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もこもこモコイ

25.切望と忌避の狭間で

ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle


「……モコイ?」
名前を呼ばれた気がした。
けれど、目を覚ましてみたところで目新しいものは何も無い。
手の鎖。
汚れた床。
灰色の世界は相変わらずで、檻の中であろう状況に変化は無い。

「夢? 違うな……いま……確かに、気配が――……」
身体の奥が冷えるような何かが近づいている。
この気配は知っている。覚えている。
そう簡単に忘れられるものでは無い。

「……――ライ、ドウ?」
”目が覚める”とは、正にこういうことを言うのだろう。彼の気配に思い当たった瞬間、身体の何処かに芯が通るような感覚がした。
助けに来てくれている? あのライドウが? 
ゴウトだけにしか興味がない書生。無表情ながらも美しいデビルサマナー。
彼が、此処に。……恐らくは、仲魔を引き連れて。
ライドウは強い。
だから、自分を助けに来てくれるというのは嬉しいことだ。
そう、喜ぶべきことなのだ……けれど。
「今は……嬉しく、ない……なぁ……。」
自嘲めいた苦笑を漏らし、アスラは居心地悪そうに身動ぎした。
擦れる鎖。生臭い臭気。
身体に走った鈍痛に顔を顰め、息を吐く。
寛げられたズボンの前。
そのせいか妙に寒々しく、そして変に気怠かった。

重い下肢。
疲労の残る体。
今も纏わりつく、べた付いた感触が気持ち悪い。
不快感。
上体を起こして確認は出来るが、見たくはない。俯きたくない。
大体、敵方に捕まれば何をされるかを、把握しておくべきだった。
ああ。氷川という男のことを、もう少し分かっていれば。

だから、今。
どうなっているのか。
何をされたのか。

分かっている。
――解っている。
あの行為、あの最中。
意識はあったのだ。ずっと。
いっそ途中で気を失えれば、と何度思ったことか。

ああ、愚かだった。
ああ、無様だった。
望んだ筈のその力を、アスラは何よりも呪い――その力を受け入れた自分を、誰よりも憎んだ。


◇  ◇  ◇


氷川が何故、あのようなことをしたのかは分からない。
単にこちらの反抗を削ぎたかったのか、それとも一時的ながらも屈服させたかったのか。
遊びのつもりだったのかもしれない。
ふざけ半分に似た暇潰しだったのかもしれない。
だが、どういう理由があったにせよ、どんな真意があったにせよ、あの時間はただ不快で忌まわしく、アスラにとっては思い出したくないものにしか過ぎなかった。

記憶を消すことが出来たら、と思う。
けれども、あの時に感じた久しぶりの「ヒト」との接触、体温を、一瞬間でも心地いいと感じた自分がいたことを、アスラは忘れていない。
そんなに飢えていたのか。
そこまで寂しかったのか。
行為の最中、氷川に問われた台詞が今も鮮明に焼きついている。

『本当の君は、ひどく孤独を恐れるニンゲンではないのかね? 』
――そんなバカな、と思った。
東京受胎、空が赤く染まった日。
何も解らないままに、崩壊した世界で自分は生きてきた。
生きて、生き延びて。
そうして「ここ」まで来たのは、自分の力だ。
最初から一人だった。
なのに、それを恐れているなんて。

「……違う。」
アスラは唇を噛み、眉を顰める。
寂しくなんかない。
淋しくなんてない。
しかし、あの時間は泣きたくなるほど満たされていた。
こちらの意思など一切お構いなしにされた行為だったが、それでも……温かくて。

『君はヒトの振りをしてみせているだけだ。そのほうが、誰かが側に居てくれるから。紛い者で贋物だけを集めて、それで満足したいのだよ。』
だから力を手に入れても押し隠したままなのだろう? 
存分に振るうと、仲魔が恐れて逃げてしまうから。
それで一人に――独りに、なってしまうから。

『お気に入りの玩具を手放さない子供と何が違う? 同じなのさ、君は。』
「……違う……っ!」
温もりに混じり、ぶつけられたのは冷たい言葉。
あの男はそうして狡猾にアスラの抵抗を殺ぎ、蹂躙した。
一番触れられたく無かったことを探り当て、暴き、突きつけて。
そうして真っ直ぐに責め立てたのだ、あの大人は。

「玩具じゃない……道具じゃない……!」
仲魔を紛い物扱いされたことが悔しかった。
彼らはヒトのように此方を裏切ったりしないのに。

『君は自分で気づいていないのかね? そうして弱者を装って仲魔の関心を引き、引き連れて群れと成し、道具のように扱っていることを? だとしたら、とんだ策士だ。』
声が焼きついて離れない。
「違う! 道具じゃない! 仲魔だ!一緒に居る……居てくれる、大切な――」
『側にいてくれるから? ならばそうしなかったら? 』
「い、居なく……なったら……」
裏切った、その時は――。

――殺す。
脳裏に浮かんだ単語に、ハッとする。
アスラは首を振ってその言葉を追い払ったが、表情で読み取ったらしい氷川が顔を近づけ囁いた。
『自覚したか、少年? 悪魔というのは、正しく君のような者を言うのだ。』
あああ。
「ち……がう……仲魔を、俺は……殺したり、なんか――」

頭が痛い。
力が出ない。
喉が渇く。
心が乾く。

――あああああ。


◇  ◇  ◇



「あ……あぁ。」
そうして、現実との境目が曖昧な回想から我に返ったアスラだが、酷く汗を掻いていた。
今のは夢だったのだろうか? 
顔を顰めて息を吐く。
だとしたら、いつの間に寝ていたのだろう? 
それとも、気を失っていただけなのか? 
どうにも奇妙な幻覚に、眩暈が酷くなる。それと同時に、ふと空腹に似た奇妙な感覚があることに気づいた。
「ハハッ……何だ、これ……?」
飢餓? 
何に飢えているというのか。
今更に、この上に、何を喰らいたいというのか。
世界の理が歪んだあの日以来、ヒトとしてあった空腹などは無くなっているというのに。

この悪魔の身。
欲しているのは何だ? 

「……俺は、悪魔……だから。だから――独りでも、大丈夫、なんだ……。」

アスラは掠れた声で呟くと、憂鬱げに目を閉じた。
何処までが現実で何処までが幻覚なのか、とかく分からなくて――解らなくて。
鎖に繋がれた自分は酷く不恰好な悪魔だな、とどこか他人事のように感じた。