黒猫、萌ゑしは書生
15.猫餅
猫の形を模した餅を作り上げた後の、雛は
「ふぁ……ああ。――ふぅ。……よく寝た。」
うーんと身体を伸ばしながら、眠りより目覚めた黒猫は大きな欠伸をした。
やはり昼寝は気持ちがいい。特に、枕になるものがあれば尚更である。
さて、その「枕」……いやいや「彼」に礼を言わねばな。――そう考えながら、己が借り受けていた膝の主を見遣ろうと顔を上げれば、自分の背中から何かがするりと滑り落ちた。
見れば、学生服の上着。膝の主は用事で席を立ったらしいが、それでも代用にと自らの上着を毛布代わりにしていくとは何とまあ気の利くことか。
流石は俺の七綺だ。
気遣いを嬉しく思い、親莫迦にも似た台詞を吐きつつ、猫は――ゴウトは口元に猫らしからぬ笑みを浮かべて、辺りを見回した。
首を振ること、一回半。
部屋の一角にて、上着の持ち主を見つけた。
此方に丁度背を向けた状態で椅子に座っているので、何をしているのかは窺い知れない。
時折、腕が動くくらいは、静かでいる。茶でも飲んで休息をとっているのだろうか。
……それにしては、何処かしら気配が必要以上に張り詰めているような?
「七綺、お早う。」
上着をその場に置くと、ゴウトは書生の後ろから近づきつつ声を掛けた。
「随分と長いこと膝上を占領して済まなかったな。その上、上着まで借りてしまったようだ。お蔭でぐっすりと寝込んでしまったぞ。……有難うな。」
「……。」
だが、どうしたことか彼の書生は振り返りもせず、返事すらしてこなかった。
「……七綺?」
訝しく思ったゴウトが前へと回り込んでみれば、ライドウは眉間に皺を寄せて、一心不乱に白い塊を捏ねていた。
「な、七綺? どうしたんだ?」
機嫌の悪そうなその顔を見る限りでは、料理を作っているという雰囲気ではなかった。
何処か剣呑な気配纏わせ、表情は険しく。
この顔つきは、どちらかというとデビルサマナーとしての葛葉ライドウのそれに近い。
しかし、菓子作りとデビルサマナー。
接点が全く見えてこない。
「おい七――……うん? これは……」
ふと側を見ると、机上にある小さな皿に気がついた。
その上には、小奇麗な和菓子らしきものが、二つ。
そういえば眠りに落ちる前、和菓子を作る予定があるのだと聞いた気がする。
「これは大福か? それとも――」
「……に……もち、だ。」
「うん? 済まん、よく聞こえなかった。いま何と?」
訊ね返せば、相手は顔を上げて。
「にゃんころもち、だ!」
ライドウは妙に低い声でひと区切りずつ答え、そして言い終わるとまた顔を伏せてしまった。
合わさない視線。口調も、妙に素っ気無い――というより、これはもう完全に拗ねている様子。
「な、何でそんなに機嫌が悪いんだ?」
虫の居所が悪いのか?
しかし、何故――?
「どうした、うん? ……良かったら、俺に話してみんか?」
驚きつつも口調穏やかに訊ねてみれば、相手はそこで手をピタと止めて呟いた。
「……ゴウトが、悪いんだ。」
「俺が!? な、何でまた」
「ゴウトが肉球を見せて気持ちよさそうに寝ていたから! だから俺は……」
「おい七綺、落ち着け!」
「貴方、が……、俺、……っ!」
そこでライドウは、くうっと呻いて俯いてしまった。
ゴウトは呆気に撮られ、暫し消沈した書生をそのままにして考え込む。
言い掛かりだ。
何をどうしても見事な言い掛かりだ。
そして止めに、八つ当たりにもほどがある。
だが、このライドウの反応。
唇を噛み締め、肩を小刻みに震わせてすらいるこの姿を目の当たりにしてしまっては、怒るに怒れず。
叱咤するのはひとまず置いて、ライドウ――七綺を落ち着かせよう。
そう考えたゴウトはサッと机上に飛び上がると、相手の手元を覗き込みながら話しかけた。
「ま、何だか知らんが、美味そうな菓子を作っているじゃないか。」
七綺が視線を上げる。
「……美味しそう、か?」
「ああ、世辞ではない。見た目で味の程度も知れるというものだ。七綺はやはり腕がいいな。」
「……そ、そう、かな。」
泣きそうな顔をしていたくせに、少し誉めてみればこの笑顔。
照れ臭そうに、けれど何処か誇らしげで。
素直すぎるぞ、雛鳥め。
こつんとライドウの胸に頭を軽くぶつけ、ゴウトは言う。
「さて、七綺。少し遅くなってしまったが、小休憩だ。俺に茶の用意を。」
「ゴウト、でも熱いものは――」
「例えだ莫迦者。冷えた玉露のひとつでもあるだろう?」
「ああ、そうか。……そうだな。分かった、直ぐに用意をするから、此処で待っていてくれ。」
「おお。」
先程の消沈ぶりが嘘のように、颯爽と身を翻して奥へ姿を消したライドウを見送りながら、ゴウトは皿の上の「にゃんころもち」に目を留めた。
そして、可笑しそうに呟く。
「成程、これが”俺”か……ふふっ。何とまあ面映いことをしでかしてくれる。」
これでは、雷堂に散々からかわれたことだろう。
そこには嫉妬も混じってあっただろうから、きっと執拗に苛められたに違いない。その光景も、少しばかり見たかった気もするが――まあ、今は。
この餅でも眺めていよう。
黒猫のことを考えて、つい模ってしまったのであろう、この甘い菓子を。
お前は本当に、いちいちが愛しすぎる。
ゴウトは尻尾を揺らすと、くすりと小さく笑って「にゃんころもち」に柔らかく噛み付いた。
その様子を一部始終見ていた七綺が、顔を真っ赤にして戸口の影に蹲ったことなど、彼の猫は知る由もない。
――愛しいのは、どちらの方か。