もこもこモコイ
07.お揃いへの道
ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle
ちくちくちく、と針が進んでいく。
当たり前だが、実際には裁縫音などしていない。あまりにも今居る空間が静か過ぎるものだから、アスラが心の中で呟いたものなのだ――というか、現在進行形でその行為は続いている。
――ヒトは、全き静寂に弱い生き物だ。
勿論アスラは、自分が馬鹿げたことをしているのだと、きちんと理解していた。だが、そうやって心の中で自分の声でも聞いていないと、おかしくなりそうだったのだ。
耳が痛くなるほどの静謐さに、時折ぶるりと生じる不可解な震えを誤魔化したかった。
尤も、そのせいで未だ己がヒトであるのだと自覚できているのも、また事実。
怖ろしいという感情が、静けさに怯える心が、まだヒトで在ることを教えてくれる。
だから、アスラは一人、馬鹿げた行為を続けていた。
何処か意地になっていたのかもしれない。
進む針に合わせて淡々と、心の中で擬音を呟く。
◇ ◇ ◇
「……。」
(ちくちくちく。)
「……。」
(ちくちく……あれ、何か変わった縫い方になった……まあ、関係ないか。ちく、ちくちく。)
しなやかな手が、アスラの身体に巻いた布を”服”へと作り上げていく。
白い指先は繊細で、その持ち主の青年は非常に美しい。だが、その指が銃の引き金を引き、その手が刀をも振っているのだから驚かされる。
冷たい美貌をしたこの書生の名は、ライドウ。
常に無表情で声には抑揚が無いため、初めは人形ではないかと思ったほど。
何を考えているのかを相手に悟らせることが無い、氷の塊のような青年。
今でこそ、このような距離にいるが、かつてはアスラの敵だった。
赤い世界は複雑で、不可解で。
そんな中、突如言い渡された燭台<メノラー>集め。
それが原因で起きた魔人たちとの戦い。
更に、赤き世界の奥にてライドウと再会した――と思えば、たちまち開始されたのは命を賭けた真剣な鬼ごっこであった。正にそのゲームに相応しく、鬼神が如き強さで以ってライドウはアスラを追いかけてきた。何処までも、際限なく。
聞こえるか、聞こえないかの足音。
しんとした気配は怖ろしく、後ろを振り返るのを何度躊躇ったことかしれない。
その背後より身を掠める銃撃に至っては、ほぼ正確無比。
そして一度でも追いつかれてしまえば、相手は無表情で攻撃を仕掛けてくる始末。
アスラは、ライドウが恐ろしかった。
鬼ごっこの後に繰り広げられた、一つの結末を告げる戦いが終わる、その時までは。
しかし今は――この通り。
仲間というか、仲魔というか。
ライドウはもう刀を抜いてアスラを襲い来ることは、無い。
「……アスラ。」
「ん? あ――何、ライドウ。」
「退屈……だろう。」
「えっ!? ……あ、いや――だ、大丈夫!」
「騙る必要は、無い。アスラの気配が……明確に、伝えている。」
「う……。えーと……ご、ごめん。」
「謝罪も、不要だ。もう暫し……待機を。後は、耐性を考慮し、幾許かの裁縫を加えるだけ故。」
「わ、分かった。」
此方を気遣ってくれたのだろうか?
何にせよ、ライドウがこういった発言をするのは珍しいことだった。
だからアスラが視線をライドウに注いでいれば、服飾の作業をしながらの相手から声が返る。
「……どうした。」
「いや……ライドウって器用だな、と思って。」
「この程度が裁縫、称賛に値しない。」
「いやいや誉めても良いところだって。……あ。そういえば、ちょっと気になってたんだけど……。」
布を通り抜ける針の動きを目で追いかけながら、アスラが言う。
「こんな材料、一体どこから持ってきたんだ? 持ち歩いていたわけじゃないだろ?」
ショッピングモールがあった場所は、既に何処もすっかり機能していないし、第一ニンゲンそのものが居なくなったのだから、生活用品なども無い筈……なのだが。
「――それはアスラが、見ていないだけだ。」
「えっ!?」
考え込んでいたアスラに、ライドウから静かな答えが返された。
「あれ? えっ!? もしかして今、口に出してた……?」
「……否。だが、読心でも……無い。」
ライドウはそこで一度手を止めて、アスラを見上げた。そして闇色の瞳に相手の姿を捉えると、僅かに帽子の庇を上げて言葉を繋ぐ。
「……アスラ。お前は、この世界を厭うているな。」
「厭う? ……いや、別に俺は――」
「……虚言は不要だと、言った筈だ。」
ライドウが腕を動かし、服を縫う動作を再開させた。だがその視線は尚もアスラに向けられたままなので、アスラの表情は当然ながら強張り、たちまち焦燥したものになる。
「ちょ、ラ、ライドウ! 危ないって! 危ないから!」
「……そう。危殆、だ。」
「キタイ? ああ、危ないって意味か――いや、分かってるなら手を止めろよ!」
「――否。俺が示しているのは、アスラ、お前だ。」
「俺!? 何で俺が?」
「アスラは、見ていない。この世界を。」
ライドウはそこでやっと手を止めると、針を見せつけるようにアスラに向けて言う。
「そのままでは危殆だ、アスラ。……お前に何があったのかは、俺の知るところでは、無い。」
針がアスラの目の前で揺れる。
「だが――心せよ。盲目は、お前の心蝕たる毒となる。」
「……。ライドウの言葉は、解らないことだらけだ。」
アスラは眉根を寄せると、不貞腐れるように視線を逸らした。
本当に分かっていないのか、それとも――心当たりがあったのか。そのまま口を噤んでしまう。
しかしライドウもライドウで、アスラの態度を見ても表情を変える事はさして無く。
「解りにくい、か。言の葉の具現には、努めているのだが……すまない。」
静かな声で謝罪らしきことを口にすると、ライドウは何事もなかったかのようにまた手を動かし、アスラの服を縫い始めた。
そんなライドウを見てアスラは少しだけ困惑した表情になったが、唇を噛んで口を噤むと、作業するライドウを見守ることにしたのか視線をそのままにしておいた。
そうして二人は、静かな空間の中で黙り込む。
黙々と。粛々と。
もうじき完成するであろう服の形状を見ながら、アスラは、ふとそれが非常に見慣れたものであるのに気づき――何だか、嫌な予感を抱くのだった。