椅子に腰を下ろした。そして何処か呆れたような唸り声を出し、ひとり呟く。
「あの子は自分が監視されているんだってこと、気にならないのかねぇ……。」
目付役であるゴウトは言うに及ばず、この自分も――鳴海も、ヤタガラスに命じられて”ライドウ”の行動を監視する役目にいる存在だというのに、当のライドウはあの調子、あの様子。
「まあね。俺としても、あんまり警戒されて欲しくないから、アレはアレでいいんだけど。」
そこで言葉を切ると、ちらりと腕の中の黒猫に視線を落として言う。
「ゴウトに寄せてるのって……思慕、だよな?」
尊敬、憧憬、そういった感情であって――。
「なあ。愛情は分かるけど……それは普通の愛情、だよな?」
恋愛感情とかじゃ、ないよな……?
ははは。まさか。
……まさか、そんな?
「……あー。成程。そりゃ監視者は必要だよね。うん、必要不可欠だ。」
遠い目をして笑い、溜め息を吐く。
どうかあの書生が行き過ぎた方向へ走りませんように、と祈りながら、願いながら、時々様子を見ては注意しよう、と考え込む鳴海だった。
その腕の中では、黒猫が安らかな寝息を立てて眠っている。
何も知らぬまま、己の書生に抱かれているものだと思ってクースカと。