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黒猫、萌ゑしは書生

16.業別

業に別たれたとしても願うのは


縁側に、二人の青年が居た。
彼らはそれぞれ膝の上に黒猫を乗せており、その丸みのある体を愛しげに撫でている。
目を細めている己を自覚しているのかいないのか、学帽の庇が作る影の下に浮かぶ穏やかな表情。
帝都の守護という、若き身空には重い――重過ぎる責務を負う日常にある束の間の休息。
そのひと時ばかりは流石に堅苦しさを解いて、彼らは会話に興じていた。

「なあ雷堂。この間のことなんだが……」
「ああ、あれならば無事に片がついた。七綺に支度をしてもらって助かったよ。感謝を。」
「そんな、俺は」
「ふふ。謙遜するな。」
葛葉ライドウ、そして雷堂――誉れ高き悪魔召喚師の名を継いだとはいえ、やはりまだ年頃の青年である。猫を撫でながら談笑する彼らは、本当に楽しそうだった。
とりとめなく言葉を交わす。
日常の、ちょっとしたことを。
戦い方においての、意見交換を。
ともすれば何の意味も無い雑談だが、普段が非日常的な環境である為に、それらは楽しみの一環なのだ。

だがその会話も、雷堂の一笑で不意に途切れることになる。


◇ ◇ ◇


不意に、ふふっ、と短く雷堂が笑った。
別に、笑うことが悪いのではない。ただ、我慢していたものが堪え切れなくなった、というような笑い方だったので、気になったライドウが不思議そうに相手を見返した。
「雷堂? 急に笑い出したりなんかして、どうしたんだ。」
「いや、なに――随分と幸せそうな顔をしている猫が居るな、と思うてな。」
「……猫?」
思わず膝上で丸まっている黒猫を見るも、確かに幸せそうではあるが取り立てて目立つものはない。
周囲に別の猫が居るのだろうか?と顔を上げたところで、ふと雷堂の視線が、高い位置で留められていることに気がついた。
真っ直ぐに向けられた雷堂の瞳。
視線は、猫の――上?
それは丁度、顔を上げたライドウと同じ高さだ。
絡む視線。……と、いうことは――。

「え。……俺のこと、か?」
「他に誰が居る?」
そう言って、雷堂は手を伸ばすと相手の頬を軽く摘んだ。愛撫に似たくすぐったさに、ライドウは身を捻じって僅かに顔を赤らめる。
「そんな……猫、だなんて。……もう。何を言うんだ。」
「ふふっ。そう渋い顔をするな。比喩ではあるが、別に揶揄しているのではないのだぞ。」
「でも」
何か言いかける相手の唇を指先で押さえて制し、雷堂は先を繋げる。
「そもそも、汝が蕩けそうな顔をして猫を見つめておるのが悪い。」
我が側に居るのだから、先ずは我を構うべきであろう、と子供に似た我侭をわざと吐いてみせれば、相手が目を伏せて。
「ん……そう、か。……すまない。」
などと実に素直に謝ってくれたものだから、雷堂としては愛しくなる。強気な書生は目を細めると、冗談だ、と告げてライドウの頬を撫でてから会話を続ける。
「ま、尤も……何にそこまで深く思想していたのかは訊かずとも想像に容易いが故、嫉妬が対象には及ばんがな。」
「う……」
指摘に、ライドウが顔を赤くして言葉を詰まらせる。鏡面同士故に嘘は通用しない――だが、彼の書生はそもそも解り易いのだ。雷堂にとっては、という意味で。
「ふふっ。やれやれ、ほんに我が興味を掻き立ててくるな汝は。」
尚もからかっていれば、ライドウがパッと顔を上げて言った。
「そ、そういう雷堂だって!」
「うん?」
「雷堂だって、似たような顔をしていたんだぞ!」
「……ああ、やはりか。」
「やはり、って……」
潔く雷堂が認めたので、ライドウが逆にたじろぐ。
仕返しが成功しなくて残念だったな、七綺?――そう心中で苦笑しつつ、艶やかな笑みを一層艶やかにして雷堂が返すのは追撃。

