もこもこモコイ
02.奪取
ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle
「隙有り! なのだよサマナーくん!」
「……。」
不意に、風と声がライドウの側を通り抜けた。
攫われた学帽。
ライドウは緑の風が駆け去っていくのを見ていたが、だからといって、特に何かしらの行動を起こそうとはしなかった。
「……。」
ただ黙したまま、その場に佇むライドウ。
帽子が無いせいか、髪が風を受けて少しそよぐ。堂々と露わになった氷の美貌が、通りを行く人々の視線をひたすらに集めていた。
しかし、ライドウは全く気にした様子も無く無自覚に、じっとその場に立ち尽くしている。
呆然と見蕩れた人々が溜まり、集まり――通行が滞ってきた、そんな時だった。
用事で離れていた黒猫、彼が目付役であるゴウトが、戻って来たのは。
「済まん、随分と待たせてしまっ――なんだなんだ、この人の込みようは!?」
混雑めいた雑踏をすり抜けてゴウトがライドウの元へと辿り着けば、無表情だったライドウが僅かに口端を上げた。
「おかえり……なさい。」
「おう、七綺。遅くなった。」
「……否。貴方を待つことは、苦ではない。」
「はは、何を言う。……ん?」
ゴウトはそこで何かに気づいたらしく、ライドウを見上げたまま押し黙った。
「ゴウト殿。どうか、したのか。」
だからライドウがゴウトに視線を向けて訊ねれば、ゴウトは首を捻りつつ言い返す。
「七綺。……学帽は、どうした?」
「……。モコイが、攫っていった。」
「何だと!?」
モコイの名前が出た途端、ゴウトの表情が豹変した。
黒猫の眦がきりきりと吊り上がり、その口から零れるは唸り声。
「……それで? あいつは何処へ行った?」
「……アスラの、元へ。モコイは、アスラの側が好き、だと……何時かの折に、そう言っていた故。」
ライドウの言葉を聞いて、ゴウトはますます唸る。
「アスラ……例の少年か。よもやあいつが命令したんではないだろうな?」
疑念を抱いたのか、ゴウトがそんな事を呟いた。モコイが何かしらの揉め事を起こす時、その中心には大抵彼の少年が居るからだろう。――もっとも、アスラは好き好んでその中心に居るのでは無いのだが。
黒猫の言葉を静かに聞いていたライドウが、その時ゆるりと首を振った。
「否。……アスラは渦中に在れど、災禍の指揮は……しない。」
「お……おお? そう……なのか。」
共に在りて幾年月。ライドウの言の葉がある程度は理解できるようになったと自負するゴウトであったが、この時ばかりはどうにも意味が分からなかった。
アスラを庇うような発言だからだろうか?
だから嫉妬して、理解出来ない振りを?
――まさか。
鼻先で笑う。
いやいやこれは単にモコイが関っているから、それで少々頭に血が上っているせいだ。
ゴウトはそう考えると、再び己が書生に視線を向けた。
帽子が無いせいか、いつもより眩しく見えるその相貌。
うむ、やはり俺の七綺は美しいなと親莫迦に似た感想を抱いて意識を現状に向ける。
「それにしても、悪魔の分際で誉れ高きデビルサマナーの持ち物を窃盗するとはな。なあ七綺よ。一度、強く言って聞かせたほうが良いのではないか?」
進言に、ライドウが首を傾げる。
「さしたる難では、無い。だが……ゴウト殿。貴方は、厭うのか。」
「厭う、厭わんの問題じゃない!」
先程から、何故こんなにも周囲がざわついているのだろうかと思ったが、ここに来てようやく原因を思い出したのだ。
ああ、この書生の持つ氷の美貌の強さを、すっかり失念していた。
辺りをざっと一瞥して、ゴウトは言う。
「見ろ、衆目が一挙に集まっているだろう。俺たちは忍ばねばならん身であって、不用意に目立ってはいかんのだぞ。」
「……そう、だったな。……済まない。」
ゴウトの叱責を受けたライドウは、目を伏せると素直に謝罪の言葉を口にした。
だがこの書生は、此処から先に起こす行動がいつも問題になる。
「人目が、貴方に煩いを掛ける。……ゴウト殿、抜刀の許可を。俺が、払う。」
そう言うなり無表情に外套の下にある刀を押し上げたものだから、ゴウトは慌てて制止に掛かる。
「ままま待て待て待て! いいから先にモコイを探すんだ! 帽子を返してもらえば、それで済むことなんだ! だから刀を抜くな! 抜くんじゃないぞ!」
「……解した。」
ライドウが、素直に頷く。外套の下で仕舞う気配があったので、ゴウトは一先ずは安堵した。
冷や汗ものの行動を起こしておきながらも、書生は涼やかな表情のまま。人のざわめきなどにはやはり全く気を向けぬまま、周囲に視線を走らせつつ言う。
「ゴウト殿。……モコイの気配を、辿る。」
「そうか。なら追跡はお前に任せた。――では行くぞ、七綺!」
「ああ。」
そうして黒い影は何処へともなく走り出した。
周囲一体に出来たひと塊、名残惜しげな表情をした見知らぬ人々を、置き去りにして。