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もこもこモコイ

27.Lunatic ASURA

ライドウ&ノクターン:Maniax Chronicle


紅玉。
血の色よりも深く、闇より暗い淵にある深遠の瞳がそこにある。
ようやく振り返ってくれた相手は、自分が知っているヒトでは無くなっていた。

凶悪な鋭さをもった禍々しい爪が、こちらに狙いを定めている。表情を狂気で満たし、瞳を殺気に輝かせたソレをニンゲンだと呼べるのだろうか。獰猛な笑みは獲物を見つけて悦ぶケモノそのものでいて――面影は、無く。

「ひ、と……しゅら、く……」
モコイの背を駆け抜けたのは、恐怖ではなく不安。
ああ、これはヒトだろうか。
これがヒトなのだろうか。
色彩の変化はあれど、姿かたちに変わりは無い。
人修羅と呼ばれるもののまま。

だが、その”人”は――彼の”ヒト”は、何処に。

赤い瞳。
剥き出しの殺気に籠められているのは純粋な――泣きたくなるほど純粋な殺意。
嫌な予感しかしない。
否な結末しか見えない。
モコイは側に立つライドウの外套を掴むと、彼の書生を見上げて問いかける。
「ね、ねえ、サマナーくん。アレ、冗談……よネ? 人修羅くん、大丈夫っスよね!?」
安心するものが欲しかった。
とにかく安心できる言葉が聞きたかった。
しかし、返された答えは無情。
「……アスラは、強い。理性の箍を開放したが故に、更に……加減無く、強く在る。」
アスラに視線を留めたまま無表情に答えたライドウの言葉に、望みは見えなかった。
現実を認めたくないモコイと、既に今を認識して在るライドウ。
正しいのはどちらかなど――考えずとも。

爪と、刀。
無機質に煌いているそれらは冷たさばかりを強調して、冴え冴えとお互いの生を刈り取ろうとしている。

「ダ……ダメっスよ! 殺しちゃ……ダメっス!」
モコイはライドウの足に縋りつき、懇願する。それでも彼の書生は首を横に振り、そして静かに告げるのだ。
「……看過は、出来ない。あのままで在っては、全てが危殆に晒される。」
「デモ……――でも!」
モコイは首を振り、ライドウの外套が揺れるその向こう側に視線を向ける。
少年は、声も無く笑っていた。
浮かべるその微笑は、まるで仮面でも被っているかのように張り付いていて、先ほどから全くと言っていいほど崩れていない。
喜悦の笑みはとても綺麗なものであったが、やはりヒトらしさは何処にも無かった。

こんなのは、笑顔じゃない。

「……人修羅くん。」
思わず名を呟けば、アスラと目が合った。いや合わしてくれた、というのか。
「! ひ、人修羅く――」
モコイはその反応に瞳を僅かに明るくさせる。
「――……。」
モコイの視線を認めたアスラは、口端を大きく吊り上げて笑ってみせた。
とても狂気に満ちていて、かつてあった陽だまりに似た温かさは微塵も無く――何とも邪悪な笑みは、モコイの希望を打ち砕くのには充分だった。
「……ッ!」
反射的にライドウの外套の裾に身を隠したモコイを見て、アスラは何処か楽しげに目を細め、それからまた、あの奇妙に歪んだ笑みを浮かべてライドウに視線を戻した。
外套を掴むモコイの手を一瞥し、ライドウが口を開く。
「……解せたか。あれは、アスラで在るが……アスラでは、無い。」
「ち、違うっスよ……あ、あれは、ちゃんと……ひ、人修羅くん、ダモノ……!」
「……ならば、モコイ。」
書生は氷の眼差しを下へ滑らせると、ある一点に止めて告げる。

「お前は何故――戦慄の裡に、在る。」
問われて、モコイは己の手が、身体が、ふるふると震えていることに気づいた。
ライドウの外套にしがみ付いているその様は、怯えるニンゲンの子供と全く相違がない。
(ボクは……人修羅くんが、コワイ? )
言葉を反芻したモコイは一瞬泣きそうな顔をした。
しかし誤魔化すように震える手で拳を作ると、ライドウを見上げて言い返す。
「こ、これは――む、武者震いってやつっスよ……!」
気丈に振舞って。
けれど、そんな嘘がライドウに通用する筈も無い。
彼の書生は静かな声で、淡々と応じる。嘘の看破と共に。
「……虚言は、時に其の身を護る。……モコイ。俺は、其れを否定はしない。……だが――」
語りながら視線を正面に合わせ、その先を告げる。
「彼のもの……アスラの看過は、此の世界のみならず……彼の方にも、危険が及ぶ。」
そこで急激にライドウの気配が変わるのをモコイは感じた。
氷が変じる先は、研ぎ澄まされし刀。
そして吐く言葉は生粋の冷気。