「我が心を蕩かす存在など、七綺を除けば彼の存在しかありえんよ。」
「べ、別に俺をそこに含めなくても……」
「いやなに。念の為、注訳しておかぬと思うてな。焼き餅を妬かれては敵わん故。」
「だっ……誰が焼き餅を」
「はぐらかしてくれるな、我が鏡面。汝を於いて、誰が在ると?」
「……、……鳴海殿、とか――」
その名を口にした瞬間、音が消えた。
室内の温度が下がる。ぱきり、と硝子にヒビが入った音すら聞こえたのは気のせいにしておきたい。
長過ぎる沈黙があってから、雷堂が口を開いた。

「――……其が愚言、一度は赦そう。だが、次は我とて心穏やかではないぞ七綺。」
「……わ、悪かった。」
その警告は、思い切り爪が出ていた。相変わらず仲の悪いことだ、とライドウは思う。この名前を出すと、雷堂はいつも機嫌が悪くなるのだ。
彼の心中は少しばかり理解できよう。此方の”鳴海”を知っている――彼の人の狂気は強すぎて、ライドウもたじろいでしまう――ので、口を挟むことは控えておくことにした。

とりあえず、今は猫の話に流れを戻そう。
ライドウは相手の手に自分の手を重ねると、もう一度「すまなかった」と謝罪した。


◇ ◇ ◇


「なあ、雷堂。」
次にライドウが口を開いたのは、雷堂の気が静まってからだった。
「どうした?」と穏やかな眼差しを向けて来た相手を一瞥して、ライドウは言葉を続ける。
「俺、さ……」
「うん?」
「ゴウトと逢えて――良かった。」
「ふっ……そうだな。」
同意を返す口端に、笑み。ああ、機嫌が直ったようだ。
「……雷堂は?」
一難去ったのをこれ幸いにと訊ね返してみれば、彼の書生は膝上の猫を柔らかに撫でて。
「知れておろう? ――我も業斗に逢えて、佳良だよ。」
「そうか。……良かった。」
微笑むライドウ。だが、不意に目を伏せて溜息一つ。
「でも……いつか」
「いつか?」
「ゴウトとは……業斗童子とは、別れる時が来るんだよな?」
沈痛な面差しの鏡面に雷堂は眉根を顰めたが、それでも返すのは肯定の言葉。
「そうだ。業斗童子は、若輩者の目付役。我らが一人前となれば、彼の役目は別へ移行されよう。」
「ずっと一緒に居ても良いんじゃないのか? 今のように相棒として、ずっと――」
「一時凌ぎが考えで逃避するな、七綺。それが叶わぬことだと、解っているだろう。」
ライドウが聞き分けの無い子供のような言葉を並べる前に、雷堂がぴしゃりと遮り言葉を掬い上げる。
「我らは有限の存在だ。それに比べて、彼ら業斗は――業斗童子は、永劫の徒。業斗童子とその名が示すように。」
「しかし、それでも……一緒、に」
「……先に逝くのは我らなのだ。どうしても別れは避けられぬよ。」
そう言った雷堂の表情は痛ましげで、ライドウと同じ感情でいるのだと判明する。
強気な書生なれど、彼もヒト。相棒との別れを想像すると悲しくなるのだ。雷堂は己の猫に視線を落とすと、自嘲気味に笑って呟く。
「まあ、我らも何かしらの咎を負えば同じ存在になれるだろう。……彼ら業斗の目付役としての面目を潰し、守役として無能という評価との引き換えに、な。」
「……それ、は……」
「嫌だろう? ああ、止めておけ。業斗らの咎を増やすだけだ。」
「うん……そうだな。」
己の我侭を認めたライドウが頷くのを見て、雷堂も頷く。自分を納得させるように。
「なあ七綺。我らは今の刻を過ごそうではないか。我らは我らで、限りある生涯をせめて大事に過ごしてゆこう。我らが相棒、業斗と共にな。」
「ああ。……ああ、そうだな。それで、いつか――」
いまだ安らかに眠っている相棒の頭をやさしく撫でて、ライドウは――七綺は、言う。

「――いつか思い出として、ゴウトの心に”残る”ことが出来たら良いな。」
永劫童子。
いつか別れなければいけない存在。
だからせめて、せめて思い出の欠片として記憶に残りたい。
僅かな温もりとして、彼らの心に。それで彼らの罪が赦されるかは知れないが、幾許かの慰めになればいいと思う。

それは十四代目としてではなく、大切な相棒としての願い。