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黒猫、萌ゑしは書生

13.引摺

嫉妬らしき何かを引き摺り、猫は雛の膝上に


その時ライドウは椅子に座り、タイプライタアを叩いて報告書を作っていた。
苦手な作業だが、これも探偵見習いとしての職務の一つなので仕方の無いところ。
しかし、幾つかの文章を打ったところで、ぴたと腕を止めた。
「止めた」というよりも「止まった」といった方が正しいだろう。

「……あの、ゴウト。」
「何だ七綺。」
腕に、ずしりと重み。
視線を落とせば、二の腕を横断するように圧し掛かっている黒猫が一匹。
相手のことを全くに気遣いもしないで、その腕にどっかと座り込んでいる姿は不機嫌そのもの。
機嫌が悪い原因はあらかた見当が付いているのだが、それでもライドウは何気なさを装って、控えめに話しかけた。

「済まないのだけど、その……ゴウトに其処に座られていると、報告書が作れな――」
「――まさか俺が”邪魔”だとは言わんよな?」
「え? あ、あの、ゴウ……」
「まさかまさか、目付け役であるこの業斗童子を、我が葛葉ライドウはよもや蔑ろにする、と……そう言いたいのか?」
言い淀んだ隙を突き、ゴウトが一気に捲くし立てる。
「何処ぞの知れぬ野良子猫には存分に甘えさせるがままにしておいて、俺では邪魔だと?はは、そのようなことは無いのだろう? なぁ……七綺?」
「い、いや、だからあの時のことは……」
先日の一件――ライドウはただ野良子猫に牛乳を与えただけなのだが、その際服の中に潜り込まれてしまった些細なこと――を、ゴウトはまだ根に持っているようだ。
猫というのは、はて、こうも嫉妬深い生き物であっただろうか?
ネコマタ、九尾の猫などの例を知らぬわけでもないが、しかし日頃ゴウトは己を猫ではないと言い張っていたでは無かったか。
……などと、ライドウが現実逃避に似た試行錯誤をしていれば。

「葛葉、ライドウ。」
「は、はいっ!」
叱責に似た声で呼ばれ我に返れば、此方を睨み付ける緑瞳とまともに眼が合った。
にい、と猫らしからぬ笑みを見せ、ゴウトが告げるは警告。
「俺を蔑ろにしたこと……忘れはせんぞ?」
「ゴウト! だからそれは誤解だと……! 俺は、別に――!」
「またそうして逃げ口上を使う……先日の反省、あれは虚言であったのか?」
「に、げ……」

そうじゃない。
そんなことを言っているんじゃない。
言い訳ではないし、誤魔化しているわけでもないのに、ゴウトは理不尽な怒りをぶつけてくる。
頑なな嫉妬は、最早拗ねているといった可愛いものではない。

どうしたら解けるのだろう、この誤解。
どうすれば冷めてくれるのだろう、この嫉妬。
流石のライドウも七綺に戻り、疲れた顔で天井を仰ぐと、見つからない答えを探しながら、ゴウトのねちねちとした詰問を半ば上の空で聞く。
そうしていると、どんどん心が離れていって――ライドウはいつしか、少し前までの己の姿を回想した。

他社との接触が苦手だった。
人との会話が苦手だった。
それでもどうにかやってこれたのは、ゴウトの助勢もあったからなのに。
そのゴウトが、今度は戸惑わせてくる。
ライドウは――七綺は、未だに人の感情を受けるのは苦手であるのに。

面倒だ。ああ、面倒だ。
嫌だ。……こんなのは、嫌だ。

嫌だ。
厭だ。
いやだ。

ゴウトに、こんな風にして責められるのは……い、や、だ。

「――七綺!?」
ひどく驚いたゴウトの声がした。
「……え?」
ぼんやりと我に返れば、大きな目を更に大きく見開いたゴウトが、此方を見つめている。
心配げな顔。
どうしたのだろう、と思って口を開きかければ、何かが、つと頬を伝い落ちた。
頬に手を当てれば濡れた感触。
涙?
「あ……」
いつの間に?
感覚が麻痺して気がつかなかった。
「すまん七綺、すまなかった。ああ、お前を泣かせるつもりは……七綺、大丈夫か? 七綺……」
途端に冷静さを取り戻すゴウト。苛め過ぎていた己の行動に漸く気づいたらしい。
「すまん、本当に……大人気ないことをした。」
そして呆然としている彼の胸元に擦り寄ると、頬を流れる涙をぺろりと舐めて慰めてきた。
気弱に後ろに倒された耳。
腕に柔らかに巻きつける尻尾。
優しい葛葉の目付け役。
泣くつもりなど毛頭無かったのだと説明しようとしたが、七綺はそれを止めにすると、涙を拭い、微笑を浮かべてゴウトの頭を撫でながら、別の台詞を口にした。

「いや、俺も泣いたりなんかして、すまない。……ゴウトの機嫌を損ねた、俺が悪いんだ。俺のせいで、ゴウトは――」
相手を責めるのではなく、とにかく自分が悪いのだと主張してみれば、ますますゴウトが慌てだした。
「いや……いやいや! 違うんだ七綺。お前に非は無いんだよ! 俺の下らん嫉妬だったんだ、済まん!」
そう言って、胸にこつりと頭をぶつけて懐に入り込んできた黒猫を抱きしめながら、七綺はまだ少し赤みの残る目を細めて笑う。
感情に戸惑うのは、何も自分ばかりではないらしい。

ああ、日々精進するとしよう。
猫らしからぬ黒猫、厳しくも愛しくある目付役、このゴウトと共に。