黒猫、萌ゑしは書生
10.欺雛
欺いてまでも雛は側に居たかった
「七綺、朝だぞ。」
ぷに。
寝台に眠る雛に近づいて、黒猫が優しく呼びかける。
「此処のところ、寝坊が多いな。……疲れているのか? ……おい、七綺。朝だぞ、起きろ。」
ぷにぷに。
前足で柔らかに頬を突付き、猫は眠る書生を軽く揺すったのだが、それでも彼――ライドウは、やはり目を覚ます様子を見せない。
「七綺。なーなーき。」
無防備に目を閉じてはいるものの、それでも端麗さを保っているその寝顔に、猫の――ゴウトの眼差しはついつい穏やかになってしまう。
まだ若い身の上でありながら、帝都を護るという責務を背負う彼の書生。それでも折れることなく、強く、凛々しく、眩しく在る姿にゴウトは微笑する。
ああ、俺は良い葛葉に出会えた。
後継がお前で嬉しいよ、七綺。
束の間、ゴウトは揺さ振るのを止めると、傍らにて思いに耽る。
初めて出会った頃のライドウは、無愛想で頑なで、口数も少なく。
これが自らの後継か、と幾許かの不安を覚えたものだが――ああ、別にお前を貶めているんじゃないぞ七綺――それが今は、どうだ。磨かれた刀剣のような見事さで、この帝都を、人々を護れているじゃあないか。
親莫迦に似た感情を交えつつ、ゴウトは未だに目を閉じているライドウ、その雛鳥に向かって声を掛ける。
「こら、七綺。何時まで寝ているんだ。そろそろ起きないか。」
ぷにぷに。
再び足先、主にその肉球を頬に押し付けながら、ゴウトはライドウに話しかける。
安心しているのか、まるで警戒の無い表情。猫は、そうっと顔を近づけると、静かに、そしてからかう様に呟いた。
「……この雛鳥め。何時までも寝ていると、悪い猫がやって来て――そら、食べてしまうぞ?」
自分でも意図せぬような甘い声音で囁くと、その”悪い猫”は雛鳥の頬を舐め、唇を軽く噛んだ。
ライドウは、意識が無い。
だから知らない内に――いいや、知られぬままに、密やかに仕置きをしてやろうと思ったのだ。
ちょっとした悪戯。
出来心の。
けれど。
「……ふふっ。」
「――っ!?」
小さな含み笑いがその唇から零れたのを見て、ゴウトの大きな瞳が更に大きく見開かれた。
◇ ◇ ◇
(あ、しまっ――)
ぴたり、と時が止まったような気がした。目を閉じたままではあったが、ゴウトが硬直した気配を感じ、ライドウは気まずい感情でいっぱいになる。
ただ、肉球の感触が気持ち良くて、もう少し、あと少しだけ、と思う内についついずるずると起床が遅れてしまったのだが、言い訳するにはもう遅い。
ゴウトが今、どんな顔をして此方を見ているのか。それが気配で手に取るように分かる為に、ライドウは尚更、目が開けられない。
何せゴウトは、此方がすっかり眠り込んでいると思ってあのような戯れをしたのだ。ライドウの――七綺の意識が無いからこそ、あのような悪戯……というには何処か恋人にするものにすら思えたが、いや、今は詮索するまい……とにかく、先程の行為は知られたくなかった筈だ。
その目論見を見事崩してしまった七綺を、さてゴウトが許すだろうか?
ああ、沈黙が息苦しい。この嫌な空白が重苦しい。
そんな静寂に耐えつつ尚も目を閉じていると、その上からゆっくりと言葉が降って来た。
「……七綺。起きているな?」
「……。」
「起きて、いたんだな? ……おい、何時からだ?」
「……。」
七綺、いやライドウは返事をしない。返答出来るほどの術を持ち合わせては居ないのだ。
彼の書生、黙して金を待つ。だが、今の声を聞いたゴウトに最早寝たふりなどが通用する筈も無く。
ゴウトが顔を赤くし、ライドウの頬を両前足でガシリと掴んだ。
「――この不良学徒めっ! 狸寝入りで己が目付役を謀るとは何事だっ!」
先程までの甘やかさ、安穏とした戯れの空気は何処へやら。
ゴウトはそれこそ毛を逆立て、牙を剥き、そしてフゥーッと唸ると、怒りの雷を落とした。
「速やかに起床しろっ! 葛葉ライドウッッ……!」
そして、ガブリと足をひと噛み。
「――っ!」
無声の悲鳴を上げて飛び上がったライドウに、ゴウトは冷え冷えとした眼差しを向けて言った。
「お早う、七綺。さて……洗顔の前に、少し俺と楽しい話をしようか。」
勿論、その話が”少し”でも”楽しい”ものでも無かったのは言うまでも無い。