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黒猫、萌ゑしは書生

14.行過

行き過ぎた果てに口をついて出たものは


昼食も終え、高く昇った日が緩やかに傾き始めた午後二時過ぎ。その日のライドウは、来客用の茶菓子を作っていた。踏査に出掛けない日は、それを日課としているのだ。
菓子作り、とは言ってもこの鳴海事務社にはあまり「普通」の依頼客は訪れない故に、まっとうな客人の口に入るのはそう多くはない。むしろそれらの菓子のほとんどは、事務社の人間(特に黒猫)が食すことになるのだが、それでも一応、形式的には「来客用」として作ることにしていた。

そんな書生の膝上には、同じく昼寝を日課とした黒猫が一匹。
くーすかと眠りに落ちている彼の猫ゴウトは非常に気持ちよさそうで、時折ぴくりとヒゲが動くほかは微動だにしない。
ライドウの腕に尻尾を巻きつけたままのその姿は、まるで子供が何処にも行かぬよう守る親のよう。警戒する必要の無い猫は無防備に身体を伸ばして眠るらしいが、今のゴウトが丁度それでいた。
ライドウの膝上に伸び倒し、尻尾は足に絡ませている。
親愛の証そのままに眠るゴウトを前に、普段あまり表情を変えないライドウすらも、これには陥落せざるをえない。

「気持ち良さそうだな、ゴウト。」
呟いたライドウの眼差しは非常に柔らかで、口元は緩んでいる。
「でも俺の膝はあまり肉が付いていないから……心地悪いだろう?」
すれば、猫の尾が僅かに強く巻きついてきた。
そのタイミングに、ライドウの苦笑が深くなる。
「……違うって? ふふっ。……有難う。」
ライドウは笑うと、さて今日は何を作ろうかと思考を巡らせ始めた。
「餅が余っているし、小豆もあるから……善哉でも作ろうかな。」
そんなことを呟きながら、ライドウは机の前に置いた餅を手に取った。
「うん、量も足りる。後は砂糖と――……ん?」
その時、ライドウの視線は不意にゴウトの前脚、露になった肉球に吸い寄せられた。
丸々としていて、柔らかな肉の丸み。

「――そうだ。あれを作ろう。」
言うなり、ライドウは膝上のゴウトをそっと抱き上げた。
そしてまるで壊れ物を扱うかの如き仕草で静かに敷布の上に猫を下ろすと、頭を一つ撫でて言った。
「済まないが、菓子作りの間は此処で眠っていてくれ。直ぐ済ませるから。」
ライドウの言葉を聞いたわけでは無いだろうが、ゴウトは目を閉じたまま短く唸ると、くるりとその身を丸めた。
書生は苦笑しながらも、側に置いてあった外套をゴウトに掛けてやってから、一先ず部屋を後にするのだった。


◇ ◇ ◇


「帰ったぞ七綺。」
「ああ、お帰り雷堂。」
「む? 何だか香ばしい匂いがするな。」
かつかつと近づいてきた雷堂はライドウの側にやって来ると、匂いの正体に視線を落として笑った。
「ハハッ! 何だ、茶菓子を作っていたのか?」
「ああ。居候の身なんだから、これくらいはしないと申し訳なくて。」
ライドウは笑いながらそう言ったが、しかし雷堂は笑わず、僅かに眉を顰めた。
「……七綺。そのように控える必要は無いのだと、何度言ったら解るのだ?」
「ん、でも……食と住に、手間と煩いを掛けているだろう? だから――」
「居候、角な座敷を丸く掃き――とは言うが、汝は全くに違うのを我は知っている。だから、そう卑下することはない。」
言いながら、雷堂は相手の頭を撫でた。それを受けて、ライドウは苦笑を押し隠す。
雷堂は、己の鏡面存在であるライドウを、とにかく甘やかす。
別に嫌なわけではない。ただ、過保護すぎるように感じてしまい、素直に受けきれないのだ。
が、そのことは置いておこう。
「七綺。それよりも、それは……」
雷堂がその手元、ライドウが丸めている白い塊に視線を戻し、首を傾げて問う。
「……餅か? 正月が残りの?」
「うん。折角だから、使いきろうと思って。」
「はは、助かるよ。丁度持て余していたところ故な。……ところで、何を作っている?」
「ん? ああ、これは――」
雷堂の方を振り向こうと視線を流したその軌道上に、一瞬だがゴウトの前脚が映った。

そのせいだろうか。

「――にゃんころもちだ。」
「……うん?」
途端に雷堂の表情が歪んだ。

今のは何だ?
はて聞き間違えたかと思い、雷堂が再度訊ねる。

「……七綺? 済まんが、もう一度。」
「え? ああ。だから、にゃんころもちを作っているんだ。」
「……もう一度、頼む。」
「……? 何だ、雷堂は食べたことが無いのか? だから、にゃんころ――」
三度目に同じ台詞を口にしたところで、ライドウの言葉が止まる。
そこで、ようやっと己の言い間違い気づいたらしく、目を大きく見開いた。――と思ったら、次の瞬間にはざぁっと一気に耳まで朱で染め上げて。

「いや、違、にゃんころ――違う! あ、あんころ餅、だ……!」
真っ赤な顔をし、酷く狼狽したライドウを見つめながら、溜め息を吐いた雷堂が言い返すのは労わり。
「七綺……汝が目付け役に対する情愛の程度は、我も知っているが……なあ、今一度、省みてはどうだ?」
すっかり呆れた顔をしてそう言った雷堂に対し、大きく首を振りながらライドウが叫ぶのは弁解。
「違うんだ! 違、……い、今のは話す前にゴウトの肉球を見てしまって! ……だから!」
だが、鏡面の存在は何処までも優しい。うんうん、と頷き、柔らかに言う。

「良いのだ七綺。汝にも色々思惑はあろう?」
「いや、だから……!」
「――ああ、そうだ。我も菓子作りの手伝いをしてやろう。」
「あの、……雷、」
尚も誤解を解こうとするライドウ。だが、雷堂は憐憫に似た眼差しを崩さず、椅子を引っ張ってくると隣に置いて。
「さあ、我は何をすればいいんだ? うん?」
「あああぁぁ……違うんだ! 今のは、本当に言い間違って……!」
ライドウは尚も言い縋ったのだが、しかし”これは末期”だと判断した雷堂によって、遂にはよしよしと頭を撫でられてしまう始末。
それからもひたすらに、どうやって誤解を解こうかと奔走するのだが、雷堂の診断もあながち間違いでは無いのだろうことは、本人が気づく由も無い。

隠された己が真意。
知らぬは当人ばかりなり。