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もこもこモコイ

18.Angels Outside

ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle


「アスラ!? どうしたんだその格好は! 何だ、誰にやられた!」
此方の姿を見つけた途端、フトミミが凄い形相で駆け寄ってきた。
当たり前だろう。
帰宅したアスラは、傍から見ても酷い格好でいたのだから。
まず髪はぐしゃぐしゃ、身体はボロボロ。
そして止めといわんばかりに、顔には青痣、唇の端には滲んだ血。
これを見て、冷静でいろというのが難しい。
しかし、当の本人はさして痛がっている様子もなく、苦笑いを浮かべるなりこんなことを言った。

「あはは、約束した帰宅時間よりも遅いから怒ってる? ごめんごめん。」
「そういう問題じゃないだろう! いいから、そこに座って! 今、回復魔法をかけるから。」
「大袈裟だなフトミミは。」
ボロボロの格好とは対照的に、アスラはやけに落ち着いていた。驚愕のままに右往左往するフトミミを見て、ただただ苦笑するばかり。
此方に気を遣っている、という風には見えない。
それどころか、まるで他人事のように感じている素振りすらあり、流石に本気で怒りたくなった。
「君は自分の怪我の程度が分かっているのか? 暢気に笑っている場合じゃ――!」
「……止めとけフトミミ。コイツには言うだけ無駄だっつーの。」
そこへ、いつからやりとりを見ていたのかサカハギが割って入ってきた。
その手には櫛が握られている。
彼は無言で背後に回り込み、そこに傷が無いのを確かめるとアスラの頭をガシリと掴んで言った。

「おら、動くんじゃねーぞ。」
「え? 何――痛っ……あいたたた! ちょ……サカハギ、櫛が髪を噛んで、イタタタタ!」
「うるせぇバカ。俺みたいな頭になりたくなかったらジッとしてろ!」
「あー……はいはい。……イタタ。」
天邪鬼な優しさに、アスラが苦笑する。
髪が櫛に絡むたびに頭を右に左に傾けて顔を顰めてみせるが、それでも深刻そうな様子は無い。
むしろ、何かを楽しんでいる節すらあって。

――精神状態が不安定なのか?
フトミミの心中を、そんな考えが過ぎる。彼はアスラを真っ直ぐに見詰めると、少々強い口調で質問を投げた。
「アスラ、答えてくれ。……何が、あったんだ?」
「え? えーと……」
アスラは苦笑を更に深くすると、気まずげに頬を掻いた。
そして視線を宙へ投げ、あははと笑って。
「……モコイと、ちょっと喧嘩したっぽい。」
「テメェのことだろ。なに他人事みてぇに言ってんだ。」
何処までもおどけて笑うアスラに、サカハギが凶相を歪ませたのは当然かもしれなかった。
顔を顰めて吐き捨てるが、それでもアスラの乱れた髪を丁寧に直し、整えている。
二律相反。
簡単に言うと「天邪鬼」なサカハギに、アスラは血で滲んだ口元を少しばかり綻ばせる。
……だが、その後すぐに、少しだけ眉を顰めたが。

「はは……痛……っ……」
唇に、ぴりりと痛みが走った。
その箇所に触れてみれば、鉄錆に似た甘い匂いが鼻先を掠める。
指を押し当ててみれば、赤い痕が一つ。
「ああ、ほら! 無理に笑うから、唇の傷が開いたじゃないか!」
気づいたフトミミがわたわたと近づき、薬(それも一つではなく多量)を持ってきて、甲斐甲斐しく手当てをし始めた。
「あんま過保護にすんなフトミミ。……ったくよー。テメェどんな喧嘩したらこんなに汚れるんだよ。」
そう言うサカハギはサカハギで、アスラのあちこちについた土埃や泥を払い、拭い、汚れを綺麗に落としていく。
そうこうしていれば、騒動を聞きつけたのか他の仲魔たちも集まってきた。
「オマエ ダイジョウブ……ジャ、ナイナ。ダレニ ヤラレタ? オレサマ シカエシ!」
「主、私が持っている宝玉をお使いになりますか?」
フェンリルが唸りながらアスラに鼻先を寄せ、クーフーリンは辺りを警戒しながらも懐から薬を出してきた。
いい仲魔だ。
その輪の中心に置かれたアスラは、僅かに俯いて顔を隠し、そうして少しだけ微笑する。