「ゴウト殿に厄を与えるものを、俺は――赦さない。」
無機質な声で淡々と語ったライドウの表情は相変わらず氷の如く表情が無かったが、それを告げた声には氷が無く、瞳は真っ直ぐにアスラを見つめていた。
完全に戦う姿勢をとったライドウを見て、アスラの笑みが深くなる。
その嘲弄に何かを感じ取ったのか、ライドウは何時の間にかモコイの手を離れ、前に向かって歩き出していた。
「サマナーくん! 待って……もうチョット話し合いを……!」
二人の距離が縮まる度に、殺気じみた気配が濃厚になっていく。
「ダメ……こんなの――こんなことはダメっスよ……!」
けれど、そのモコイの叫びが戦いの合図となる。

「……アスラ。」
「――ククッ。」
同時に駆け出した、赤い光と黒い影。
無言と嘲弄が交差する。
片や何の表情も無く、其処にあるのは虚無。
片や歪んだ笑みを浮かべ、底にあるのは狂気。
前だけを見て、ただ前にあるものだけを見て。

彼の爪が、彼の刀が。
それぞれの命を狩りとらんべく、その存在目掛けて振るわれる――。


◇  ◇  ◇


乾く。
喉が。
乾く。
心が。

赤がちらつく。
紅が明滅する

甘い匂い。
ああ、これは血の色だ。
流れる命の匂いだ。

なんと。
なんと。

なんと――狂おしい。

「――七綺! これは……一体……。」
ややあって黒猫が駆けつけたが、全ては始まっていた。
「ゴウトくん! ひ、人修羅くんが……サマナーくんが! 止めてヨ! ネェ、チミの言うことならサマナーくんは止まるデショ!?」
「ええい落ち着け! 事情も分からぬままに七綺の行動が制せるわけが――七綺、後ろだ!」
ゴウトの怒声にライドウが反応し、素早く身を翻せばその直ぐ横を風が切った。
体勢そのままに刀を返せば、がきりと重い衝撃が走る。
「……死爪の一撃、か。」
禍々しい力。後一歩防ぐのが遅ければ首が吹き飛んでいただろうその攻撃は、冗談や悪ふざけなどという言葉では決して済まされぬものだった。
そして、その行為が示すのは殺戮に他ならず。
赤い瞳が、獲物を仕留め損ねたという風に吊り上ったのをライドウは見た。

「……アスラ。」
ライドウは攻撃を受け止めつつ、静かな声で呼びかける。
「……アスラ。……アスラ、自我を。」
何度も名前を紡ぐライドウ。
だがアスラは哂うだけで、答えない。
言葉の代わりに返されるのは、容赦のない攻撃。それも、急所ばかりを狙い打ちにしてくる凄まじい力だけだった。
「七綺! 仲魔を召喚して援護を受けろ!」
「……否。」
「な……何だと?」
見かねて助言したゴウトに、けれどライドウは否定の言葉を吐いた。
ライドウは常にゴウトを敬い、慕い、その命令にはほとんど逆らわない――筈、だったのだが。
ゴウトが唖然としていれば、ライドウが一瞥の眼差しを向けて言葉を繋ぐ。
「等しく応じれば、増幅、させる。」
そこまで告げてからまた前に向き直ると、頭上から振り下ろされた一撃を受け止めた。
「増幅? それはつまり……」
加勢があると、それだけアスラの暴走が酷くなる――と、言っているのか。
だから一人で戦うと言うのか。
独りで。

ヒトの身で――悪魔と。

「……アスラも、ヒト、だ。」
心を読んだわけでは無いのだろうが、不意に呟いたライドウの言葉にゴウトはどきりとした。
ライドウは攻撃を刀で受け流し、避けながら言葉を紡ぐ。
「貴方の意に、沿わぬこと……誠、申し訳なく……思う。――だが。」
胴めがけて繰り出された蹴撃を紙一重でかわしながら、今度は振り返りもせずに言った。

「この場は……――アスラは、俺に、任せて欲しい。」
ライドウは、あまり自らの意思を言葉にしない。
それが今、ゴウトに向かって告げた。
意思を。
己の願いを。
どう答えるべきか考えあぐねているゴウトの傍で、喚声が上がる。

「任せるから、人修羅くんに酷いことしないでヨ、サマナーくん!」
モコイの叫びに、攻撃を回避して距離を置いたライドウが肩越しに振り返った。
揺ぎ無い瞳が待つのは許可、その一つきり。
それでゴウトもすっかり心を決めた。モコイに負けぬくらいに声を張り上げ、返す言葉は受諾。
「よし七綺、この場はお前に任せた! ――無事に事態を収拾せよ、葛葉ライドウッ!」
「ああ。――……感謝、を。」
外套が翻る。
刀を構え直したライドウの先には、渇望せしものが牙を剥き爪を磨ぎ、全てを打ち砕かんと待ち構えていた。