少なくとも、彼等はアスラを裏切らない。
……かつての友、知人たちのようには。

勇も千晶もヒジリも先生も。
みんな、自分の元を去っていった。
裏切った。
裏切られた。
そんなやりとりばかりなこの世界は、きっと崩壊前より酷い。
ああ、何よりもずっと酷い世界だ。
それでも、けれど。
崩壊してしまっても、秩序が乱れていても、他にヒトが居なくても。

ここは――自分が生きてきた、世界だった。

「……ラ……アスラ!」
不意に肩を揺さぶられ、回想が終わる。
顔を上げれば、心配そうな顔をしたフトミミが目の前に居た。

「顔色が悪いように見えるけど、大丈夫かい?」
「あー……、……うん。平気。もう大丈夫だから。というか溜まり過ぎ。目立つから。ほら、俺は回復したから、散った散った。」
そう言いながらアスラは仲魔たちに向かって手を振ったが、それでも小さな声で「有難う」と礼を口にした。
後に残ったのは、フトミミとサカハギのマネカタだけである。
彼らは、アスラの怪我の具合を確かめるという理由で其処に居残ったが、実際はアスラの様子が気になったから、というのが正しいのだろう。
仲魔たちが去った後に憂鬱そうな溜息を吐いたアスラは、何処か遠い目をしていたから。

事実、アスラはどうにも不安定で、頭の中がごちゃごちゃしていた。
モコイに打たれた傷よりも、吐かれた言葉よりも。
今はただ、優しくされることが辛かった。
痛い。
心が。
胸焼けがする。
気分が悪い。
嘔吐感を覚えるも、吐き出すものなどありはしない。――酷い言葉以外には。
アスラが口元を押さえて俯いていれば、サカハギにトンと肩を叩かれた。
なんでもない風を装って視線を上げたアスラに、サカハギが訊ねる。

「そういや姿が見えねぇんだけど、あの猫を連れた黒尽くめ野郎はどうしたんだよ?」
「……。」
「――? ……おい、アスラ!」
「――え? あ、ああ……黒尽くめって、ライドウ?」
「猫連れてんのは一人しか居ねぇだろ。」
「はは……そう、だよな……。あ、ええと、ライドウたちなら、ちょっと用事で帰ってるんだ。直ぐに戻るって言ってたから、今日か明日には帰って来る……と、思う。」
きっと、中間報告だろう。
元々ライドウたちは「依頼」で此方の世界にやって来たのだ。
彼らがどういった印象を抱いているのかは知らないが、アスラのことをどう報告するのだろう? 

危険なし? 
害意なし? 
それとも――世界の脅威になりうる存在だ、と。
そう、告げるのだろうか。

ヒトの身より悪魔と変わり果てた、この姿。
今は自分の正体すら分からなくなりかけている、この存在。
マガツヒに溶けたヒジリの最後が脳裏を過ぎる。
ヒトの身には有り余る知識を手に入れたばかりに、道を間違えた男。
彼を、哀れだと思うだろうか? 

――道を誤ったのは、何もあの男ばかりでは無い。

「アスラ。お前、少し寝たほうがいいんじゃねーの?」
「……え?」
目の前、唯でさえ凶悪な顔をしたサカハギが険しい顔をし、アスラの顔をじっと見つめて言った。
「顔色。真っ青どころか、蒼白化してんぞ。寝てねーだろ、最近。」
「あ……、でも……」
言いかけて、アスラは言葉を留めた。
何か考え込むような逡巡を見せたものの、結局は首肯する。

「……そうだな。……うん、じゃあ……ちょっと、向こうで寝てくる。」
そう答えると、アスラは通りの向こうの陰に向かって歩いていく。
彼らの気遣いは嬉しいが、やはりどうにも気分が滅入ってしまって仕方がなかった。